東京木材問屋協同組合


文苑 随想

時代を見つめて No.46


おめでとう、「紀宮さま」

時見 青風



 天皇家の長女・紀宮さま(35)のご婚約が平成16年11月14日までに内定した。お相手は,秋篠宮さまと学習院時代の同級生で,東京都職員の黒田さん(39)(東京都渋谷区在住)で,幼少時から天皇ご一家と親交があり,紀宮さまとは幼なじみのような間柄であったという。天皇,皇后両陛下は了承され,宮内庁が12月下旬に正式発表する。
  紀宮さまは結婚により皇籍を離れることになる。
  紀宮さまが人生の伴侶に選ばれた方は,天皇家の人々から「クロちゃん」と呼ばれ,ずっと身近に感じておられた,4歳年上で誕生日が一日違いのお兄さんであった。
  黒田さんは紀宮さまの兄・秋篠宮さまと学習院初等科からの親友,小学生のころから,当時皇太子だった天皇ご一家が住まわれていた東京・元赤坂の東宮御所に,よく遊びに来ていた。紀宮さまにとられても幼なじみ的な存在だったのである。
  黒田さんは学習院大学時代,秋篠宮さまが主宰されていたサークル「自然文化研究会」で秋篠宮さまや紀子さまと活動をともにしていた。卒業後も,秋篠宮さまが月に一回,赤坂御用地で友人らとテニスをしたり,年に一度,秋篠宮邸で開く同級生達との食事会にも参加していた。事前に電話で日程の調整をする幹事役や,司会を務めることが多かったと言う。
  20代のころは,紀宮さまは公務の傍ら野鳥研究に熱心に取り組まれ,黒田さんは若手の銀行マンとして,担当する大企業を駆け回る日々であったと記されている。
  転機が訪れたのは,一年前の冬,秋篠宮邸で開かれた仲間内のパーティーに紀宮さまがお顔を出されたが久しぶりの再開の時であった。この再開をきっかけに,メールや電話,手紙などでご交際が深まっていったようだ。約30年も続く家族ぐるみの親交の中,自然な形で互いに見つめ合ってきたお二人は,この夏,結婚という形で寄り添うことを決意されたと言うことのようである。16年11月14日,午後3時40分ごろ,東京・渋谷区の自宅前で会見した黒田さんは「正式発表前なので話は控えさせていただきたいと思います」と緊張した面持ちで話した,と報道されていた。
  紀宮さまは11月14日,東京・渋谷区で行なわれた「少年の主張全国大会」にご出席,午後一時前,700人以上でほぼ満席となった会場にベージュのスーツに身を包んで,お見えになられたようだ。主催者代表が「このような大事な日にお出でいただき,感謝します」と挨拶すると,会場からは大きな拍手がわき起こり,紀宮さまはにっこりお笑いになられ小さく会釈されたと言う。
  大会後は,意見発表した中学生の男女13人に「いいお話でしたね」などと声を掛けられ,和やかに懇談された。会場を後になさる際も,車の窓を開けられ,集まった報道陣からの祝福に穏やかな笑顔で応じられたと言う。以上が16年11月14日婚約内定が発表された日のご様子である。
  宮内庁によると,婚約内定は11月9日に発表する予定だったが,新潟県中越地震の被災者らに配慮したいとの両陛下やお二人の意向から延期されていたと言う。

 結婚までの流れを記事の中から拾って見た。
  紀宮さまと黒田さんはご結婚に至るまでに「納采(のうさいの儀)」,「告期(こつき)の儀」などの皇室行事を経ることになるようである。
  納采の儀は一般の結納に当ると言う,天皇家から娘が民間に嫁ぐ場合,先例によると新郎家の使者が清酒や鮮鯛などの納采の品と目録を持って皇居へ,宮内庁長官が対応し,新郎家へは侍従が答礼する。その後,新郎と親が皇居に参上,天皇,皇后両陛下とお会いすることになるようだ。
  告期の儀では,新郎家の使いが,皇居で長官に結婚式の期日などを伝えるのが通例と記してある。
  皇族が結婚で皇籍を離れる際,皇族費の一時金支出が皇室経済法で定められていると言う。1960年に結婚された昭和天皇の五女・島津貴子さんには1500万円が支払われたと記されているが,紀宮さまの場合も皇室経済会議が開かれ,限度額(約,1億5000万円)の範囲で支出が決るのでは,との新聞報道である。
  結婚式の数日前には,娘が両陛下に謝辞を述べる「朝見(ちょうけん)の儀」が行なわれ,式は皇居と別の場所で行われるのが通例ということであるらしい。

 

 前記の紀宮さまのご結婚までの主な流れをまとめると下記のようになる。

 16年12月
   宮内庁が婚約内定を正式発表
    お二人で記者会見
       ↓
    納采(のうさい)の儀(結納)
       ↓
    告期の儀(結婚式の日取り正式決定)
       ↓
    皇室経済会議(皇族費の支出を決議)
       ↓
    宮中三殿に謁するの儀(参拝)
       ↓
    朝見の儀(両陛下にお別れのあいさつ)
       ↓
    結 婚 式

紀宮さまのプロフィール
  天皇家の内親王が,兄の“後押し”を受けられ,皇籍を離れて新しい人生の一歩を踏み出されることになった。
  天皇陛下や皇后さまが困難な局面を迎えられるたびに,ご一家の支えとなって来られた紀宮さま。
  この十年余り,両陛下の支えは紀宮さまであったと思われる。兄二人は既に独立し,一人残った内親王は,宮内庁の間を多かれ少なかれ母の思いを訴えられたこともあると言う。
  紀宮さまは鳥類研究員としてのお仕事のかたわら平安朝の文学を学ばれ,バードウォッチングや日本舞踊など多くのご趣味を持たれていると言う。
  学習院初等科のころの夢は盲導犬指導員,中等科,高等科でのクラブ活動は日舞,学習院大では新古今和歌集など中世文学を主に学ばれたと言う。又自然観察のサークルに入られ,卒業後の1992年春からは,秋篠宮さまが総裁を務められる山階鳥類研究所(千葉県孫子市)で研究活動を続けておられると記されている。
  そして,ご結婚とともに皇籍を離脱されて「黒田清子(さやこ)さんとなるわけだが,過去に結婚した三女,四女,五女の女性皇族を調べて記して見ると。
  昭和天皇の三女・鷹司和子さん(故人)は,戦後間もない1950年(昭和25年)に結婚,新憲法下で初の皇族の結婚となっている。結婚前には,元側近の家に約1年半住み込まれ,洗濯など家事見習いまでされたと言う。夫の鷹司平通氏の死去後は赤坂御用地内に住まわれたと記されている。
  四女・池田厚子さん(73歳)は1952年(昭和27年)に岡山市で牧場を経営する池田隆政氏と結婚,新婚間もないころは池田動物園のたばこ売り場に立ち話題になった,「私が選んだ人を見てください」のせりふが有名になったと記されているが,こんな記事を覚えている人もいるかも知れない。
  五女・島津貴子さん(65才)の結婚は,1960年(昭和35年),島津久永氏は当時日本輸出入銀行の銀行員で“サラリーマンの妻”の生活ぶりをマスコミで披露,島津氏の転勤で海外に住んだり,ファッション関係の仕事に就いたりもした。こんな貴子さんの記事は私も多少記憶にのこっている。紀宮さまはこの貴子さんと同じ立場となって皇居から出ることになるが,参賀の時のお立ち台に立たれるのは,後2〜3回でおわりとなり,さみしさもあるが。

黒田慶樹さんの素顔
  報道された,新聞やテレビ,雑誌等から拾い書きし,文面が二重になる所もあるが,まとめて見た。
  一躍“時の人”となった黒田さん。「穏やかな紳士」「ひょうきんな人」と周囲の見方は分かれるようだが「まじめ」という評価では一致すると言う,一度お目にかかりたいものである。
  黒田さんは,天皇家が通う学習院に初等科から入学し,中等科時代はバスケットボール部。大学の法学部を卒業後,三井銀行に入り大企業担当の営業部門や都内の支店に所属した。1997年に「公的な仕事がしたい」と転職者向けの採用試験を受けて都庁に採用され,現在は都市整備局市街地建築部の建設業課建設業指導係主任として業者の許認可,審査や指導を担当していると言う。
  トヨタ自動車の社員だった父・慶次郎さん=学習院大卒=(享年56歳)を学生時代の1986年4月に亡くし,現在は東京渋谷区のマンションに母・寿美子さん(69歳)=白百合学園短大卒=と二人暮らし。結婚し独立した弟が一人いる。父の姉は旧華族で元薩摩藩士の税所(さいしょ)家に嫁ぎ,父の兄の妻は旧華族の秋月家の出身と言う。本人の現在を見るかぎりその辺の一般のサラリーマン風に見えるが,親戚,縁者を見てみると,やっぱりそれなりの人物であることが良くわかる。
  秋篠宮さまとは初等科時代からの同級生,高校時代は写真部長だった秋篠宮さまを副部長として支え,大学時代は秋篠宮さまが主宰して秋篠宮妃・紀子さまも参加していたサークル「自然文化研究会」に所属したとも言う。
  身長176センチ,体重69キロ,「頭の回転が速く,縁の下の力もちで穏やかな方」と後輩達から言われているようで,秋篠宮さまも一番信頼されている人のようである。

 さかのぼるが,紀宮さまが1997年に28歳のお誕生日を迎えられた際,結婚話がもち上り相手の有力候補として挙げられた五人の中にもすでに黒田さんの名前も含まれていたと言われる。当時,紀宮さまは「(結婚)私にとっても,この先の長い将来にかかわる事柄ですので,事を急ぐだけでなく大切に考えたい」と文書で心境を述べられていたことがあった。

 朝新聞等を見て台風被害や中越地震・イラクの邦人殺害など暗いニュースが続く中,心からほっとするようなホットニュースであった。娘を持つ親の気持として,紀宮さまがご結婚について天皇・皇后両陛下にどのようにお伝えになられたか,大変関心のある所であるが,民間から嫁いだ美智子さま,キャリアウーマンだった雅子さま,また,遡って前にも記したが「私が選んだ人を見てください」と昭和天皇に話され皇籍を離脱された島津貴子さん,天皇家の結婚はいつも時代の様相を反映し,話題を作ってくれる。40歳目前の黒田さんとの婚約話も,20代では結婚せずで自分の生き方を貫き,30代になって相手を見つけ,35歳になってのこのお話,今の時代ライフスタイルに実にかなっているようである。又黒田さんも銀行員から転職して都の職員になった経歴も実に今風であると思う。時代は物も人の心もどんどん変わって来た,皇室も民間と同様のようだ。
  この記事を書いた日は宮内庁の正式発表前であるが,12月の後半にはご結婚式の日も決まり,来春には「黒田清子」さんとなられ,平民サラリーマン生活に入り,お二人の人生再出発が始まるわけである。どうか民間の世界も楽しんで幸せな人生をお送り下さいと手を合わす国民の一人であります。

※紀宮(のりのみや)さま
お名前は清子(さやこ)。
称号は紀宮,1969年(昭和44年)4月18日ご誕生。35歳
学習院幼稚園,初等科,女子中等科,女子高等科を経て1988年(昭和63年)学習院大文学部国文学科にご進学,1992年(平成4年)の大学ご卒業後,千葉県我孫子市の山階鳥類研究所に研究助手としてご勤務。
1998年(平成10年)から同研究所非常勤研究員,お印は「未草(ひつじぐさ)」。

※黒田慶樹(くろだ・よしき)氏
1965年(昭和40年)4月17日,東京都生まれ,39歳,東京都渋谷区在住。
1972年(昭和47年)4月学習院初等科に入学,中等科,高等科を経て,1984年(昭和59年)に学習院大法学部法学科に入学した。1988年(昭和63年)に卒業し三井銀行(当時)に入り,1997年(平成9年)から,東京都庁勤務している。現在は都市整備局市街地建築部建設業課に所属。

平成16年12月5日記



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