東京木材問屋協同組合


文苑 随想

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日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」
其の18 「海外刀剣アラカルト」…パート 1…。

愛三木材・名 倉 敬 世


 今回は少し目先を変えまして,我国以外のあちらさんの刀剣の話を致して見ましょう。世界は広く歴史も長くて複雑なので,国により多様な「刀剣」が使用されております。そこで代表的な刀剣をホンの少〃ですが,所持者と共に列挙してみましょう。
  尚,外国のでは剣けん」と申して決して「刀かたな」とは申しません,何故でしょうか…,答えは文末に…。

  剣  名 持 主 伝 承
〔西 欧〕    
1 エクスカリバー アーサー王 湖の麗人がこの世にもたらした剣
2 アロンダイト ランスロット アーサー王の騎士
3 ガラティン ガウェイン アーサー王の騎士
4 ジョワイユーズ シャルルマーニュ帝 ローランの歌
この柄の中にキリスト受難(磔)の時の聖なる槍(ロンギヌス)の穂先が納まっている。 
5 デュランダル ローラン 勇者・ローランの歌
6 オートクレール オリビエ ローランの物語,ローランの親友。
7 バルムンク ジークフリード ニーベルンゲンの歌〜ワーグナー。
8 ノートウンク ジークフリード ニーベルンゲンの指輪,折れた聖剣。
9 ドリンダナ ジークフリード 狂乱のオルランド
10 ユルタナ オギール デーンの騎士
〔中 国〕
11 崑 吾こんご 周王・穆ぼく(BC747) 西戎よりの献上品,伝説の赤色の宝剣。
12 純 鈞じゅんきん 越王・允常いんじょう 欧冶子作。郷くに 30・騎馬千頭・戸二千
13 湛 盧たんろ 〃〃 〃〃 〃〃〃  敵を伐つ剣,王者の剣。
14 豪 曹ごうそう 〃〃 〃〃 〃〃〃  敵を伐つ剣。
15 魚 腸ぎょちょう 〃〃 〃〃 〃〃〃  君子や息子を弑す理逆剣。
以上の剣を秦の刀剣鑑定師薛燭せつしょくが占う,後世全ての剣がその通りの結果となる。
欧冶子おうやしは干将かんしょう莫邪ばくや(夫婦)の師とも同門とも云われる越えつ(BC400)の名工。
16 龍 泉りゅうせん 楚・昭王 干将・風胡子の作で名剣の代名詞。
17 太 阿たいあ 〃 〃〃 同上,干将は呉,風胡子は越の人。
18 工 布こうふ 〃 〃〃 同じく茨山しざんの鉄石より造る。
19 ● 日えんじつ 越王・勾践こうせんの八剣 日を指せば昼でも日の光が暗くなる。
20 断 水だんすい 〃〃 〃〃  〃〃〃 水を切れば水は引き裂かれたまま。
21 転 魂てんこん 〃〃 〃〃  〃〃〃 月を指せばヒキガエルと兎が転ぶ。
22 懸 剪けんせん 〃〃 〃〃  〃〃〃 飛ぶ鳥も触れると翼を引裂かれる。
23 驚 鯢きょげい 〃〃 〃〃  〃〃〃 海に浮かべれば鯨は深く〃〃潜る。
24 減 魂げんこん 〃〃 〃〃  〃〃〃 帯びれば夜中でも化物に出会わない。
25 却 邪きゃくじゃ 〃〃 〃〃  〃〃〃 邪悪なものは伏す。
26 真 鋼しんこう 〃〃 〃〃  〃〃〃 木を切る如くに簡単に玉や金を断つ。
 以上が有名な越王・勾践の八剣です,どれが自身用なのかは不明なのですが,以下に確実に本人の使用していた押形の(B)をご覧ください,八剣の中の何れでしょうか。
27 属 鏤しょくる 呉王・夫差 古来,呉の宝剣として有名な鋼鉄の剣。
28 鹿 虚(発音不明) 秦・始皇帝 鹿虚とは滑車の事で,その様な形状の玉の飾りが付いていたとの事です。
  A.呉王夫差の銅矛(夫差 在位20年 BC473没)(押形・参照)
 「呉王夫差自作用矛」春秋末 長さ29.5cm 幅5.7cm 湖北省江陵県馬山出土(武漢市湖北省博物館)
 矛とは厳密には形態上の違いはあるが,槍を太くした形の長柄に着用する刺突用の武器。
 越王勾践の剣と類似の文様があり,当時南方地域で流行していたものか,又,両者は同系の工房の作とも考えられる。但し銘文の書体は中原志向の強い夫差の意向を汲んだ金文,篆文に近い。この矛の他に夫差と在銘の剣は中国全土で4本が発見されています。

B.越王・勾践の銅剣(勾践 在位32年 BC465没)(押形・参照)
 「越王・鳩浅(勾践)自作用剣」春秋時代末。長さ 55.7cm 幅4.6cm 湖北省江陵県望山1号墓出土(武漢市湖北省博物館)
 発掘時に墓の中で輝いたほど保存状態は極めて良好である,鍔には藍色のトルコ石とガラスが象嵌され,全体に菱形文様が入り鋭利である。
 銘文の書体は鳥書体または鳥篆といい,このころ長江下流域を中心に使われていた。随所に鳥の頭を図案化したような装飾を施している。鉄製では無いが,越王勾践が自ら用いるために作らせた剣であり,呉王夫差の矛と共にその精巧な出来映えは素晴らしい。「越王八剣」の中の一剣と思われており,正に「宝剣」である。

C.秦の始皇帝の剣(始皇帝 在位12年 BC210没)
 「秦の青銅長剣」戦国時代 
       長さ91cm 幅3.3cm 1975年 峽西省始皇帝陵東側1号兵馬俑出土(峡西省博物館)

 「鹿虚」と思われる儀杖用長剣。菖蒲の葉の様に長く,幅狭く,薄い形式は東方諸国の剣とは異なる。今なお光り鋭利であり試したところ18枚重ねた紙が一度に切り裂けた。防錆の為のクロームメッキが施されており,二千年以上も前の高度な技術が証明された。
 始皇帝は生涯で3度刺客に襲われるが,中でも最大の危機は燕の太子丹が放った刺客荊軻けいがに襲われた時で,この時はこの長剣が長過ぎてなかなか抜けず危くアウト!となりかけたが,何とか佐々木小次郎よろしく背中に回して抜いて,難を逃れております。

 呉(BC473.滅亡)。中国の春秋時代の三国の一つ,
  王僚の死語を光(闔閭こうりょ)が継ぎ,越の国王の允常が死んだので越の攻略を計るが,允常の後を継いだ勾践の反撃に会い 李すいりの戦いで傷を受け,それが元で伜の夫差に「…絶対に復讐せよ!」と遺言をして死亡,伜は「臥薪」の末に復讐に成功,勾践に「会稽の恥」を掻かせ,絶世の美女「西施」を召し上げ「嘗胆」の忍苦を与えますが,今度は勾践が前473年に「姑蘇城」に夫差を包囲して「会稽の恥を雪すすぎ」,夫差は干将・莫邪の剣を交差させて自刎して死にます。「臥薪嘗胆」(堅い薪の上に寝,苦い胆を嘗め,大苦労をして復讐をとげる意)の語源。正に…禍福はあざなえる縄の如し…。
  「呉越同舟」と仲良き事の如くに申しますが,とんでも無い話で呉越は終生敵同士で,結局,この様に呉は越に滅ぼされ,越はこれより140年後の(BC334)に楚に滅ぼされ,楚はその100年後(BC223)に秦に滅ぼされてしまいます。秦は合従連合(BC221)の策が成功して中国全土の統一を果たしますが,始皇帝の死去もあり建国後15年(BC206)で崩壊し,漢となります。

 1955年と65年に呉王夫差の矛(A),と越王勾践の剣(B)が,楚の都(徐州)の同じ場所から発見され世間を驚かせました。この二振りの「宝剣」は越を滅ぼした楚に戦利品として移っていたのが証明されましたが,楚の亡国に際しては秦に秘し地中深く隠し,それが2177年の時を経て現代に再登場をするのですから,やはり中国は奥が深い国でござんすわぃな,この頃の我国は未だ天孫降臨以前と違いまっか?。

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〜「剣」と「刀」の違いは〜,の答えは。
  今月号は執筆がタイムアップの為,来月号の宿題にさせて頂きやす,答えは大雑把に3つでやんす,全てピンポーンの方には粗品を差上げます,奮って参加して見て下さい。ハガキでも結構ですが(新木場3-8-23),出来ればFAX(3521-6871)で願いやす。

   

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