東京木材問屋協同組合


文苑 随想

時代を見つめて No.51


東京湾の「コククジラ」,残念。

時見 青風

 平成17年5月11日,早朝,千葉県富山町小浦沖の東京湾に仕掛けられた定置網で見つかり残念ながらコククジラは死んでいた。

 東京湾に迷い込んだ「コククジラ」は最初に発見されたのが5月6日の袖ヶ浦であった。5月の連休中でもあり各地で人気となり,数年前のあざらしの玉ちゃんと同様,見物客がうなぎのぼりの人気となっていった。
  5月8日,千葉県袖ヶ浦市中袖の岸壁には,約1千人の見物客が詰めかけたと言う。東京ガスや東京電力の施設が立ち並ぶコンビナート地帯の約100メートルの護岸は朝から夕方までカメラや双眼鏡を手にした親子連れで大変にぎわったようである。
  千葉県警木更津署によると,工場地帯の臨海道路には,約500台の車が駐車の列をなし,露店まで出た程だったと言う。
  日本人はと言っていいのかわからないが,めずらしい物が発見されたり,みつかると,どっとおしよせると言う物好きの人達が多い。良く言えば,好奇心の旺盛な人々が多いと言うことになる。
  見方によれば,これも大変すばらしい事かも知れないが,身を引くのも早い。
  以前,東京湾に「サンマ」の大群が押し寄せ,我が新木場堀の中にも「うようよ」と言っていい程来た事があった。又「クジラ」も来た事があり,今回も若しかしてと思いながら,裏堀を何回か眺めて見たものだ。

 幕末,黒船を率いて開国を迫ったペリー,米艦隊来航の目的が捕鯨のための補給地確保にあったことはよく知られていることだが,彼らは鯨油だけをとったら,あとは捨ててしまったと言う。こちら日本では,すべて利用し,すてる所はまったくない。ありがたく利用したあとは丁重に供養し,今でも各地に鯨塚がある。こん度のコククジラにも「なぜか袖ヶ浦沖に何日も姿を見せてくれ,明るい話題を提供してくれたのに大変残念」と袖ヶ浦市長は話し,市が「感謝の気持ち」とクジラへの「献花台」までもうけたと言う。
  この袖ヶ浦の態度がクジラに対する日本文化とは思わないが,アメリカ等とは対照的な「文化」であることは間違いない。
  最近,今回のように湾内に迷い込んだり,集団で座礁したり,海岸に打ち上げられたり,新聞等で話題になるが,個体数の増加で,イワシや,サンマの漁体系が変化したのには大食漢のクジラのせいであるという説が数字的にも持ち上がっている。政府は捕鯨再開を訴え続けているが,国際捕鯨委員会(IWC)はなかなか耳を傾けてくれないようだ。

 今回発見された「コククジラ」は,東京湾に入らなければ,死ぬことはなかったろうに,東京湾に迷い込み,連休中の親子達に人気者になりながら,定置網にかかり死んだ。各紙に,引き上げられて横たわっている写真の姿は実に悲しげであった。この「コククジラ」はまだ,2歳ぐらいで,体長は7.8メートルのメスであったと言う。網にからまり身動きが出来なくなり,潮吹きが出来なくなっての窒息死と言われる。胸のひれ部分に骨折した跡があって,背中にも傷跡があったと言う。定置網に穴が開いていたので,網にかかった時,かなり暴れた様子がうかがえると言う。
  「死因は水死」と言うから,海で生活するこのクジラが,おかしな気もするが,哺乳類であることを改めて確認した次第である。
  本当なのかと思うが,「クジラ」が,「カバ」と祖先が同じだと最近の研究で分かったようである。

 「コククジラ」について,
  コククジラ(克鯨,児童鯨)はヒゲクジラ亜目コククジラ科に属する水棲哺乳類。コククジラ科は,コククジラ1属1種のみで構成される。体長12〜14mと,クジラのなかではわりに小さいほうで,和名はコクジラ,コク,チゴクジラなどともいい,小柄であることに由来する。
  コククジラの体表は灰色だが,ある程度年を経た個体は,全身にフジツボやエボシガイ,クジラジラミなどの寄生生物を付着させているため,白のまだら模様になっている。(なる程,テレビや写真で見るとちょっと,きたならしい肌だと思っていた),尾部の背面には数個の小さなこぶが連なっており,背びれがないと言う。
  コククジラは外洋に出ることなく,沿岸部を南北に往復し,2万kmを回遊する。これは,現生哺乳類の年間の回遊距離としては,おそらく最長のものである。現在生存している北太平洋のコククジラは,アジア側の沿岸を回遊する西の系統と,北米側の沿岸を回遊する東の系統とに分かれる。西の系統は,夏はオホーツク海で過ごし,冬に中国広東地方の沖で繁殖する。春と秋の回遊時には,朝鮮近海から日本の太平洋沿岸を通過する。東の系統はカルフォルニアとメキシコの沿岸を繁殖場とする。この東の系統,北太平ベーリング海からメキシコまでの海域を移動するからアメリカ系と呼んでいるが,このアメリカ系は19世紀から20世紀前半にかけて,激しく捕獲され,一時は絶滅を懸念されたが,1946年(昭和21年)に捕獲禁止となってから,手厚い保護政策によって劇的に回復したと言う。現在は,アメリカの先住民のマカとロシアのチユクチによる捕鯨は行われているらしい。
  一方,西の系統であるアジア系は日本に近代式捕鯨がもたらされた19世紀末からコククジラの捕鯨が開始され,日本が戦後捕鯨を停止した後も韓国が捕鯨を継続。もともと数の少なかったアジア系は,一時は絶滅したと考えられていた。1970年代終わりに100頭前後の群れの存在が確認されていたと記されている。
  他のヒゲクジラ類がプランクトンを捕食するのに対し,コククジラの餌は海底の砂や泥にすむカニなどのベントス(底生動物)で,からだを海底の砂にこすりつけるようにして砂や泥をすくい取り,餌生物をクジラヒゲで濃しとって捕食するという。沿岸性なので,沿岸開発や海洋汚染の影響を受け易いらしい。
  現在,コククジラのアジア系はヒゲクジラの中で最も絶滅に近いところにいるらしいが,ロシアのサハリンにおける大規模油田開発がその主要な餌場である,そのサハリン島の北部で開発が行われ,生存は風前の灯と言う。今回のこのコククジラが,サハリン島からおわれて南下して来た一頭とすると,悲しい最期であった。

 そして,2005年5月大型連休中に東京湾を駆け巡った“クジラ騒動”は突然の悲しい結末を迎えた。そして,定置網にかかり,引き上げられた,コククジラの写真を見ていると悲しげであるのと同時に,あの目はくやしいと思っているようにも見えた。

※コククジラの東京湾での行動図,苦労したか
(2005年5月6日〜10日)
※定置網にかかり,死亡し,港に引きあげられた,コククジラ。体には,いっぱい貝殻等がくっついているのがよくわかる。
平成17年5月15日



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