東京木材問屋協同組合


文苑 随想

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日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」
…入梅や,スカッと爽やか日本刀…
其の19 「海外刀剣アラカルト」…パート 2…。

愛三木材・名 倉 敬 世


 今回は日本刀と外国の刀剣とは何処がどの様に違うのか,この点を重点的に考えて見ましょう。
  この疑問に対しては面白い文献が有りますので,そちらから紹介して見ます。
それは今から442年も前の永禄6年(1563)に日本に来ていたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの著書「日本覚書き」の中に16世紀末のポルトガル・スペインの刀剣とを比較した「西洋の刀剣と日本刀の相違」と云う記述があり次の様な事が書かれております。

1. われ等は長剣を用いる,日本人は短剣を用いる。
西洋の剣の刃長は75〜95cmであるのに対し,日本刀は60〜75cm程である。
これらは体躯の相違や馬体や戦闘方法により当然大きく相違してくる。
2. われ等の剣の柄は掌で握れる大きさである。彼らのは1パルモ(拳)を超え,ときには3パルモをすら超える。
西洋の剣は片手用の柄で拳一つ分の寸法であるが,日本刀は両手用である。
3. われ等は剣帯に剣を付ける,彼らは帯の中の小さな鉤かぎに付ける。
「帯の中の小さな鉤」とは太刀の足金物を指していると思われる。
4. 我らは片側に剣を付け,他の側に短剣を付ける。彼らは常に剣と短剣とを左側に帯びる。
この記述で当時すでに大小を差す事は一般化していた事が判る。
5. われ等の短剣は短い,彼らの短剣のあるものは剣の半分以上もある。
脇差と西洋の短剣とを比較したようである。
6. われ等の剣には手袋が吊るされているが,彼らのには何の役にも立たない紐がぶら下がっている。
下緒のことを「何の役にも立たない紐」と称している。
7. われ等は刺突武器に慣れている,日本人はそれらを全然使わない。
日本では槍以外に「刺突武器」の特殊なものは無いが,西欧では剣,短剣,全て刺突を目的としている。
8. われ等に於いては貴人に最良の鉄製刀を贈る。日本では布の剣帯を添えて木刀を彼らに贈る。
これは平緒を付けた飾剣のことであろう。
9. われ等の鞘には剣以外のものを入れない。日本人の鞘には一方には小刀こがたなを入れ,他方には何の役にも立たない笄こうがいをいれる。
「笄」とは髪(チョンマゲ)の手入れをする道具である。
10. われ等の剣は新しくとも非常に立派であれば価値が高い。日本の剣は例え新しくとも価値が無く,たいそう古い物の方が値が張る。
西欧では古名刀でも単に武器としての評価だけで,我国の如く宝物として神格化して接する風習は無く,歴史上の遺物として尊重するだけの様である。
11. われ等はせいぜい刀剣一振りと短剣一振りしか身に帯びないが,日本人はときどき刀を二本と脇差一本を帯に付ける。
江戸期になると帯刀の制度は厳しくなるが,この時代には考えられます。
12. われ等のナイフには普通は木の鋲が付いている。日本のには銅または他の金属の柄が付いている。
これは小柄の事を言っていると思われます。
13. われ等はナイフで切るのに,手前に向けるか又は左から右に向けて切るが,日本人は常に向こう側に切る。
引いて切る日本の習慣と,押して切る西欧の習慣の相違である,刀と剣の相違がここに見られ,ノコギリとナイフの使い方が逆である事も面白い。
  

 この他にも文中から刀剣に関するフレーズを抽出すると以下の如くでありんす。
1。西欧の刀剣には反りが無くほとんど真っ直ぐだが,日本刀には反りが有り片刃である。もちろん西欧にも反りのある刀は大分入っているが,それらはトルコ刀の影響だと思われる,いわゆる半月刀と云うものである。それでは日本刀と半月刀とはどの様に違うのだろうか。両手で刀を使うのは日本だけだと考えられる。半月刀でも西欧の刀でも全てが片手打ちで両手と片手との違いが先ず第一であり,真っ直ぐの形態は物を突くには最適なのであるが,これは西欧の剣である。
 次に刀を飾るということは,西欧でもかなり古い時代から行われているが,特に外装は金・銀・宝石をちりばめた美しいものが,日本刀以上に沢山ある。併し刀身を研磨して,その地金や刃文を鑑賞するなど,すなわち刀身を鑑賞の対象にして製作するなどという事は日本独特の美意識の現れであろう。
 中央アジア・インドネシア・シリア・ダマスカスの地方では,鉄の鍛肌の面白さを見せる刀も有るが,日本刀の様に丹念に研磨をする例は無かった。
ダマスカス刀

 以上がルイス・フロイスの「日本刀見聞録」ですが,中々鋭い所を突いて居りますので,先月号のクイズの問題にも少々ですが借用させて頂きました。
  ではこれらの記述をした,ルイス・フロイスなる者は一体何者でござるか?。
生国はポルトガル,1532年リスボン生まれ。少年時代は王室秘書室で働く,16歳でイエズス会に入ってインドに赴く。この時の上司は「あらゆる文筆の仕事に長じ判断力は優秀,天性の語学的才能あり」と賞賛をしている。

 1563年(永禄6年)31歳のおり,九州の西彼杵そのぎ半島の横瀬浦に上陸する,翌年,平戸を出発して永禄八年(1565)京都に至るが当時の京都は混乱中のため,…室町幕府13代将軍足利義輝が松永久秀等に殺され,国内は下克上のド真中。摂津や河内を流転中に信長が登場し治安が回復,フロイスも信長に見出され,岐阜城,安土城にも招かれ,京都での布教も許可され厚遇を受ける,五畿内はもとより越前迄足を延ばし,それらの見聞を本国に詳細に報告をしている。
 天正14年(1586)大阪城で豊臣秀吉に拝謁。九州豊後の大友領内でも布教。著書に「日本史」「日本覚書」「日本総論」「日本年報」等,多数あり。
 慶長2年(1597)7月8日,長崎イエズス会の修道院でアウト。65歳。

大分,フロイスの紹介が長くなりましたので,本題に戻り日本刀と他国の剣の違いの未紹介の部分を考察して見ましょう。

1.反り
 外見上はこの点が一番目に付きますな,特に地中海を中心として栄えた古代国家は全てギリシャやローマに見られる如く直剣であり,その影響で他の西欧諸国も直剣が主流になっており,我国の様な反り付きの湾刀の出現は19世紀以降のオーストリア帝国(ハプスブルグ王朝)の兵制改革による騎兵連隊でのサーベルの出現を待たなければならない。別項の如く個人的には「日本刀」をサーベル様式に改造して使用している珍しい例も有る。


 尚,日本も古代の戦闘には剣が多く使われたが,上代になるとその目的は主に宗教儀式の用具に変化し,平安中期(1000)には武器としての役目は終わり,反りの有る優美な〜世界に冠たる「日本刀」〜が出現する事となるのである。
御物 太刀 無銘(小烏丸)

 勿論,その過渡期には,平家重代の「小烏丸こがらすまる」の様な「反り付きの湾刀」も現われたり,試行錯誤の結果,日本刀のスタイルが定まって来るのであります。

2.製造方法
 西欧の剣は溶鋼炉で生産した鋼板を型で打ち抜くか,角状に鋳鋼された物を動力で削り出し加工を加えて作りますので,刀身は硬くて板スプリングの様に弾力があり弓の如く湾曲を致します。元来,原料の鉄は大変に優秀なのですが,コストの安い消耗品の大量生産を旨とした為に粗悪品が多く出回っております。

エペ(細身両刃直剣)
サーブル(片刃湾刀)
日本刀改装サーベル

 我国の刀剣の作り込みは,砂鉄から銑鉄ずくを作り,それを積み重ね鍛錬し不純物を叩き出し,真ん中に軟鉄を入れ三方を真鉄はがねで囲んで造ってあります。このため「折れず・曲がらず・よく切れる」という「日本刀」が出来るのです,一本ずつの手作りのため量産は出来ませんが,世界で最高の刀となる訳です。この作刀の方法は1200年の昔から現代まで,そのまま受け継がれており,何ら変化を致しておりませんが,刀匠を目指す若者は年々増加しております。何故なんでしょうかねぇ〜。

 実際の戦闘に於いて,我国と外国との大きな違いは,盾を持つか持たぬかであります。わが国の戦闘にて盾を使用する事は稀有でありますが,西欧にては完全な必需品で剣と盾はワンセットとなっております。
  わが国では盾の使用は無いので,片手が空き,よって刀は両手の使用となった様です。

☆ …では5月号の問題で,6月号の宿題の解答を申し上げます…☆
問題は「剣」と「刀」の違いは,と云うもので正解は3ツとしてありますが,実際は下記の如くもう少し多く有りますので,その内なら全て正解としました。

  「剣」 「刀」  
1. 両刃 片刃 基本的にはと云う事です,例外は多々あります。
2. 刺す 切る 戦闘方法より使い勝手の良さとリンクしてます。
3. 直刀 湾刀  同上 ですが,時代による違いでもあります。
4. 片手 両手 騎乗と徒歩,個人戦と集団戦,の違いも大きい。
5. 左右同形 左右異形 これは造り込みの問題で1.と共通をしております。

解答者  天位 森林慎介 殿 (森林商事)  300点満点
         贈呈:日刀保・紙上鑑定の年間全問正解の賞品「非売品の袱紗」。
     地位 中川幸雄 殿 (東木協)   280点
         贈呈:東京国立博物館・ミュウジアムショップ製「浮世絵コースターセット」。
     人位 出町正義 殿 (日刊木材)  250点
         贈呈:ウッドクラフト社製・「蛙のカスターネット」。

   

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