東京木材問屋協同組合


文苑 随想

関東に於ける「柱」に関しての一考察

東京・新木場
愛三・花筏

 本来,日本家屋に於ける本建築の柱は芯去り角である,併し天正18年(1590)小田原北条氏を降した秀吉の命により家康がしぶしぶ江戸入りするが,当時の江戸は武蔵野の外れの寒村で130年も前の長禄元年(1457)に太田道灌が建てたオンボロの小城が有るだけ,その城も大手門の破風には漁船の底板が使われていた程の風流さで,後北条氏に替わり意気揚揚と乗り込んで来た家臣団もビックリし家康も大いに慌てたが,その後,文禄・慶長の役(朝鮮出兵),秀吉の死,天下分け目の関ヶ原,と激動の時代が続き街造りどころでは無く,ようやく落着き幕府開幕となったのが慶長8年(1603)でして,その3年後より江戸城の大改築が始まり37年を掛け寛永17年(1640)に完了する。
  その城普請と併せ街作りも行われ,武家屋敷,社寺の高級建築物が続々と造られ,気が付いた時には建築資材のあらゆる物が払底し一般の庶民まで届かずパニックとなる,そこで木材も使える物は何でも使い,「起きて半畳,寝て一畳,」の西行風の東屋から材質にはこだわらない初期の茶室の如きバラックの掘っ建て小屋がドカシャカと造られ,芯去り割角どころか,間取りも本建築の京間から中京間を飛び越えて約10%も小さい関東間を編み出す事となる。そして軸物は芯持ちの方が折れず曲らず強いという,正に生活の知恵そのままである。これで関東に於ける「柱」の定義が決り,後世にセオリーとなり慣習となった,そうなると日本人は持ち前の器用さでこの定義に当てはめるべく山を作り木を育てた,そして柱を主とした尾鷲や紀州の軸物の産地と秋田を代表とする板物の産地に分れ各々その優位性,特殊性を競う事となる。「絞丸太」や「角竹」の発想や技術は世界中のどの国にも育ち得ない我国独特の文化から生じた業である。
又,育ちの早い九州の杉桧の柱角と尾鷲や紀州や天竜の柱とは,寸法は同じでも中身は相当に異り似て非なる物と伝える程である,年輪と人手を倍掛けると云う事は中身も倍以上に違うと云うことでもある,それは同じ柱でも片や35年,こなたは70年ではその中身の年輪の差が二倍以上に現われ,手入れが良ければその効果は尚更で年を経るほどウマミ成分が潤沢に出て味合い深い木目や艶と成って現れる,その材質を見極めるのが本当のプロにて,例えば市場で競る場合でも,反りも割れも来ずに長期間在庫が効くかどうかを第一番に見極め,次に役物の出を見極めて声を掛けたものである,促成栽培の物は価格は安いが三日で曲りや割れが生じ,結局は使えず信用を下落させ高い物となる。価格の差は伊達に付いてる訳では無い,その価格以上の物を引き出すのが本来の玄人と云う訳である。そこで往時はプロとトウシロウとの差が厳然と付き利益にも繋がったが,現状ではカタログ販売が全盛となり,日増しに玄人と素人の二極化が進みプロがトキ化する由々しき事態である,誰でも苦労の多い玄人の道より楽な道を選択するのは時代に関係無く至極当然の事だとは思うが,文明の利便性の追及だけでは日本固有の家という文化の存続はとてもじゃないが期待は出来ない,今迄とは質の違った危機なのである,そしてその危機感は驚くほどに我国は稀薄で有る,むしろ国を挙げて外来住宅を招来し歓迎するムードさえ感じられる,その点を突いて諸外国は自国の木材及び住宅を含めた木製品の売込にはヤタラに熱心であり必死である,例えばカナダやニュージーランド,北欧等は関連の講演会や展示会には必ず大挙して参入し貴重な時間をムシリ取って美男美女がペラペラの日本語でまくし立て羊の如き日本人を煙に巻く光景は日常茶飯である,その協賛団体が経産省,国交省となる不思議さで有る,スライドやカタログ等も豊富で質量共に素晴らしくとても研究熱心で有り,この所の各種の連続する法改正への対応も我々よりは一歩先を行き余程進んでいる様に感じられる,それに引き換え我国は依然として群雄割拠にて秋田だ九州だとセクト争いに始終して纏まらず殴り合いが続いており,その中に国も県もグッチャグチャに参加して正にフリーガン状態とはこの事でありんす,「〜誠に遺憾で有る」では済まない時代に各県別に十年一日の対応ではどない成ります,その間に敵は遮二無二に攻め込んで来ており,又,その手引をする不忠者も多く困った事でございやす。ちなみに和風とは「タタミに座る」という事が原点にて座れば目線が自ずからして異り,洋風とは感性に相違を生じ,この事があらゆる日本文化のルーツであり発祥と成る訳で,この点が土足で寝室行きの欧米の文化と根本的に異なる処である。しかし,近頃の若者の尺度は和洋折衷も極まれりで混然一体と化しむしろ没個性である,トキはカラスに変れませんがタタミはベットに変り易いのです,問題はこの点なのです。今の日本ではジャンルを問わず全てに物余りとなり,物資文明も衣,食,住に関しては究極的には完成された状態と申しても過言ではありません,世界中には,穴,草,竹,木,皮,石,日干レンガ,等々,実に様々なハウスが存在しそれぞれ「自国の文化」と根強く結び付いて独特のオリジナリティーを発揮し発展しています,この歴史に裏付けをされた「自前の文化」を否定し機能のみを追及した無機質な無国籍な文明だけでは将来その国は民族として確実に衰退し滅亡に向かう事は火を見るより明らかでしょう。
日本が世界に誇れる物はそうタントは有りません,「山紫水明」の国土と「和風の美」この2つだけかも知れません,そしてこの両方に係わる「国産材」が此れからの日本の将来を決定する最大要因で有り,ポイントとなるのは必然でしょう,国土の崩壊を防ぎ文化を守り究極的には「国民の健康と財産」を保証するのは「品確法」でも「性能保証」でも無く「国産材の振興」この一点のみで有ります,お陰様で戦後も60年が過ぎ国産材も充分に育ちました,もう外材の役目は終りました,長い間有難う御座いました。「此れからは国内の木材の需要はもう自前で充分に可能でやす」,この様なフレーズを小泉内閣の政策の目玉に据えれば郵政で不人気の総理の株も急上昇する事は確実です。しかし,これも早く致しませんと「品確法」による頑丈な躯体の家屋だけが残り,肝心な日本人が消滅してしまいます,ホルムアルデヒドからは喘息かアトピーしか生れません,木材からは明日の健康が生まれます,此れからは材木と一緒に「健康と幸福と文化」をセットで売る様に心掛けましょう。さすれば国産材も往年の輝きを取戻し甦ります,内地材全員で明日を夢見て子々孫々(少し古いな→可愛いい孫)のためにも頑張りましょう。I, shall, return.の逆バージョンにて,国産材の失地回復の健闘を祈る。

平成拾七年七月七日 七夕



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