東京木材問屋協同組合


文苑 随想

真夏の夜の夢

パートV(パートUは10月)

「開運! なんでも鑑定団」
〜出張鑑定団 in 新木場〜 外伝

愛三木材・花筏

 真夏の某日,新木場の協同組合からチリリンが有り,一寸来てくれないかとの事,駆けつけると理事長以下執行部の面々とテレビ局のADと地元のコーディネーターとで協議中,要は「開運!,なんでも鑑定団」と云う,全国的に大変に視聴率の高い番組がTV局の方から「新木場でやり度い」と言って来たがどうするかと云う事である,
  何でもこの番組は全国放送だし再放送も含めると,数千万人が見ている勘定になると,そしてロハ,無料だと言うではないか,こんな美味しい話が世の中にあるハズは無い,右と左のホホを同時に抓ってみたら飛び上がるほど痛かった,渡りに船とはこの事にて正に「真夏の正夢」である。
  木場の歴史を紹介し,次に現在の新木場を空撮と地上から写してスタートするとの事,これなら業界の宣伝ともなり,これ以上は無かんべ〜,という結論に達しゴーとなる。
  数年前に新木場の某協組が放映の打診をしたら,ウン百万掛かると言われたそうだ。

 ところで肝心な「お宝」なる物が有るのか無いのか,これが一番の問題なのであるが暫くして,その時のAD(アシスタント・ディレクター)が来社して,出来れば新木場の材木屋さんばかりでやりたいのだが,皆さん出してくれ無いで困った,と泣き言である。考えて見れば我が木材業界には天下に聞こえた資産家が多いハズなのだが,この番組はバラェテイーなので価格の落差が激しいとか,税務署がチェックしているとかと云う,噂が流布されており,それらを嫌い申し込みがすくないんだべ〜,と言っては見たが余り元気が無いので,人様の紹介は出来ないが刀で良ければ何ぼか有る,と言ったのが運の尽きで,そのまま自宅まで押し掛けられ現物とご対面となり,結局,番組の性格上価格は兎も角,話題性が欲しいので珍品が望み,との事なのでそれではランクは低いが現存品は「幻」が付くぐらい少ない物という事で,「三州・薬王寺」の脇差と相成り候。価格だけなら薬王寺の何倍もする迷刀も無い訳ではないが,その様な刀は他家にも有り,国立や県立の美術館には何振りも展示して有るのであまり面白味は無い,
  その点,「薬王寺」は故郷の美術館が「ぜひ寄贈しておくれ」と言う迷刀なのである。何故か?,「薬王寺」が造られたのは戦国前期頃(室町・文亀1500)で下克上の真最中,…下克上とは1491に北条早雲が伊豆公方の茶茶丸を襲つて始まり,1573幕府滅亡迄。
元来「薬王寺」とは薬草の菜園で有名な平安末期に建立された寺であったが,鎌倉期に兵火に罹り消滅,土地にその名のみ残れる。三河の地は鎌倉北条氏の有力な地盤なれど,幕府消滅後は駿河の今川と尾張半国の守護代織田信秀(信長の親父)とで鬩ぎ合いの地,当時,徳川は未だ奥の松平郷より出られず,ようやく惣領家7代目で家康の祖父清康が三河統一を成し遂げ,これからという時に家臣に殺され(1535)元の木阿弥,其の後は又毎日がチャン〃〃バラ〃〃で,折れず曲がらずよく切れて安い,刀が好まれる事となる,これ等の刀は戦場で消耗して終るのが宿命で,今迄よくぞ残ったと云う事なのである。その点,家宝の太刀は床の間に飾り戦場では使用しない,よって後世に残るのである。

 当社のネーミングの由来は三つ程あり,@人を愛し国を愛し仕事を愛し,で愛三,A社長が栄一,専務が門二,常務が松三,下の一字を取って愛三,Bその三人の故郷が全て愛知の三河だから愛三。この内どれだと思います,当然Bがピンポーンでしょう。実は薬王寺が当家に来たのは,小生がボチ〃〃刀を集め始めた40年程前なのですが,刀の世界で三河の古刀というのは先ず無い,有っても?なのである。原因は多々有るが近くに良質の砂鉄が無い,屋根瓦や壁土に最適な赤土の粘土はタント有るが砂鉄は無い。
  その中で今の岡崎市の薬王寺と云う寺の周辺で鍛刀を始めた刀鍛冶の集団が現れた,正式な名乗りは不明だが,寺の名前を採り「薬王寺」と云う。その期間は戦国中期から末期で長くて50年,3〜4代である。そして造るのは主に下卒の雑刀ばかりである,これでは後世には残る訳が無いのだが,ごく稀にキラッと光る名刀も出来る事も有る。
  その刀が我家に来たのである,アッチコッチの刀屋に声を掛けていたお陰なのである,この刀はその後,岡崎城内の「三河武士の館」や「美術博物館」に郷土刀の代表として展示され地元では有名,今は勿論,江戸期の刀剣書にも珍らしか〜として登場している。
  その後も探してはいるが,来るのは偽物ばかりで,本物はなかなか無くて1本だけ,それも大分時代の下った物だが,一応は手持ちとしは2本となった。

 所で,鑑定団だが八月も末のピーカンの日に,担当のADがディレクターに昇格をしてカラマンとミキサー(録音)を連れて来宅,人物の日常を紹介するとかで芭蕉記念館の裏の隅田川縁の散歩道をマロ(犬)を連れて散歩をする羽目となる,迷惑なのはマロでコイツと散歩するのは生れて11年にして初めてだワン,どういう風の吹き回しだべか,変わった事でも起こんねばエエがと,眉間に皺を寄せ舌を出し乍らフウ〃〃云っての懸命の協力である。…尤も,家内が写らぬ様に前を歩くので其方に進んで行く訳ですが。
  時折り近くを通る遊覧船から声が掛かる,完全に映画のロケと勘違いしているのだが,ニコヤカに手を振って迷優気取りで歩く,なかなか気分の良いものでござった。
  自宅に戻って庭の親父の胸像や上野の寛永寺に浅野内匠頭(忠臣蔵の張本人)奉納の石燈籠を写し,アルバムを引っ張り出しアレコレ写し,最後に「幻の名刀・薬王寺」をタテ,ヨコ,斜め,から慎重に写して終了,AM9時から夕方まで一日がかりであった。

 その後,九月三日が本番となり,天王洲のTVスタジオに向かう,何と隣の控え室は三富の 田さん一家,当日は三組の収録で初めが神戸から来たと云う祖母と孫のお二人,現天皇と皇后の肖像画を描いた唯一人の画家で昨年亡くなられた,宮永岳彦の美人画。次が 田さんのタッパが7m50と言う超ビッグなレッド・シダーのブラウン・ベアー。これは「お宝・売ります,買います」の部,運賃の方が高そうな気がしないでも無いが180万と云う立派な値が付いて大拍手。鑑定士はウッディ・プラザの村山さんでした。
  三番目が小生,初めに出場のリハーサルがあり目線や立つ位置の注意が有り本番,幕が上がり前へ進むがライトが強烈で何にも見えず,適当な所でお辞儀をして横に立つ,後ろから「お宝」を載せた台車が続き,石坂浩二と島田紳助が寄って来て小声で紳助の曰く,俺れさっきチラと見たんだがコレ怖いんだよね〜,と言い乍ら上に掛かっている布を捲くったら,刀が布に引っ掛かり落ちそうになった,この時の紳助の飛び退き方の素早いこと流石なりと変な処で感心した。ゆっくり見ていた石坂浩二と対照的であった。…後で聞いた話だが,紳助は「刃物には滅法,弱い」との事でした。勿論,この場面は本番ではカットにて放映はされておりませんが…。
  それから刀掛にちゃんと掛け直し,ハイ本番,「これは何ですか,どうしたのですか?」,実はカクカクシカジカと真顔で説明をする…,前もって実際とはかなり違うが全てのストーリーがディレクターにより全て出来ている,これがバラェテイーの真骨頂でござる。

 筋書とは,戦前の家の床の間には常に刀が鎮座していたが,家は20年3月10日の空襲で焼夷弾の直撃を受けて全焼,刀も当然その時に消滅したと思っていたが,今から30年前に親父が亡くなった折り,遺品を整理していたら出てきた,と云うストーリー。  
  これは既にお判りの様に全てがでっち上げである。但し,これは絶対にオフレコですぞ,もしバレるとディレクターは即日?首となり可哀想な事となるので頼んまっせ本当に…。
  そして「本人,評価額,幾ら!」となる,そこで又オフレコだが,鑑定士の先生とは顔なじみであり,この刀もその昔その先生の店に有った事もあり,本にも書かれている。前日,電話して番頭に「会長はナンボと言ってた?」と問うと「ツレーと言ってました」,では小生はロの字にするかで,小声で「200」と言ったら先生ニコニコして出て来ておもむろに鞘より抜いて,タンポ(砥石の粉)を打ち,ためつ眇めつ姿と刃文と肌目を見て350との鑑定,石坂浩二がその金額を電光掲示板に打つと会場が多少ザワついた。一応は150万のUPなので,打ち合わせ通り,嬉しい〜と云う顔をせねばなんねぇ,この顔が実に難しい,口を開けてニヤニヤすると認痴症みたいだし,確り見ると眉間にシワが寄るしで,ハナから出来レースと云うのも自然の表情にならず,意外に難しい。
  そして鑑定士の先生の「誠に珍しいお刀で私も今迄に何本も見ていません,お大事になさって下さい,それとお拵えがイイですね,天正拵えで鍔が尾張の金山鍔ですね」とお褒めの言葉を頂いて目出度く終了。
  …この収録と後出の「出張!お宝鑑定団 in 新木場」とを合わせて放映となった…

 こちらは9月19日の敬老の日に新木場ホールでの収録,観客は連休のためか意外に少なく200人の申し込みで約半分の100人,大半が材木屋の関係者の様であったが出場者は5人の内2人と少な目,トップバッターが田中特殊(株)の長 愛子社長,何でも開店の時に頂いたとかの伊万里焼きの花瓶を持って登場,例により南京玉簾の衣装での出で立ちである,こちらの司会は松尾伴内と本日が初日のアシスタントの女性,松尾が衣装をみて冷やかすこと冷やかす事,併し長 社長も負けずにやり返して爆笑のウズ,肝心のお宝は20万の希望に3500円の評価,これがこの番組の本来の狙いである。
  尤も,花瓶は伊万里は伊万里でも今出来の電気スタンドとか,これでは無理も無い。

 次が江戸川区?の銘木屋さんの珍しいお茶道具,スウェーデン王室が日本に注文をした茶葉入れだとか,からくさ堂の誠之助が言うには日本で一番の物で珍品中の珍品ダ!,云うが其れにしては60万とは安くは無いかぃね,若し本当なら0が一つ足らんわね。

 この後に驚いたのが,鑑定団を第一回から見ているという太刀を持って来たオッサン,その太刀が「相州正宗」の弟子「貞宗」の弟子の「高木貞宗」。勿論,無銘なのだがこれは誠に珍しい,この場合は銘が有ると逆に偽物となる物が多い,ビックリである,評価は600と出たが,この鑑定士(柴田)は付けた値段で買う,誠之助や北原は良くて7掛けでどうかである。この人は木材とは全然関係なく千葉から来たとの事だったが,刀には全然興味が無く,家のリホーム〃〃と云っていたので,柴田の新年恒例の大丸の展示即売会で見て来よう。
  普通,脇差は太刀,刀の半値なので「薬王寺」も×2で=700となり良い勝負である。併しランクは,大和,山城,備前,相州,関の五ケ国が第一順位で,他の鍛刀地は少し格が下る,併し「何に」とは言わぬがとんでも無い名品も有るので,ご記憶願い度い。要は価値とは値段+思い入れである。

 かくして「真夏の夜の夢」は白昼夢となり,ビデオだけが残ったのでござる。






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