東京木材問屋協同組合


文苑 随想


12月8日の夢

VOICE OF NEOKIBA

 我々夫婦は戦争の影を引きずった父親をともに有していた。故に少しは戦争というものに想いをいたすことができた。しかしそれを自分の内でどうとらえるかということはそれぞれの思いにゆだねられるべきものである。
  今日,日本国民として等しく反省すべき開戦(ハワイ真珠湾奇襲攻撃)60年後にして,その後に生を受け平和を享受した者たちに問いたいと思う。国と国とが争うこととはどういうことか?主義主張のぶつかりあいか?信じるところの宗教の違いか?お互いの権益の貪りあいか?そのなかにおいて戦争をさせる者,戦争をさせられる者の心のありようをただしたいと思う。
  国を憎むこと,人を憎むこと,これは民主主義自由社会において言論の自由のなかに認められている!しかしいかなる理由においてもその生命を絶つことはけっして認められてはいない。昔から言われていることだが少数の殺人は犯罪だが国家規模の殺人(=戦争,これをそれぞれの為政者は正義というであろうが)はそこに属する民衆を煽動し正当化する。被害者は常に戦いをさせられる民衆にある。これまで国家間の戦争においてそれを決した元首が前線に立ったことがあるだろうか?一市民の生存も保証しえないものが民衆の上に立つことが許されるであろうか?
  主権国家を守るための武力は必要ではある,しかしかつて山本五十六が「百年,兵を養うは国の平和を守るためにある」と言った,誠に同感である。武力とはそれを行使しないことに意義があると思う,それを行使させないことを考え行動するのが国を統べる者の責任であると思いますが皆様にはいかがですかな?
  以上,寒気忍び寄る布団のなかで見た夢でした。





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