東京木材問屋協同組合


文苑 随想

歴 史 探 訪 No.40

「番場の忠太郎」劇場篇

歴史 訪人



 実は私の知り合いに「沢竜二」と言う役者がいる。そして私が大変お世話になっている方と沢氏とは,さらに親しくしていて,お誘いを受け彼の芝居を一緒に見に行く事になった。
 その名も,旅役者「全国座長大会」である。この「沢竜二」氏は,この全国旅役者の会長をつとめ,年に一回東京でこの「全国座長大会」を2日間興行し,大入り満員の盛況を博している。全国の座長が約30人程出演するので,大変な豪華メンバーであり,内容も充実しており,見ごたえがある。
 今回の出し物は,上記主題の「旅鴉・母をたずねて,(番場の忠太郎)」であった。
 さすが,座長達の主演だけあって,芸がこまかく,泣かせる場面が何度かあって,久し振りに,ハンカチを濡した。

 皆さん,「氷川キヨシ」と言う演歌歌手をご存じだろうか。数々のヒット曲があるが「箱根八里の半次郎」で一躍スターダムにのし上り,若手演歌歌手の横綱と言われるまでになった,まだまだ若い歌手である。
 その「氷川キヨシ」が,昨年「番場の忠太郎」と言う歌を出して,レコード大賞にノミネートされたが,惜しくも大賞は逸した,と言う訳で,昨年来ちょっとした,「番場の忠太郎」ブームになりかけたのである。
 そんな訳で,この「忠太郎」と言う人物に興味を持ち,調べて記して見ることになった。

 戦後,九州の片田舎にも,旅役者のドサ廻りの劇団が来て,秋の祭りのある頃,神社の広場に足場丸太で舞台を作り,何日か演じた。戦後,娯楽のない片田舎の楽しみは,子供の運動会,お祭りに,この芝居ぐらいだったのかと,小さい頃の事を思い出した。
 そしてその劇団もこの「番場の忠太郎」は,よく演じたのではなかろうかと思い出しながら,裸電球のぶらさがる田舎の舞台が脳裏に浮んで来たのである。

 この「番場の忠太郎」とは,ご存知,長谷川伸原作の「瞼の母」に出てくる一渡世人の物語であるが,この渡世人とは簡単に言えばヤクザであり,博徒である。
 そもそも忠太郎と言うのは,しがない旅烏と言う事で,この旅烏とは,定まった住居もなく,旅をしつつ暮らしている人ということで,またの名を無宿人,ちょっと違うと思うが,今で言うホームレスと言うことになるのかも知れない。
 又,忠太郎は,なぜ母と別れてしがない旅がらすになったのか,生れた国はどこなのか,定かではないのである。

 「沢竜二」の「旅鴉・母をたずねて」は
         全六幕(六場面)
          1場 大利根川のほとり
          2場 夜鳴き地蔵のほとり
          3場 半次郎の家前
          4場 水熊屋の勝手口
          5場 水熊屋の座敷
          6場 江戸の村はずれ(荒川堤)

 勿論,主役は「沢竜二」忠太郎の役であった。
 最後に母に会う事は出来たが,別れなければならない理由があって,出て行く時…

 母親と別れ行く忠太郎の名セリフ:
「別れて永い年月を,別個に暮らしているとこれほどまで,双方の心に開きが出来るものか〜〜〜」
  このまま読むだけでは何んの感激もないが芝居の中で「沢竜二」が語るとほろりとする場面であった。

 「瞼の母」の物語を簡単に記して見ると…。

 「忠太郎」が飯岡宿の助五郎一家のイカサマ賭博に腹を立て,助五郎を襲って怪我をさせたというところから芝居は始まる。
 この時,新米ヤクザの半次が忠太郎に子分になりたいと懇願したが,「忠太郎」は半次を生まれ故郷の武州金町に帰って堅気になるように説得する。
 ところが,二人を追ってきた助五郎の子分,七五郎と喜八が,半次の家を突き止め,呼び出し状を突きつけて来たのである。
 半次の帰宅に母おむねと妹おぬいは涙を流して喜ぶのも束の間,二人が押し入り乱闘になったが,ちょうど通りかかった「忠太郎」が,七五郎を切り倒したのである。「半次」への後難を恐れた「忠太郎」は,自分が斬ったと紙に書いて近くの戸に貼り付けて立ち去るのである。
 一方,「忠太郎」が捜していた母の消息を知ったおぬいは,「忠太郎」を追って,潮来の宿で「忠太郎」と再会するが,ここに助五郎の回し者が「忠太郎」を待っていたのである。この時,八州の御用役人,青木一作と子分の清吉を見て,回し者は逃げ,「忠太郎」は捕らわれたが,清吉の持っていた金町での貼紙を見て「忠太郎」は母お浜に一目会ってからと頼んで,青木の慈悲で釈放されるのである。
 「忠太郎」はおぬいと江戸に向い,橋の上におぬいを残して母に会いに行ったが,娘お登世の為にと,お浜は涙を呑んで彼を突っぱねる。ここで前記の捨ゼリフ,(「別れて,永い年月を〜〜〜」のこれはけっこう有名なセリフであるが…)を残して立ち去る「忠太郎」を見た,お登世にお浜は迫られ,お浜は娘と共に「忠太郎」の後を追って行く。舞台ではこの辺がうまい役者か,へたな役者かの別れ道なのだが仲々,泣かせる所の一幕であった。
 「忠太郎」は再び助五郎の刺客に襲われ,彼の名を呼ぶ,お浜達の声を振り切る様に相手を斬り捨てた。そして「忠太郎」は又旅に出るのである。

 以上が私の私感も入った物語のあらすじであるが,文中に飯岡宿,潮来,武州金町等が出て来る。調べて見ると…。

 飯岡宿とは,千葉県銚子市の近くに船岡町と言う町があるが,ここの事らしい。
 潮来は,勿論,茨城県潮来市の事を言っている。
 武州金町とは,東京都葛飾区金町の事で,この葛飾区あたりを昔武州と言ったのである。

 文面の中に人の名前が出て来るが,少々説明の必要があるので記して見た。
 飯岡の助五郎(銚子一帯のヤクザである)阪東太郎の名で知られた利根川の河口近く,總州(千葉県)一帯に天保の頃,お互に覇を競う博徒の二大勢力を張っていたヤクザで,その一つを飯岡の助五郎,他を笹川繁蔵といって,事あるごとに近隣の百姓をいたぶり,米薪炭等を巻き上げ,婦女子を奪い,田地田畑を荒し回ったが,その取締りに当るべき役人達は,博徒に買収されてしまっていて,百姓たちには何の救いにもならない極悪非道のヤクザと言う事になっていると言う。
 しかし,町の資料には,飯岡助五郎と言う人は,付近一帯の網元として漁業経営を行い,海岸に護岸を築くなど,社会政策にも功労があったと記されているようである。
 一方,笹川繁蔵は利根川沿岸(千葉県香取郡小見川町あたり)の大親分で,その狼藉に対て逮捕状が出され,召し捕りに赴いた助五郎との戦いが,世に言う大利根河原の決戦ということで,後に「天保水滸伝」として,芝居や浪花節にまでうたわれたと言うことだ。
 この時,繁蔵側が勝利したとなっているが,その後,助五郎の子分らが繁蔵を討ったとなっている。
 又,この笹川繁蔵には武士でありながら,ヤクザの用心棒となった,平手造酒と言う人がいる。この平手造酒は北辰一刀流千葉周作門下を破門になり,唯一,心を通わせた,ヤクザ繁蔵の用心棒となって利根川で死の剣を振るったのである。
 なんだか,「番場の忠太郎」が「飯岡助五郎」にうつり,またまた「笹川繁蔵」に行き「平手造酒」までに行ってしまった。ついでに利根川と言えば,田端義夫の「大利根月夜」や三波春夫の歌に「大利根無情」と言うヒット曲があるが,これが「平手造酒」の舞台となるのである。

 ここまで来たら,演歌好きの人のために,「大利根無情」の歌詞を記してみよう。

      「利根の 利根の川風 よしきりの
       声が冷たく 身をせめる
       これが浮世か
       見てはいけない 西空見れば
       江戸へ 江戸へひと刷毛
       あかね雲

  セリフ  止めて下さるな 妙心殿
       落ちぶれ果てても 平手は武士じゃ
       男の散りぎわは 知っておりもうす
       行かねばならぬ 行かねばならぬのだ」

 なかなか良いセリフで,たまらない見せ場ではありませんか。最近,これを歌う人も少なくなったが。

 それでは,氷川キヨシの「番場の忠太郎」の歌詞を記して見て,良いか,悪いかご覧あれ。

  「番場の忠太郎」 作詞 松井由利夫
       筑波颪も 荒川土手を
       跨ぎゃほぐれる 三度笠
       顔も知らねえ 瞼の母に
       もしも遭えたら 話しのつぎ穂
       なんとつけよか なんとつけよか
             忠太郎

  セリフ おかみさん どうしても倅とは
      忠太郎とは呼んじゃくれねえんでござんすね
      母恋しさに流れ流れて幾年月
      …あんまりじゃござんせんか

      渡世仁義の 切り口上は
      恥の上塗り さらすだけ
      せめてたよりは 親子の絆
      どんなお人か ご無事でいてか
      思うだけでも 思うだけでも
            泣けてくる

  セリフ こうして,両の瞼を合わせりゃ
      優しい笑顔がうかんでくらあ
      もう二度とお目にやかかりませんが,
      いつまでも達者でいておくんなせえよ
        御免なすって…おっ母さん
       …… 続くが ……
            (コロンビアのカセットより)

  「番場の忠太郎」 作詞 歴史訪人(劇場篇)


       母と別れて 32年
      ヤクザの道に はいったが
      親に会いたい 一心に
      賭博で 稼いだ百両を
      肌身はなさず 旅烏
      母の暮らしが 気がかりで
      おわれる身の 淋しさに
      悲しい時は 目をつぶり
      瞼に浮かぶ 母の顔
      苦労の末に 会っては見たが
      永い月日の へだたりは
      元にもどれぬ 二人の心
      再たび 旅立つ忠太郎

セリフ  忠太郎…,お兄さーん,母上〜。


  と言うわけで,あっちこっちと話はいききしたが,「番場の忠太郎」とは,人情の厚い人で心のやさしい男であった。親子の絆の大事さ,大切さを忘れかけている現在に,そして人間の「愛」を忘れかけた人達に「忠太郎」の心を伝えたい。いつかは別れが来る家族なら,せめて仲良く暮らせる間だけでもと思う。と沢竜二は,忠太郎の役を通してそう語っているようであった。

平成18. 2. 9日



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