東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(2)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 『嘶く駒も御進物』,これは我々が学生のとき,歴史の年号を覚えるときに使ったキーワードである。つまり,(いななく)=西暦一七七九年は,田沼意次が側用人から出世して,老中にまでのぼりつめ,権力を嵩に着て贈収賄政治を行った年であります。
 前回は,臨海開発の事始めを探訪しましたが,今日は,江東区では昔どんなことが起き,活躍した人物について探訪致します。
 田沼親子による贈収賄の横行と,江東区とはどのような関係があったのでしょうか。
 政治が腐敗すれば,それを浄化しようという動きが起こるのが世の常でありまして,田沼親子の後に登場するのが,寛政の改革を断行した松平定信であります。
 定信は享保の改革を行った八代将軍吉宗の孫に当ります。政界で頭角を現わす為に,幕閣の株を買ったとも云われていますが,それだけではなく,白河の藩主のとき,善政を施した実績を高く評価された上での抜擢でありました。その善政とは一体何でしょうか。
 一七八六年に浅間山が大爆発をします。噴煙は天空を覆い,天候不順となり,日本中で米が穫れなくなり,全国でなん十万人もの餓死者が出たと云われています。一七八七年の天明の飢饉です。ところが,名君の定信は,いつ起きるかも知れない天変地異に備えて,天候不順に強い蕎麦の栽培を奨励していました。定信の賢察によって,白河領内は一人の餓死者も出さなかったそうです。
 浅間山大爆発の影響は,日本国内だけにとどまらず,噴煙は地球を三周し,世界各地で天候不順となりました。
 一七八九年,フランス革命が民衆によって起こされましたが,その元凶は,はるか地球の裏側で起きた浅間山大爆発でありました。欧州までとどいた噴煙は天候不順をもたらし,パンの原料の小麦が不作となり,民衆は,パリに押しかけて,「パンをよこせ」と云って騒ぎました。時の王朝はルイ十六世で,王妃はウイーンのハプスブルグ家からはるばる嫁いで来た,あのマリー・アントワネットです。騒ぎを聞いた王妃は,「パンがなければケーキを食べればいいでしょ」と云ったか,云わなかったか,そんな風説がまことしやかに民衆に伝わり,怒った民衆は王妃をギロチンにかけ,フランス革命へとエスカレートしました。
 フランス王朝は倒れましたが,江戸幕府は寛政改革によって辛うじて安泰でありました。
 ところで,定信の寛政改革の評判はどうだったのでしょうか。『白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき』
 成長経済の後の緊縮財政,厳しい倹約政策に庶民は上記の狂歌に託して憂さを晴らしたそうです。
 いつの世にも改革には歪みが出て来るものでありまして,現代の小泉改革にも,耐震偽装事件,ライブドア粉飾事件等,まだまだ,九月の任期までもっと出て来そうですね。
 三十才の若さで老中に抜擢された定信は,引退後,楽翁と号し,江東区白河町を終の住処と定め,『花月双紙』等多くの随筆を著し余生を送ったという。墓処は白河町霊厳寺にある。




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