東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.73

「舌切雀のお宿」探訪記      

青木行雄


 磯部温泉は,群馬県の南西部に位置する安中市に在る。江戸から五街道の一つ中仙道(国道18号)が通っていて,昔,碓氷峠を往来する旅人や,近在からの湯治客で,古くから賑わっていた温泉である。
 明治になってからは,信越線の開通により都会からの避暑の客が多く来るようになり,一層の賑わいを見せたと言うことである。
 かなりの昔から温泉は湧いていたようであるが天明3年(1783)の浅間山大爆発で湧出量が飛躍的に増え,現在のような発展をみたと伝えられている。
 そんな磯部の里に「舌切雀」の伝説が伝わっていると言うので,探訪好きの私は,今回磯部温泉にやって来た。
 この磯部の里はうしろに険阻な妙義の山々,前に清らかな碓氷川が流れ,竹藪に囲まれた静かな山村であったことから(今でも竹林は多く見ることが出来た),この磯部温泉に「舌切雀」の伝説が伝わったのであろうと言う。そしてこの「舌切雀の宿」には,敷地内に「舌切雀神社」が祭られ,宿には,はさみ,つづら,舌切雀絵巻などゆかりの品々が残っており見る事が出来る。ここではこれらの神社や品々を伝説に基づいて後で用意したに違いないなどと思っては,昔話がこわれてしまうので,そっと信じることにしよう。
 ちょっと年配の方なら,ご存じのように舌切雀の伝説は多少聞いた事があると思うが,若い人は知らない人が多いようである。
 昔,おばあさんに舌を切られた小雀をあわれに思ったおじいさんが,舌切雀のお宿を訪ね,そこで雀たちから大歓迎を受けるという動物報恩譚の一種であるが,また,欲張って大きなつづらをもらったおばあさんが怖い目にあうと言う教訓を含んだ昔話である。
 この舌切雀の話は全国に様々な所で伝説があるらしいが,明治の文豪「巌谷小波」と言う先生がこの磯部温泉こそが舌切雀伝説発祥の地であると折紙を付けて,その時に詠まれた句に下記の句碑があって見ることが出来る。
              「竹の春雀千代ふるお宿かな」

広い磯部ガーデンの敷地内の一角にこの舌切雀の神社が鎮座していた。

 この「舌切雀のお宿」の玄関に入ると,おじいさんと小雀が迎えてくれる。そして最新テクノロジーを駆使したと言うサイボットシアターによるアトラクション,「舌切雀物語」が動く人形によるショーが毎夕,4回ぐらい演じられていた。

巧妙に動く,この人形シアター,物語は10分ぐらい続くが,コマーシャルも出て来て傑作であった。

 折角だから,今回は子供にかえって,面倒がらずにこの舌切雀のお話を読んで下さい。

「舌切雀物語」
 むかしむかし あるところに おじいさんと おばあさんが いました。
 こどもが ないので 山で ひろってきた 小雀を 自分の子のように かわいがっていました。
 かごのとを あけてやると 小雀は すぐに おじいさんのかたにとまります。
 てにとまって えさも食べます。
 えさを食べながら うれしそうに ちゅんちゅんとなきます。

 ある日 おじいさんは 山へ 柴かりに 出かけました。
 しずかなことのすきな おばあさんは 小雀を うるさがって あいてにしてやりません。
 ひとりぼっちの 小雀は えんがわにあった のりを 見つけて みんな なめて しまいました。
 「せんたくものに つけようと おもって せっかく わたしがつくった のりを たべて しまうなんて わるい こだ どこかへ いって おしまい」
 おばあさんは 小雀の したをきって おいだしてしまいました。

 山から かえってきた おじいさんは その話を きいて たいそう かなしがりました。
 そして つぎのひのあさ おきるとすぐに 小雀をさがしに でかけました。

 「したきりすずめの お宿はどこだ。かわいい 小雀 どこへ いった」
 おおごえで そういいながら おじいさんは 山のなかを だんだん おくへ あるいていきました。すると たけやぶの なかに 雀の お宿が みつかりました。
 小雀の お母さんが 出てきました。
 「おじいさん よく いらっしゃいました。小雀は 元気です。まいごに なった あの子を かわいがって くださって ありがとうございました」
 「さあ おあがりください」
 小雀の お父さんも出て来ていいました。たくさん雀が出て来て おどりはじめました。
 それを 見ながら おじいさんは ごちそうをいただきました。
 「たいへん おせわになりました。小雀さんが 元気でくらしているのを見てあんしんしましたよ」
 そういって おじいさんは かえりじたくを はじめました。
 雀たちは,大きなつづらと 小さなつづらをもってきました。
 「おじいさん おみやげに どちらでも おすきなほうを おもちください」
 「わたしは としよりで ちからがないから ちいさなつづらをもらいましょう」
 うちへもってかえって つづらをあけると たからものがたくさんでてきました。
 「まあ ありがたい」
 おじいさんは おおよろこびです。

 ところが おばあさんは よくばりです。
 「おおきいつづらを もらってくれば もっとたからものが もらえたのに」とくやしがりました。
 「わたしは どうしても おおきなつづらを もらってきますよ」
 おばあさんは,とうとう でかけていきました。
 やぶのなかへ いって おじいさんとおなじように 雀のおやどで ごちそうになりました。
 おみやげには 大きなつづらをもらって おばあさんは よみちを いそいで あるきました。
 つづらは ずしりと おもい。
 おばあさんは がまんが できなくなって とちゅうで つづらをあけました。
 たいへん たいへん。
 おばけが たくさん でてきました。
 おばあさんは こしを ぬかして しまいました。
おわり

 この話が,シアター「舌切雀物語」で見ることが出来る。たまには子供にかえって,こんな話もいかがですか。

ホテル磯部ガーデンの表玄関

 今時,700人もの客を収容するホテルで,200人もの社員を抱えながら,バブル以降営業を続けられる様なホテルは数少なくなったと聞いているが,このホテルは元気なようであった。
  磯部温泉には,10軒ぐらいのホテル,旅館があると言うが,このホテル磯部ガーデンが1番大きく,内容も充実しているようである。上記の写真は,この磯部ガーデンの表玄関であるが,比較的サービスも良かった。
  厚かましくも思ったが,そこは,見たり,聞いたりの,本領を発揮して,総支配人に面会を申し出て,
  「地方の大型観光旅館,ホテルの不振が続く中,200人もの本社員を抱え,700人もの客を収容出来る,地方ホテルの経営哲学は何か」と質問した。
  小泉支配人の言葉
  「200人の社員はお客様が少ない時も少なくしません。サービスがおちるから,当館では,舌切雀の心で,おもてなしすることをモットーに,お客様にご満足という“つづら”をお持ち帰りいただけますよう努力しています」
  なるほど,当館には,「舌切雀」と言う,強い味方があったのだ。

平成18年2月26日記


          「舌切雀のお宿」    (平成18年2月19日)
  詩
           群馬の安中 磯部の里に
            舌切雀の お宿はあった
            古く伝わる 伝説を元に
            神社があって つづらも用意
            雀めの由来を つたえてる

            玄関で じいと雀のお出迎え
            シアターで「舌切雀物語」も上演し
            客の心を 引きつける

            七百人 収容の大型ホテル
             二百人もの社員を 抱え
             継続 出来てる このお宿

             舌切雀の 御利益か

 

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