東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」

其の29〈入門編・折紙〉

愛三木材・名 倉 敬 世

 普通「アレは折紙付きダ!」とオールラウンドに人にも物にも申しますが,さて,「折紙」とは何んだべぇ〜,となると意外に判らぬ人が多い様でござる。そこで今回は先月号でお約束をしたにも係わらず諸事繁多により,パスをしたお詫びにじっくりと有ること或る事を,ご覧に入れましょうぞぇ…。

 折紙の本来の意味は公文書や贈呈目録に用いる,二つ折りにした奉書紙の事。近世初頭の室町幕府の末頃より様式化され,刀剣研磨や貨幣鋳造として幕府の御用を勤めていた,本阿彌家や後藤家の発行した刀剣や金貨(大判)の鑑定書がその型式でしたので,そこから絶対に正真であり保証出来ると云う「折紙」と云う言葉が一人歩きを始めた次第です。
 種類も,太刀折紙,鑑定折紙,剣相折紙,名字折紙,小道具折紙,明珍折紙,田沼折紙,等があります。全て「鑑定書」ですが微妙に違いがありますので…。

(1)「太刀折紙」(押画参照)進物が太刀の場合,…古来は太刀と馬はワンセット。
 この場合は併記して縦に三つ折りにして贈った。但し,天皇が将軍家へ贈る場合は,折紙にせず全紙のままで「御太刀一腰 御馬一疋」とだけ記して他の文字は一切なかった。太刀目録と太刀折紙とは普通は同意義に使われているが,「御馬 一匹」と書く場合は目録,「御馬代 万疋」等と代金を書く場合は折紙。
 太刀を贈呈する際は,太刀の柄を贈主の右手になるように,刃は贈主の方に向く様にして,鍔や金足物が折紙の上に載る様にして置いた。
 桃山時代以降は,豊臣秀吉の家臣の曽我又左衛門が創めた曽我流が行われて,室町期とは少し違って来た。例えば太刀や馬の他,更に一品追加し贈る場合を三色折紙,二品なら四色折紙などと呼ぶ様になったが,今迄に無い用語である。
 尚,贈主の署名の仕方は,家格によって姓と官職だけ,あるいは名乗りだけ,等と区別があった。
 料紙も将軍家から禁裏(宮中)へは大高檀紙,大名から将軍へは小高檀紙か,
備中紙,一般から将軍へは小引合わせ紙か杉原紙を用いる等,区別されていた。

(2)「鑑定折紙」現今,折紙と云えばこれを指すが,その起源は新しく室町末である。…それでも400年は超える…鎌倉期や南北朝期の物もあるには有るが,個人の目利としての覚書や秘伝書の類であり,絶対的な価値は確立していない。
 因みに「秘伝書」はどのジャンルの秘伝書も読んだダケでは皆目判ら無い。特に色や呼吸(タイミング)は一子相伝なので伝承者よりの手取り足取りが必要。

 古い鑑定状では,赤松下野入道政秀の残した物に次の様式の物がある。
           長サ弐尺六寸七分
菊一文字 有銘刀  乱のやき 反り 八分半
           正真と存候 いよ〜御家宝尤ニ候
           文明二年卯月四月四日 下野(花押)
      蔵 人 殿

 その他,三好長慶の延徳三年(1491)九月十一日付け,細川幽斎の天正九年十一月二十九日付けの物もあるが,いずれも手紙にて用紙も切紙の型式である。先般,NHKの大河ドラマ「巧名が辻」で自爆して果てた,松永弾正久秀のは「一入の出来ニ候。業も左こそ可有之候」とあって,下札の型式になっている。折紙の型式は本阿彌家が刀剣極め所となってから確立された,時期は慶長二年(1597)に秀吉が折紙の裏に押す「本」という銅の角形の印を授けて認可した。それ迄は,小型の丸印が捺して有り,これは元和二年(1616)まで続いている。尚,刀剣と本阿彌家との係わりは,膨大な記述になるので後日に一章を設ける。

光徳が秀吉から拝領した銅印,折紙の裏に代々共通して捺印に使用したもの

 折紙の書式は下記の通りで,日付は全て「三日」である。三日は九代光徳が極め所に認定された日で,本阿彌家では毎月この日に全員が集まり審査をした。これを「内寄合い」と云い七家で合同審議をした,その結論に従い本家の名で折紙を発行したが,そのうちで一家でも異議が出ると,更に砥ぎ直して,二月・七月・十一月の各三日の「惣極め」の日に再審査をする事になっていた。
従って,時に有るが日付が「三日」以外の本阿彌家の折紙は全て眉唾物である。

折紙の例 本阿弥光室(元和九年折紙)
光温(寛永九年折紙)

 折紙の紙の質は奉書紙で,十代光室,十一代光温は薄いが十二代光常(1688)頃より厚くなった,これは幕府に願って加州産の紙を毎年300枚づつ賜わる
事になったからである。紙型も其れ迄は不定であったが,以後はほぼ一定した。
  書体は光徳は「光徳刀絵図」(重文)に見る如く独特のものがあるが,光室は能筆と云われるだけあって優雅な書体である。光温も初めはまろやかな書だが,中年から光悦流になった。以後の各代はいずれも光悦を範とした。

 折紙に記す刀工銘は名物などの刀号を有する場合は,「ツリガネ切 国行」と刀号を併記した,刀の代付(価格)は初めの頃は,板倉勝重・本田正純が家康の意を受けて協力をした模様である。代付けには金極めと銭極めの二種があった。光徳・光室の時代には拵までを含めての代付けだったが,以後は拵えを除いた。

 銭極めは「代何貫」と代付けするので貫積りと云うが,代付けの低かった
初期はよく銭極めが用いられた。五枚と書くより百貫と書く方が高価に見えるためだが,代付けの多くなった光常以降は金極めを用いるようになった。
 銭とは,一文が五銭にあたる中国の古銭(永楽銭よりも以前の銭)を云うが,この二百文が一貫,二十貫が金一両(4000文),但し,折紙に記載の一枚とは,大判なので小判なら十枚である。価値は物価が異なるので換算は不可能なり。

 折紙は,宗家十三代の光忠(享保10年・1725)迄を“古折紙”と称して珍重をする。この時期までは鑑定が厳格で信用が置けるからである。それ以後は乱発されて信用は失墜した。例えば依頼者の求めに応じ,凡刀でも正宗等の折紙を出した。
 折紙料は金百枚に付き銀十枚の割(換算率60%)なので,高い代付けの折紙を出せば,それだけ収入も多くなる勘定であった。その勘定に目が眩んだせいも有って乱発したので,折紙の権威が次第に無くなっていった。

 泰平の世が続くと賂が横行するのは世の習い,「越後屋,お主も悪よな?」の世界である。武家も町人と結託すると,「お家は断絶,その身は切腹」となるが,「金銭は不浄」なのだが「刀剣は武士の表道具」,と云う奇妙な理屈が成立し,武家同士ならば公然とやり取りが行われていた。それでも初めの内は遠慮して,現物の太刀や刀を本阿弥家に鑑定に出し折紙を付けて貰い,それを贈る相手に自家から届けていた。貰った方は用人が出て来て,「それは〃〃ご丁重な事」で受け取り,代付けを見て本阿彌家の番頭を呼び,「当家では余っておる」よって「下げ渡す」となり,刀を預けられた本阿彌家は後日その代付け通りの金子を届ける。勿論,その金子は前以て贈主から頂いている事は論を待たない。
 のシステムが発展すると,現物は姿を見せず,折紙だけがアッチコッチに移動して,その後を金子と本阿彌家の番頭が追っかけて行くことになった。
これが天下に名高い,十一代・徳川家斉の用人・田沼意次の「田沼折紙」である。

 又「抜け折紙」と云う物も有ったが,これは本阿彌家の用人が勝手に銅印や用紙を使って,小遣い銭を稼ぐ為に発行した物であり,価値としては0である。
 本阿彌家から正式に出した折紙でも,実際の売買価格とはかなり違っていた。享保十九年(1734),本阿彌六郎右衛門が無銘の越中・則重を売った時の記録を見ると,七十五枚(7500両)の折紙付が,実際の売値は二十五両に過ぎなかった。要するに30倍の折紙が付いていた事になる。
 徳川幕府の崩壊により,本阿彌家は「目利き究め所」の地位も,録も一挙に失った,明治政府はそれを憐れみ,その代り「宮内庁御剣掛り」に任命をした。其れには本阿彌八家と薩摩の川南門次盛謙らも加わっていたので,宮内庁では本阿彌家の折紙を禁止したが,代りに御剣掛全員が連署した折紙を発行させた。併し,その制度も一年位で廃止されたので,以後は本阿彌十二家中,刀剣界に踏み止まった,2〜3の者が思い〃〃に折紙を出すようになった。

(3)「剣相折紙」 刀の地肌・刃文・疵・等から,吉凶を占う剣相家の発行した折紙。剣相家にも流派が多く統一した様式は無かったが,折紙に吉凶を書いた物がある。

(4)「名字折紙」 領主等から,名乗りの一字を刀工に与える旨を記した一字状。又は,名字状が折紙になっているもの。佐賀藩主・鍋島勝茂が伊予宋次の嫡子・宗安に与えた名字折紙は次の如しである。

 寛永九年     実 名  宗 安
        勝 茂(黒印)
      九月九日     境林十郎とのへ

(5)「小道具折紙」 金工の後藤家で先祖の作に対して発行した折紙。後藤家の作品の古い物には特に無銘が多いため,その鑑別方も早くから研究されていた。元和の頃より,後藤弥兵衛や後藤喜右衛門の名で目利秘書が執筆されている。折紙も同じ頃より,後藤の本家の徳乗の名で発行されている。江戸では後藤の各家が月に1?2回,本家の四郎兵衛宅に集まり依頼品を鑑定し折紙を発行した。京都では勘兵衛の名前で発行したが,それ以外の後藤家でも発行が出来た為に,幕末に出された物は延乗か一乗の物は安心出来るが,その他の折紙は贈答用に無理な鑑定を強いられ,イマイチ信用が出来ない物も有るので注意が肝要なり。

(6)「明珍折紙」 甲冑師・明珍大隈守宗介の発行した信家鍔の折紙の事である。宗介は信家が明珍家の先祖として宣伝に努めたが,信用度はイマイチである。
※ 明珍家は甲冑の名跡,信家は鍔の大家。

 其の他にも「折紙」が付いた言葉は下記の如く数多ござるでござる。

折紙台帳=本阿彌家で発行した折紙の原簿。大変に評価が高く貴重,重文?
折紙太刀=折紙の付いた太刀,但し,代付け(価格)の高い名刀を意味する。
折紙道具=折紙の付いた刀剣,一般に上等の太刀・刀の意味に使われている。
折紙 婿=和泉流の能狂言の題名。婿取りの話を名刀を絡ませ面白く演じる。
折紙 物=折紙は金四枚以上の刀でなければ出なかったので,相当上等な刀。

※ 刀剣の疑問・質問はどし〃〃お願いします。目から鱗が落る事が有る鴨ょ。

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