東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本人 教養 講座 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀♪」

其の33〈皇位と神剣〉

愛三木材・名 倉 敬 世

「神武天皇御東征」 野田九浦画(神宮徴古館蔵) 金銅装頭椎大刀

 今回は恐れ多くも,我が大和民族の原点である皇室と剣との関係を考察して見ましょう。高天原(天上)より天照大神の命により,生まれて間もない我国(葦原中国)に瓊々杵尊の一行が日向国(宮崎県)の高千穂峰に天降った,この時に佩用していたのが,長さから十柄剣,外装から頭椎之太刀と称される直刀にて,これ等は全て韓鋤之剣や高麗剣,圭頭太刀と呼ばれていて朝鮮や中国産の太刀で国産では無い。当時の我国には鉱山開発や鋳鋼技術は未だ無く,鋭利な刃物は舶来物しか無かったのである。よって,此れらの太刀は現在でも日本刀とは呼ばれていない。日本刀の出現は後述の「もののけ姫」の物語の後である。

 この度,秋篠宮と紀子様の間に皇位継承第三位の悠仁親王が誕生されましたが,誕生と同時に天皇陛下より「守り刀」を授けられる「賜剣の儀」と申す儀式があります。これは「命名」より早いのでひょっとすると悠仁親王の個人資産の第一号かも知れません。

守り刀の外装 梨地菊唐草文蒔絵合口拵

 この「守り刀」の製作は現存の刀匠の第一人者である無形文化財保持者(人間国宝)が,斎戒沐浴をして鍛刀を致します。今回は新潟の宮入一門の天田昭次師が指名されました。尚,皇族は全ての方が男女の別なくご自分の「守り刀」をお持になられておられます。

 又,逆に天皇が逝去されますと,帝位の空白は瞬時たりとも許されぬ為,皇太子が即刻,践祚されます。践祚とは「祚ヲ践ム」,つまり天皇の位を継承すると云う意味であります。「皇室典範」・第十条.「天皇崩ズルトキハ,皇嗣即チ践祚シ,祖宗ノ神器ヲ承ク」とあり,これを剣璽渡御と申し「神器」とは三種の神器(天叢雲剣 八坂瓊曲玉 八咫鏡)です。併し,剣は天叢雲剣が草薙剣と呼称が変わり熱田神宮のご神体となっていて動かせず別物,又,神鏡の八咫鏡も宮中の賢所に有りこれも動かせないので,本物は璽だけの渡御となる。

 剣璽継承の儀は皇居正殿に皇族をはじめ国務大臣以下高官が整列,そこに皇太子殿下が出御され南面して着座される。剣璽は先帝のご寝所の近くに設けられた「剣璽の間」より侍従が捧持して,先ず神剣を皇太子の前の机の左の上に置き,神璽は右の上に置かれる。日本国の印章の「国璽」と天皇の印である「御璽」は前面に置かれて,一連の儀式は終る。
 この儀式は戦前は「登極令」として国の儀式であったが,戦後は天皇家の私事とされた。しかし,現在では以前に戻り昭和天皇の喪の時には国事行事として執り行われている。
 この「承継の儀」が滞りなく終わると,皇太子は正式に皇位を継がれて天皇となられる。この後,新天皇は剣璽を侍従に捧持させて入御され,国璽と御璽は宮内庁秘書官が奉じて退室をする。

建速須佐之男命
櫛名田比売

 さて,天上より天孫が降臨した内で,天照大神の弟であるが余りの乱暴者のため地上に追放されて来たのが須佐之男である,この荒神が大国主命が建国した葦原中国の出雲族の力の根源であるタタラ場に目を付け,八岐大蛇より櫛名田姫を救出という美名の下にて,出雲の「簸の川」の上流で日本でもナンバーワンの砂鉄の産地に乱入し占拠してしまった。
 この占拠により,天孫族は玉鋼という優秀な鉄を手にする事が出来,武器を始め農具等全てに於いて他の部族より優位に立った。一度,長脛彦に阻まれた神武東征も二度目には成功し無事に大和国に入り,日本国を建国する事が出来たのも八岐大蛇のお陰とも云える。

 この古事記に出て来る物語としては,須佐之男命が櫛名田姫(後に妻とする)の救出と村人の災難の除去とで頑張り,八つもの頭の有る大蛇をぐでん〃〃になるまで酒を飲ませ,トグロを巻いて寝込んだ所を十柄剣で滅多矢鱈に切り刻んだ,そしたら大蛇の尻尾から都牟刈の利剣が出て来た,この剣にその時の天候から天叢雲剣との名前を付けて姉である天照大神に献上した,すると其れまで不機嫌だった天照大神の機嫌がたちまちに直ったと。

 この古事記の話を刀剣の見地から見て参りますと,意外に符合する箇所が有り驚きます。当時の日本は大国主命の「国引き神話」の如く各地がバラバラで纏まらず苦労してました。それを正すには脳ミソと強力なパワーしか無いわい,と日本には新参者の天孫族は考えた。そこで,パワーの源は鋭利な刃物,その素材は鉄,こうして鉄の産地は何処だべか?,と探していたら,赤い水が年中流れている川が有る,と云う噂を聞いて辿って行った所が,出雲と安芸(島根・岡山)の県境の「肥の川」の上流の鳥上の峰,ここは現在も良質な砂鉄の産地で近くの横田町には「日本美術刀剣保存協会」の「タタラ場」が稼働をしてまして,
現今の刀匠が使用する玉鋼の90%位を生産しております。
 砂鉄は大体が赤磁鉱ですので往古は川を堰止めて採取するので水の色が赤くなります,その色が大蛇が人を食った血の色となった訳です。八岐大蛇のオロチはオロシの音の転訛,踏鞴製鉄の技術者の長を公式には村下と言いますが,普通はオロシ屋と云っております。大蛇の尾から出て来た剣を都牟刈と云うが,これはズバリと切れそうな鋭い剣の事である。この剣を天叢雲剣と云うが,なぜ叢雲が付くかと云うと,大蛇の棲んで居た山の上には常に斑な雲が掛っていたとの事であるが,タタラは溶鉱炉なので常に高熱を発している,そのタタラで使用する燃料から…主に赤松,大量に出る煙が斑な雲に見えていた事となる。大蛇に頭が8つも有って赤い舌をペロ〃〃出しているのは,8つのタタラと炎の意味である。

 この様に考えますと,天照大神の命を受けた,須佐之男命が日本でも最優秀な出雲族の製鉄場を襲い経営者一族を殺し,タタラ場と都牟刈という名刀を奪った話とも思えてくる。
 ところで,この「都牟刈」の剣がこの後,出世魚の如く様々に名を変え,現在まで延々と伝承をして来ておりますので,その話は次回にと云う事で…。

 このタタラ場の争奪戦をヒントにして,アニメーションで壮大な劇画調の映画を作り,日本国内は許より世界的に大ヒットをさせたのが,宮崎駿監督の「もののけ姫」であると巷では言われて居りますが,ホンマですかいな?。



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