東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(18)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 今,「谷根千」が注目されている。台東区谷中,文京区根津,千駄木のことであるが,若手作家の森まゆみさんが,数人の仲間たちと地域のまちおこしの為に発刊したミニコミ情報誌が有名になり,誌名,「谷根千(やねせん)」がそのまま地域の俗称となった。谷根千の隣り,荒川区西日暮里の一部は,JR山の手線に西日暮里駅が新設されて以来,人通りが途絶え,エアポケットのように時間が静止し,古い家並やお寺の佇まいが素晴らしい。文京区弥生は,はるか二千年以上前の貝塚が発見され,発掘した土器を弥生式土器,当時を弥生時代とそれぞれ名付けられた。従って谷根千及び周辺は歴史の宝庫であり,探訪すれば,瞬時にして,往時をタイムトリップすることが出来る。
  JR日暮里駅を出ると谷中口から西へ行く坂道を御殿通りと云う。この先に太田道灌の屋敷があった為,名付けられた。駅前右手の本行寺には太田道灌の墓がある。今年の正月江戸東京博物館に於て,江戸築城550年記念江戸城展が開催されていた。今から550年前と云えば,京都で応仁の乱が勃発する10年前であった。太田道灌は関東管領上杉氏の家臣で,江戸城の他に岩槻城,川越城も築いた。岩槻,川越には時の鐘が未だ残っており,岩槻では1日2回,川越は4回,昔ながらのしきたりによって,時を告げている。上野寛永寺では1日3回,人の手によって鐘が撞かれている。ところが,岩槻,川越では,機械を設備し,時が来ると自動的に鐘が撞かれる仕組になっている。
  道灌が活躍した百年後には,関東の三国志と云われた上杉謙信,武田信玄,北条氏康による三つ巴の熾烈な戦が展開し,1570年時点では,江戸城,川越城,岩槻城は北条領であった。
  御殿通りを西に上って行くと,石段があって,谷中の商店街に下って行くが,この石段を俗に「夕やけだんだん」と云う。石段の上からは美しい夕陽を見ることが出来る。テレビの天気予報で民放の女子アナが,夕陽をバックに明日の好天を報らせる舞台となっている。
  谷中寛永寺にあった五重塔は,幸田露伴の小説のモデルとなり有名になった。五重塔は霞ヶ関に超高層ビルを建てた際,耐震工法のモデルとして研究されたことがある。太く長い心棒がぶら下がって地面に着いておらず,振動を五つの屋根がバランスよく揺れて力を相殺し,そのエネルギーを心棒が吸収する構造になっていることが解明された。構造的にも文化的にも価値のある建造物であったが,昭和32年,中年の男女による放火心中により焼失してしまった。
  谷中から団子坂を下り不忍通りを横断し坂を上がって行くと,鴎外記念本郷図書館がある。日本武尊創建と云われる根津神社は,千代田線根津駅と千駄木駅のちょうど中間にあり,躑躅の見頃には両駅に案内板が貼られる。
  日暮里駅から,今,新交通日暮里,舎人ライナーが工事中で,来年3月開通する。終点は足立区の北端,見沼代親水公園である。
  秋葉原からつくばエクスプレスが開通して沿線が大きく変革したように,足立区の陸の孤島のように見離されていた地域も,近代的な高層住宅が建ち,変革を遂げるに違いない。
  前回の設問の答であるが,世田谷区以外でJRの駅が一ヶ所もない区は,練馬区,文京区,目黒区であります。「目黒区は何故?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが,JR目黒駅は品川区に,JR品川駅は港区にあります。
  23区の鉄道については,日暮里,舎人線が開通し,山手通りの地下に沿って走る鉄道が開通するまでに,足と眼で確認し,鉄道の敷設と都市の発展について考察して見たいと考えています。




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