東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.97

江戸の香りが息づく町散策 No.4
上野公園内東京国立博物館
「平成館」特別展
「宮廷のみやび」
「近衛家1000年の名宝」見聞記

青木行雄
 この目で見てきました,藤原道長自筆の日記を。平安時代,現在,「国宝」として残されている「御堂関白記」の中の一部です。
 摂関家,藤原氏の全盛時代を築いた平安中期の貴族である藤原道長の日記である。1018年(寛仁二年)今から約1000年もの大昔,貴族が自筆で書いた本物をこの目で見られた感激。大先祖のオーラが伝わって来る思いであった。
 一日の出来事など,事細く,流暢な筆字で書かれていた。

 この特別展は,2008年(平成20年)1月2日(水)?2月24日(日)まで,「平成館」で開催され,あの春一番強風が吹き荒れた,2月23日に見に行く事になった。上野のJR公園口から出て約10分掛かったが,強風の為,折れた小枝が飛んで来たり,砂ぼこりで大荒れに荒れた1日であった。
 偶々,アメリカ人であろうか,外人の団体に出会ったが,彼等はこの強風に閉口していた。日本の印象が悪くなったのではと,気になる位であった。それにしても車は拾えないし,電車は止まる等,大変な春一番に遭遇した。
 入場者も天気に左右され,今日は随分少ないと案内人が言っていた。
 それにしても流石に国立博物館は手間が掛かる。入場も退館も1分もの余裕がない。しかし「平成館」は,平成に出来た大変豪華な博物館である。
※上野国立博物館場内の「平成館」の前、「宮廷のみやび」の立て看板が見える。
※館内は撮影禁止だが第1会場の入口を撮らしてもらった。
 まず,この特別展の主旨を,説明書より拾って記して見た。
 近衛家は,遠祖藤原鎌足以来,藤原道長,頼通など連綿と続いて来た藤原氏の嫡流で,摂政や関白の重職を担う五摂家の筆頭である。その歴史を物語る重要な文書,記録,宝物は,歴代の当主によって守られてきている。陽明文庫は,こうした文化財を後世にまで保存継承し,学術の振興,文化の普及に寄与する為に,1938年(昭和13年)に29代当主近衛文麿が設立したものである。その所蔵品は,道長自筆の「御堂関白記」(国宝)や平安朝屈指の古筆の名品「倭漢抄」(国宝)など20万点にも及び,その全貌を披露する展覧会は今まで開催された事は無かったという。
 今回の展覧会は,文庫創立70周年を記念して企画された。現在,陽明文庫に所蔵される作品,近世まで近衛家に伝来した作品,加えて江戸中期の当主で,博学,多芸多才で知られる家 (予楽院)が学書の手本にした作品などから,特に選りすぐりの優品を一堂に集めたものであると記されていた。
 宮廷貴族による王朝文化から生み出された作品を通して,そのみやびな世界を見て欲しいと言うのである。
 この様な説明書と宮廷貴族の生活振りに興味があり,近衛家の継承者を詳しく知りたい下心もあったので強風の中わざわざ出掛ける事になった。
 まず,この特別展の主旨を,説明書より拾って記して見た。
 近衛家は,遠祖藤原鎌足以来,藤原道長,頼通など連綿と続いて来た藤原氏の嫡流で,摂政や関白の重職を担う五摂家の筆頭である。その歴史を物語る重要な文書,記録,宝物は,歴代の当主によって守られてきている。陽明文庫は,こうした文化財を後世にまで保存継承し,学術の振興,文化の普及に寄与する為に,1938年(昭和13年)に29代当主近衛文麿が設立したものである。その所蔵品は,道長自筆の「御堂関白記」(国宝)や平安朝屈指の古筆の名品「倭漢抄」(国宝)など20万点にも及び,その全貌を披露する展覧会は今まで開催された事は無かったという。
 今回の展覧会は,文庫創立70周年を記念して企画された。現在,陽明文庫に所蔵される作品,近世まで近衛家に伝来した作品,加えて江戸中期の当主で,博学,多芸多才で知られる家 (予楽院)が学書の手本にした作品などから,特に選りすぐりの優品を一堂に集めたものであると記されていた。
 宮廷貴族による王朝文化から生み出された作品を通して,そのみやびな世界を見て欲しいと言うのである。
 この様な説明書と宮廷貴族の生活振りに興味があり,近衛家の継承者を詳しく知りたい下心もあったので強風の中わざわざ出掛ける事になった。
 入場第一の初対面は,藤原鎌足像の礼拝画が全面に飛び込んで来た。
 宮廷貴族の黒の衣装に身を固め,シャクを持つ鎌足像に思わず,頭を下げて,大げさだが,お目にかかれた事に感謝とオーラを頂いた心境であり感動した。
 私は美術館や博物館の入場には必ず,音声ガイドを借りる事にしている。
 早速,鎌足像の説明を受けた。
 藤原鎌足は,近衛家を含めた藤原氏の祖である。臨終の床で天智天皇から当時最高の冠位・大織冠と藤原姓を賜った。歿後,遺体が子の定恵により摂津から大和・桜井の多武峰に改葬され,墓に十三重の塔と大織冠廟,塔を礼拝する妙楽寺,廟の拝所である護国院が建てられた。そこに鎌足の木像が祀られ,多武峰寺として皇室や藤原氏などの信仰を集めた。と言う説明があった。

  次々と進むにつれ,初対面の書画に人物像に圧倒される中,「源氏物語」54帖の内,展示の20帖や,「柿本人麻呂像」江戸時代のもの,又「近衛家 遺愛茶杓箪笥」の中には31本の茶杓があったが,その中に「千利休」が作ったと言う,安土桃山時代の茶杓が2点も含まれていた。小さな茶杓だが五光が出ている様だった。
 尾形光琳を慕った酒井抱一筆の「四季花鳥図屏風」は小川の流れる野辺に四季の草花がひとつひとつ丹念に彩られ,見事な作品であった。別に「太刀」に「短刀」銘吉光。などの他代々に伝わる,「御所人形」「賀茂人形」「書状」「和歌集」など214点,個数にしては2000点を超えるのではないかと思う。
 それでは,感動した「国宝」「御堂関白記」について説明を受ける。
 摂関家藤原氏の全盛時代を築いた平安中期の貴族である藤原道長の日記であるが,この様な公家日記は,日記が書かれた時代の政治・社会・文化などを知る基本史料としても重要な存在である。これらの日記は,現在の私的日記と大きく違い,宮廷貴族としての生活や儀式の次第を詳しく記したもので,各公家の家において,親から子へ,子から孫へと相伝して行くものであったと言う。最終的な官である極官は,親と子は同じ事が多かった為,儀式などに参列する場合の服装や作法などについて,父祖が日記に書き残した先例を参考にしたのである。従って各家に伝来の日記は,朝廷儀式をはじめ,さまざまな儀礼に関する重要な手引書であり,容易に他人には見せないほど大切に扱われたようである。
 現在,陽明文庫には近衛家の遠祖にあたるこの藤原道長の自筆日記「御堂関白記」をはじめとし,29代の近衛文麿まで,道長から数えて歴代当主35人中,20人の日記が残されていると言う。これらの日記には,五摂家の筆頭であった代々の当主の目を通した当時の社会情勢が記されていると言うから,歴史上でも大変興味が深く,貴重なものである。
 奈良時代から平安時代,鎌倉時代から南北朝時代,室町時代から安土桃山時代をえて,江戸時代,そして明治時代から昭和時代と,約1000年の時代は流れ,近衛家の歴史は続いている訳だが,時代時代の背景をかいま見て,改めて,公家の偉大さに目を見張るものがあった。

 それでは,現在の近衛家の系譜について記して見ます。
 この近衛家の名宝特別展に関わる30代目の近衛忠 氏,現在,第14代日本赤十字社社長,国際赤十字・赤新月社連盟副会長の存在は大きい。
 大活躍中の近衛忠 氏について少々記してみたい。
 旧肥後熊本藩主細川家の細川護貞と近衛文麿元首相の次女・温子の次男として生まれた。細川護熙元首相は実兄にあたる,外祖父近衛文麿の長男・近衛文隆がシベリア抑留中に死去し,近衛家の当主が不在になるに伴い,1965年(昭和40年)に母の実家である近衛家の養子となった(伯父の文隆の夫人の養子)。
 1962年(昭和37年)に学習院大学政治経済学部政治学科を卒業後(学位:政治学士),英国ロンドン大学スクール・オブ・エコノミックスへ留学,1964年(昭和39年)に帰国。日本赤十字社副総裁三笠宮崇仁親王の長女 子内親王と結婚する。同年より日本赤十字社に入社。
 1970年(昭和45年)のバングラデシュ(当時東パキスタン)救援活動,ナイジェリア戦後復興支援,フィリピン火山噴火救援,メキシコ地震救済,スマトラ沖地震・津波救援など数多くの災害救援活動,又赤十字が行なう国交がない国への人道的な戦後処理事業等もリーダーシップを発揮して行なった。その他いろいろの事業,災害救護活動,医療事業,血液事業,社会福祉事業,看護師の養成のための赤十字看護大学の設立等,又世界186ヶ国が加盟している国際赤十字・赤新月社連盟の副会長に2005年(平成17年),選出され就任した。そして現在,日本赤十字社第14代目の社長である。
系譜    
祖父 細川護立 第16代細川家当主
  近衛文麿 第34・38・39代内閣総理大臣
細川護貞 第17代細川家当主,第2次近衛内閣,内閣総理大臣秘書官
細川温子 近衛文麿の次女
伯父 近衛文隆  
細川護熙 第18代細川家当主,第79代内閣総理大臣
近衛月q 三笠宮崇仁親王の長女
長男 近衛忠大 NHKの番組に出演した映像ディレクター
近衛忠映  
 この近衛忠社長にちょっと縁があって,この特別展の招待状を頂き,春一番の日に拝観した訳である。
 忠社長は背が高く,大変立派な方で,物腰が柔らかく,かっぷくが良く,気品がある方である。
 藤裔会のメンバーで私にも気軽に話しかけてくれる。今回のこの特別展で多くの知識と素晴らしい歴史が勉強できて,私の人生に何重かの役立がかなったと自負している。

平成20年3月9日記

 

前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2008