東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.99

「大洗さま」と歌碑,見聞記

青木行雄
 「大洗さま」と言っても,他県の人にはよく分からないと思うのだが,地元茨城県の人達は「大洗磯前神社」のことを「大洗さま」のよび名で親しまれている昔からの古?い神社のことである。この神社に縁あって,20年4月5日,桜の満開と「君が代」の彫刻を施した,歌碑を見る為に,「バス」をしたてて,遠路大洗まで行くことになったのである。
※「大洗磯前神社」の正殿,なかなか歴史を思わせる建物で
あった。この正殿の中で正式参拝を受ける。
 この「大洗磯前神社」は茨城県の大洗海岸の近く海の見える絶景の丘の上にあって,歴史のある古い神社であった。
  まず先に,この神社の起源について神社史から調べると,六国史の中に記されていると言うので,それを記して見ると,−平安時代,856年(斉衡3年)12月29日(日付まで記されているのが何ともすごいと思うが),常陸の国庁から朝廷に不思議な報告があったと記されていて,
  鹿島郡の大洗の磯の崎に,新しく神が降りたといふのである。
  ある夜,地元で海水を煮て塩を作って生計を立ててゐた者が,海のかなたを眺めると,洋上が輝き,ほとんど天に届かんばかりのありさまだった。その神異な,できごとがあった翌朝,今度は海岸に高さ30センチほどの,世にも珍しい形をした岩が二つ,忽然と姿を現した。さらにその次の日には,二つの岩の周囲に,20個ばかりの小石が,あたかも侍者としてはべってゐるかのやうに集まってゐた。その形はお坊さんに似て,ただ目と耳がない。
  そんな奇妙なことが続いてゐた折に,別のある人物に神が憑って託宣を下した。
  「われはこれ,大奈母知,少比古奈命なり,昔,この国を造り訖へて,去りて東海に往けり。今,民を度はんがために,さらにまた来たり帰れり」と。−
  −何とも不思議な話である−とも記されているが。この様な事があって,この大洗の場所に「大洗磯前神社」が創建されることになったようである。
※この神社の内容を記した立看板である。
※広々とした宮内は,落ち着いた雰囲気を感じさせる。
 この神社の御祭神は,
 大己貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 大己貴命は世に「だいこく様」(大国主神)とも云われ,慈悲深く,福徳を授ける神として尊崇され,少彦名命は医薬の祖神と仰がれ万民の難病を救う神として信仰されている。

  この神様は,当時の記録によると度々の地震が発生したり,天然痘が広く流行し,おびただしい死者が出たりして,国内が大変乱れて居たときに,「だいこく様」はこうした混乱を鎮め平和な国土を築く為に降臨されたのであった。
 「だいこく様」と言えば,「白うさぎ」の話が頭をよぎるのだが,小学校の頃に学芸会の時,白うさぎの役で「だいこく様」に助けてもらった記憶が蘇って来た。
 この「だいこく様」の鎮座する「大洗磯前神社」に「君が代」の歌碑が出来たと言う。
 この歌碑の字が今日本各地で,いや世界的に有名になった「柏木白光」氏執筆によるものだと聞いての話である。
 大洗磯前神社のカタログに記載されている文面をそのまま記して見ると,
 「君が代」 歌碑
 「御鎮座1150年を記念し,手水舎脇に国旗掲揚塔並びに「君が代」歌碑を建立致しました。茨城県の銘石,筑波石に刻まれた「君が代」は書家の柏木白光氏の執筆によるものです。柏木氏は晩秋の雲空の下,白衣に身を包み大洗海岸にて禊を行い心身を清め,正式参拝の後に御神前に和紙を広げ執筆にとりかかられました。神人一体となり筆を進める姿に,驚きと感動を覚えました。」

  以上がカタログに記載されている「君が代」についての全文である。
※管主と共に筑波山の山中を何日かかけて歩きもとめたこの
「岩石」の苦労話をする白光氏であるが,満足の微笑みが見
えた。
※声高らかに日本人らしく「君が代」を歌う皆さん。童心に
かえったような気がした。
※建造物内部,歴史を感じる神殿前の天井。
 そして我々一行は,この「君が代」の歌碑の前で,声高らかに「君が代」を歌ったが,我々の身近な人が書いた碑の前で,遠く離れた大洗神社の森の中で,真逆,こうして「君が代」を皆で歌うことになろうとは…。この不思議な現実に何か縁以上のものを感じ,また同時に日本人であると言う思いに目頭が潤む心地であった。

 この様な訳で,この神社は大変古い神社であるが,1564年(永禄7年)頃,小田氏治の兵乱に際し,御社殿以下諸建造物が焼失してしまった。そして暫く,一小社とし辛うじて祭祀を続けていた。そして1690年(元禄3年),水戸藩主,徳川光圀公は由緒深き名社の荒廃を見るに忍びず,造営を始めた。そして,綱條公に至り,本殿,拝殿,神門に至るまで建造を完成し,名大社に相応しい輪奐の美を整えたのである。以来,歴代の水戸藩主は厚く当社を尊崇し幕末に至ったと言うことであった。
 現存する社殿,神門等は当時の建造物で,社殿の彫刻と共に徳川初期を偲ぶに足る文化財として貴重なものである。
 明治新政府が,神社制度を定め,明治7年9月県社に指定し,明治18年4月国幣中社に列せられたが,大東亜戦争終熄を機に,神社は未曾有の変革を余儀なくせられ,政教分離の名の下に宗教法人としてのみその存続を容認された。
 「お洗さま」はこのような誕生から,激動の時代を経て現代に至ったと言う訳である。そして悠久の昔より,永遠の未来にわたり,「お洗さま」の栄えることを願っている。
 そして「君が代」の碑がいつまでも皆様に愛され,語り継がれることを期待し,白光氏の益々のご活躍を期待するものである。

平成20年5月6日記

 

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