東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(26)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 数年前,ご縁があって,「ら・ろんどの会」に入会させて頂きました。昨年の会報のなかで,会長のT氏が発足の経緯について述べておられます。
─熟練層と言えばカッコいいけど,要するに定年を迎えて多少ヒマになった(もちろん現役バリバリの方も多いけど)連中が集まって,何かオモシロイことはないか,それを捜し,実行するには,独りよりも大勢集まってやると「文殊の知恵」でいいアイデアが出るだろうし,第一楽しさが増すのではないかという訳で始まった会です─
 私も年数回の例会を楽しんでおりますが,内容は,T氏がNHKで手掛けた朗読の時間で好評であったものをテープで鑑賞したり,コンサート,観桜会等さまざまですが,私の得意分野である散策で多少貢献することが出来るのが何よりです。
 谷,根,千で有名になった谷中,根津,千駄木界隈,横浜の外人墓地とその周辺の異人館の探索,鎌倉の山歩きもやりましたが,昨年11月,横浜市本牧にある三渓園を訪ねました。
 「三渓園」は生糸貿易で財をなした横浜の実業家,原三渓(本名富太郎,岐阜県出身)の元邸宅でありました。敷地が,175,000m2(約53,000坪)あり,江東区にある,もと紀伊国屋文左衛門の屋敷跡であった「清澄庭園」や,元禄時代,忠臣蔵で悪役として登場する,柳沢吉保が居た文京区駒込の「六義園」と比べても遜色しない広さです。
 三渓はここに,京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し,一般に公開しました。明治時代,文明開化が叫ばれ,西洋文明を採り入れることに熱心なあまり,その先端を行く横浜にあって,廃仏毀釈の風潮で存在が危うくなった建物を買いとり,移築することはさぞ大変な事業であったことでしょう。十棟の重要文化財を含む十七棟の古建築物が自然の景観のなかにたくみに配置されています。
 御門(京都東山の西方寺にあった薬王門,宝永五年建てられたものを移築)を入りますと,左に大池,右に蓮池を見て歩き,右手に鶴翔閣があります。明治42年建築の原家の旧宅で,ここで三渓は横山大観など,交流のあった文化人が出入りしておりました。今は,会議,パーティ,茶会に利用されています。
 白雲邸は三渓が大正九年に,隠居所として建てた数奇屋造りの建築です。
 臨春閣は紀州徳川家初代頼宣が和歌山の紀ノ川沿いに慶安二年(1649)建てた数寄屋風書院造りで,屋内に狩野派の襖絵があります。八代将軍吉宗も紀州藩主時代ここで過していたそうです。
 他にも,古くは聖武天皇時代の京都燈明寺から移築した三重塔,織田有楽斉作茶室,春草廬(今の有楽町の地名のもととなった),鎌倉から移築した天授院地蔵堂,等々,僅か半日足らずで,千年間の歴史を現代人が体験することができます。
 三渓は昨年,世界遺産に登録推薦されている群馬県にある富岡製糸場の経営にも携わりました。
 相模,甲州は桑の産地で,八王子は絹織物の集散地でありました。江戸時代は甲州街道を経て江戸に運ばれ,明治になって,生糸は外貨獲得の有力な手段として輸出されるようになると,八王子から横浜に到る今の国道16号線は「絹の道」と呼ばれておりました。
 今年の「ら,ろんどの会」は,平家琵琶の鑑賞,柴又帝釈天周辺の散策を予定しております。いつの日か,それらの楽しい体験について述べることが出来れば,大変幸甚であります。




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