東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(28)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 『吹く風を勿末の関と思へども道もせに散る山桜かな』
 仕事で出張し,常磐線の勿末駅で停車中,プラットホームに木柱の歌碑が建っているのを見て,いい和歌だな,と思い何回か書き留めたことがあります。これが八幡太郎義家の作で,千載和歌集に載っていることを知ったのはごく最近のことであります。
 『明日あると思う心のあだ桜夜半にあらしの吹かぬものかは』
 これも私の好きな和歌ですが,誰の作であるのか失念しております。
 昔,高校の数学の教授で,先生が,勉強と全然関係のない余談のなかで,次のように仰いました。
『駅の階段等の途中に物売りが居て,客を装った仲間が売り手に話しかけ,品物を褒めたりして,近づいた本物の客に買い気を誘う人のことを「サクラ」という。この語源は二つ考えられる。一つは,首尾よく商売が成功し,後で「しめしめ」と桜色の舌を出す。もう一つは,詐欺まがいの不法行為なので,見張り役がいて,警官が来ると,商売をたたんで,パッと散る。』
 どちらの説も今一納得できず,半信半疑で,桜の季節が来るとこの話を思い出しますが,50年以上経った昨年,納得の行く答を,歴史街道という月刊誌のなかで得ることができました。真相は次のようでありました。
 『首尾よく商売が成功した時,協力者に分け与えられる硬貨に桜の花が刻印されていたので,「サクラ」と呼ばれていた。』
 地球温暖化の所為でしょうか,毎年桜の開花が早くなっているようです。今年の見頃は3月29,30の土日でした。ところが,肌寒かったり,雨が降ったりで,家族連れや仲間でくり出した花見客は惨々な目に遭ったようです。
 今,仮住まいしている岡本町から指呼の間にある砧公園の桜は,広い敷地に枝をいっぱいに広げて咲き誇り,今年も多くの見物人で賑っておりました。
 今回も前回に引き続き,国分寺崖線周辺を探訪します。
 (財)世田谷トラストまちづくり発行の散策マップを求めて見ますと,この地形が形成されるには,約170万年前からの永い経緯があったことが分かりました。170万年といっても,地球の歴史,46億年からすると,3千分の1に過ぎません。
 億劫という言葉があります。劫とは仏教の用語で,天地が創造されてから現在までの時間のことを云いますが,その一億倍とは,考えるだけで気が遠くなるという意味から転じて,何をするにも面倒,ということに使われています。
 170万年前に形成された上総層の上に,20万年前,東京湾に堆積した土砂(東京層という)が乗り,その上に多摩川が運んで来た武蔵野礫層,5万年前,箱根の噴火による武蔵野ローム層,3万年前の立川ローム層,最も新しい1万年前,富士山の噴火による関東ローム層が表土となっています。
 これらの地層が,氷河期,間氷期の天変地異により今の地形となったようです。
 傾斜地から水が湧き,縄文時代から人が住みついており,遺跡,古墳も点在しています。
 多摩川にほぼ平行して,国分寺を水源とする野川と,小金井市貫井が水源の仙川が流れています。野川と仙川は世田谷区鎌田で合流し,二子玉川の先で多摩川に注ぎます。両川の合流点,鎌田橋の五百米上流で,仙川から丸子川が岐れて東横線多摩川園駅の近く,丸子橋で多摩川に流入します。丸子川は江戸時代に開削した人の名をとって,次大夫堀とも呼ばれています。砧公園から谷戸川が生まれ,靜嘉堂文庫の入口で丸子川に流入しています。
 私の自宅,桜丘から小さな谷沢川が生まれ,等々力渓谷を経て,丸子川の下を潜り,玉堤で多摩川に注いでいます。
 このように,大小六つの水系の河川が織りなすネットワークと,橋,緑,並木,学校,住宅が狭い地域に箱庭のように配置され,住む人,訪れる人に大きな恵みを与えてくれます。半年足らずで引越すのは惜しい,出来れば永住したいまちであります。




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