東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(30)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 今年は例年より雨が多い。行楽客や建設業にはうらみの雨も,見方を変えれば,山では樹木を育て,田植をする農家にとっては天の恵みとなる。
 雨が似合う行楽地は,潮来の水郷,近郊では井ノ頭公園で,あやめ,菖蒲は今が花盛りである。古来より,端午の節句には,菖蒲湯を立て,子供達の成長と無病息災を祈る習慣がある。

 前回の寄稿では,京成電車の呑気で寅さんに似たおとぼけ振りについて書きました。
 実は小生,少年時代は市川に住んでおり,京成電車で通学しておりました。ところが,京成は遅れることがたびたびあり,中学高校は遅刻の常習犯でありました。自分のいい加減な性格は,もしかしたら京成電車に植え付けられたのでは,と思ったこともあります。

 二十年程前,仔会社を任されていたとき,オフィスが千住大橋駅の前にありました。これは沿線の人にきいた話ですが,京成電鉄が駅を新設して,近くで宅地分譲か,建売住宅を販売しました。当時は不動産ブームが起きる前で,販売は苦戦を極めたそうです。ようやく完売しましたが,直後駅を廃止して電車を通過させてしまいました。その話をきいて,まさかと思いましたが,逆におおらかなこともありました。駅近くで深夜まで麻雀に打ち興じ,終電で帰る仲間を駅まで見送りに行きますと,これから電車が来るというのに,日付が変った為,券売機が止まっているのであります。駅員に尋ねますと,降りる駅をきいて,「これからそちらに電話を入ておきます,どうぞお乗り下さい。」

 仔会社での仕事は,某住宅メーカーと提携してモデルハウスを建て,地域の人達に住宅を販売することでありました。エリアは,足立区,葛飾区,墨田区,荒川区と埼玉県の草加市,越谷市,春日部市までの日比谷線沿線です。地域に密着して営業せよ,との指示がありましたので,暇なときはよく外を歩いておりました。寅さんのホームグラウンド,柴又から京成に乗って千住大橋まで行きますと,高砂,青砥,お花茶屋,堀切菖蒲園,関屋,と優雅な名前の駅が続いています。
 堀切菖蒲園という駅があることは知っておりましたが,件の探訪で菖蒲園に行き,立札を見て,以下のような由来があったことを初めて知りました。

 鎌倉時代に遡りますが,当時源頼朝の忠実な御家人が居りまして,天下統一に功があったとのことで,小高某氏等五名に,当地を安堵され,小さな城を築き,まわりに掘を切りました。これが堀切という地名の由来であります。それでは何故菖蒲かといいますと……
 源氏は三代で滅び,北条氏が実権を握りました。小高氏はじめ五名の後家人は,頼朝には恩はあるものの,源氏を三代で滅ぼした北条氏を嫌い,武士を捨てて帰農してしまいました。掘りが不要になったので,菖蒲を植えた処,これが名所となって現代まで続いております。
  ところで,菖蒲なんか愛でていて,君は仔会社で何をしていたの?と云われそうなので,以下蛇足ながら付け加えておきます。
  営業マンが四人居りましたが,そのうちの一人が,ミーティングで「小高さんという有望客がいて,山中湖畔にセカンドハウスを建てようとしています。」との報告がありました。

 当時小高さんは,変った形のカメラを製造するメーカーの社長さんでした。営業マンは,コカコーラの赤い缶の形をしたカメラを頂いた,と嬉しそうに云って見せて呉れました。そこで私は,「カメラをもらって安心してはいけない。他のメーカーも何社か行っていることだから。決め手は『小高さんは,鎌倉時代から続く由緒ある家系ではないでしょうか』と云ってみなさい。」と諭しました。
 数日後,「無事契約が出来ました」と云って,上気した顔で営業マンは帰って参りました。



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