東京木材問屋協同組合


文苑 随想

舌たらずでした

榎戸 勇


 新聞のコラム欄にエジソン(注1)が電球を発明して今年が130年になるとの記事があった。その後の照明器具の発達を辿る文章の一節である。この記事を見て私は小学校5年生頃(昭和11年頃)だと思うが「エジソンの少年時代」という映画を観たことを思い出した。73年位昔のことで,すっかり忘却の彼方にあったことも,何かのきっかけで思い出すことがあるものだ。

 その映画で,エジソン少年は毎朝ランプの掃除をするのが日課であった。日本の行灯は菜種油を使っていたようであるが,米国では多分大豆油だったのではなかろうか。ランプのガラスは一晩使うと真黒になってしまう。
 このガラスを綺麗にするのは大変であったが,彼は一生懸命ガラスを磨いていた。そして磨き終わってホッとした時,彼は考えた。米国中,いや世界中の多くの人々が毎朝ランプのガラスを磨いている。何とかもっとよい照明器具を作れないものかと考え込んで,ついに日本の竹を使って電球を作ることに成功した。しかし竹を使った電球は1時間位で切れてしまう。そして,彼はタングステン(注2)を使った電球を作ることに成功し,その後も改良を重ね現在も使われている白熱電球になったのである。
 エジソンは発明の天才と言われたが,晩年彼は「天才とは1のヒラメキと99の努力」という有名な言葉を残した。
 天才だけではない,スポーツ選手や立派な企業を立ち上げた方々も,1の天分と99の努力によって成功をなしとげたのである。

 そこで,「舌たらずでした」であるが,11月号に載せて頂いた「ふたつの人生観」の文章に舌たらずの部分があるので,念のために述べることにする。
 11月号の文章に「朝早くから夕方遅く迄働いている親の姿を見て・・・・」「しかしそこからは発想の転換が出てこない。」とあるが,一生懸命働くことは必要なのである。しかし,それだけでは不可ないと述べるべきであった。慢然と働いていては何の発想も出てこない。一生懸命働くなかで,もっと効率的な方法はなかろうかとの発想も生まれてこよう。そしてあとは99の努力でそれを実現できれば成功者になるのである。舌たらずの部分でした。

 そして,もうひとつ舌足らずの部分がありました。「色々の名誉職を持ち,家業を社員に任せて・・・・」この文章では名誉職については不可ないというように読まれやすい。業界には業界のために必要な会団や組合が色々有る。どなたかが家業に割く時間をある程度犠牲にしてその役職につかねばなるまい。私も71才迄は業界の役職を色々やらせて頂いた。私なりに誠心誠意勤めたつもりである。幸い東京原木協組は2年毎の役員改選時に満70才になっている役員は退任する内規が有るので退任させて頂いた。家業も長男にバトンタッチし,今は庶務的な仕事だけしながら,時に大局的な経営方針を考えている。何としても難しい新木場の現状のなかで,一方で建物等の賃貸を続けながら,本業の木材と縁を切らずに営業をもう少し活発にやって行く方策を模索している昨今であるが,まだ暗中模索である。あと6年で創業100年になるので,その時迄に何とかしたいと念じている次第である。

(以上)
H. 21・11・6記

(注1)トマス・アルバー・エジソン
 エジソンの名前を知らない人はいないが,彼は白熱電球だけでなく,電信機,電話器,磁力選鉱法,アルカリ電池等を発明,そして改良し,特許を1300余件とった。亡くなったのは1931年(昭和6年)で,そんなに昔の人ではない。
(注2)タングステン
 鉄とマンガン,灰重石から精 した融点の最も高い金属元素で,特殊鋼,電子機器,白熱電球等に使われている。

 

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