東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.108

「富岡八幡宮」節分祭豆まき式に参加して

青木行雄

※平日は静かな八幡宮もこの日は大勢の人で賑わった。
豆なげ人146人,観客約300人。
※参道に並んで行進する146人の年男年女の列,何とも
時代劇の世界である。両側には,豆拾いの群衆がかなり
の人数応援参加であった。これが伝統文化や歴史の継承
なのであろうか。僅かな時間ではあるし,ほんの真似事
ではあるが日本文化の匂いは,ちょっと味わう事が出来
た,素晴らしい事ではないかとも思う。
 

 平成21年2月3日午後4時,八幡宮御神前に於いて,節分祭の式典が富岡宮司の祝詞により始まった。例年は分からないが,今年は年男・年女が146名の参拝である。
 昨年12月のある日,申込を済ませ,この日婚儀殿の受付で節分祭の配席表を頂き,2階の広間に案内され,裃,袴をお姉さんに着せて貰い,自分の名前の入った提灯を頂く,右も左も裃,袴の善男善女が所せましの集合である。夫々年齢は違うが傑作と言おうか面白い風景であった。見慣れない自分の姿をカメラに収め様とあちこちでパチリ。3時過ぎに婚儀殿の前で各班に別れ,4列に並び側道を通り表の正面の1の鳥居より,1班から入場する。裃をつけた御仁が146人参道を並んで歩く。何とも江戸時代に帰った風景,時代劇の世界である。それから正面より神前会場に入場となる。そして受付で頂いた配席表に従って着席。式中,この席順で名前が呼ばれ,名前入りで豆のいっぱい入った福枡を貰う。式終了後,高台を作った豆まき所に2班に別れて登り,豆まきの始まりである。提灯の並んだ高所より投げる豆まきの気分は何とも上々で,表現の仕様がない程,楽しいものであった。
 豆まきの終了後,式所に戻り,年男年女の方々の玉串拝礼を受けて,お神酒のお受けとなる。お神酒を最後に頂き婚儀殿に帰り,衣裳を脱いだ。

 

 午後2時頃八幡宮に来て一連の行事を行い,感動し,珍しい方々にも対面し,日本の伝統文化が味わえて,名前入りの提灯,名入りの福枡を手に鬼払いが出来て,和装したきれい所や,相撲人,芸能人,総代の人々,役職者の人々などと同席で豆を投げる。お土産は,名前入りの提灯,枡の他に名入りのお札,のり,しょうゆ,御供物,豆,赤飯,等手下げ袋にいっぱいに頂いた。

※名前入りの枡から1にぎり,2にぎりと投げる気分,下
からは,やあ〜やあ〜の掛声,何とも表現の仕様がない
程,気分も雰囲気も上々であった。

 そして5時頃に終了だが,わずか3時間余りの間,色々な経験と感激・感動を味わう事が出来た。
 今回参加の146人の方々がどの様な境遇の方々で,どの様な思いで参加したかは,分かる筈もないが,式次第の中で40回目,30回目,20回目の表彰があった。40回目と一口に言っても40年の歳月は大変なものである。12年に一度の年男として参加する方と,毎年年男として参加する方が居たのであるが,12年に一度の本当の年男・年女としての参加もかなり居たように思われた。何れにしても,1年を,そして年男としての12年を無事に過ごす幸せを祈るばかりである。
  来る12年後,又私は参加したいと思っているが12年後の丑年,12年後の日本,12年後の世界,12年後の自分,12年後2021年(平成33年)がどんな世の中になるのか,想像もつかないが,自分は又元気で12年後の丑年に豆まきのお立台に立ちたい。そしてあの歓声が聞きたい。そんな思いで,この豆まきの雑文を書いた次第である。

平成21年2月8日記

 

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