東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の62(新〃刀)

愛三木材・名 倉 敬 世


刀 銘 水心子正秀 出 閃々光芒如花
           二腰両腕一割若瓜 

 刀 銘・水心子正秀 長さ69.2cm(二尺三寸)反り1.2cm(四分)
この作は新刀の濤乱乱を写した初期作で,地刃が冴えて本歌に比べて遜色が無い。やがて復古刀を唱え,鎌倉や南北朝の作風を模するのだが,この様な大阪新刀写しの評価も高い。

 刀剣界に於いても年初の1,2月は新年会ばかりが続き,それに付随して「鑑賞会」が多く,今年もかなりの数の,名刀・迷刀・珍刀,を見る機会を得て目玉のエキスとなりました。
 今年のビックリニュースは例年より「新〃刀」が大変に多く出品されていた事と,時節柄値段が大変に安くなった事でしょう,初心者には非常にラッキーな事でしてこんな結構な機会は滅多にございません,正に千載一遇の購入のチャンスと言っても良いでしょう。
とは言っても何事にも程度と言うものが有りますので,ご自分の「鑑識眼」「手持資金」の範疇で慎重にお願いします。この点を間違え刀より離れられた方も多く居られますので…。そして「趣味と実益」の両立は大いに難儀でごわす,と言う事も忘れてはなんねぇ〜のでご猿。

 ところで,刀剣類の価格がこの所の実体経済を反映して大変に安くなった訳なのですが,〜と申しても名物(国の指定物)が極端に安くなった訳では無く,一番ポピラーなランクの刀が手頃な価格になり,其れなりに数も出て来たと言う事でして,大銘の指定物迄は未だ少々時間が掛ります。大抵は「名物」は「曰く因縁故事来歴」が山の様に付いており,とても一晩や二晩では語り尽くせない歴史が染み込んでおります。この武辺(刀)の物語は当事者は滔々と語れますが,聴手の方は初めチョロ〃〃〃中パッパの逆で,聞いている内に段々と睡魔に襲われて来て,結局,余り良い結果にはなりません。特に戦国時代を経過して来た「大名物」の相手は,味方で無ければ敵なので,その敵の子孫の方〃も数多居られる訳でその確率は1/2を越えており大変に高く,余り声高に話しますと要らぬ問題が生じますだ。
 本来,日本の武家は「源・平・藤・橘」の四家と云いますが,実際は「源氏」と「平氏」しか居ませんので,隣の家の「紋所」を確かめてからでないとヤバイと言う事にもなります。
 では本題に戻り,「新〃刀」とは何んだべか?,から参りましょう。江戸時代も中末期の文化文政(1804〜39)の頃になりますと,将軍は子沢山の十一代家斎,寛政の改革で成功した松平定信(八代・吉宗の孫)のコンビで世上も落着き全ての芸術品が一斉に開花を致します。

徳川家斉(1773〜1841)画像
松平定信(1758〜1829)画像

 これ等は実に見事な作品が多く,後世ジャポニズムとして日本を代表する美術品の大半はこの時代の産物であります。刀剣も一応そのヌーベルバーグ(新しい波)に乗るのですが,突如「真の日本刀は鎌倉時代に存す」,という皇国史観に基づく「復古刀」ブームが起り,その提唱者が山形藩の秋元公に仕えた「水心子正秀」と言う学者であり刀工であります。
 彼の作刀は巻頭に掲げた如くですが,その「復古刀」と言う理念に共鳴して弟子も多く,一時は74人を数える門人を抱え,其の中から「大慶直胤」「細川正義」の上手も出ています。又,「刀剣実用論」「刀剣試用論」「剣工秘伝志」「鍛錬玉函」「刀剣弁疑」等,著書も多し。

 新〃刀期の名人のランクを付けますと断トツの一位は前回ご紹介を致しました「源清麿」,二位が水心子の弟子の「直胤」,三位が先生の「水心子」で四位は「左行秀」だと思います。

○ 刀 銘 造大慶直胤(花押) 天保五年仲春

 刀 銘 造大慶直胤(花押)天保五年仲春 長71.2cm(二尺三寸五分)反り
    2.7cm(九分)
直胤は安永7年(1778)山形に生れ,同国出身の水心子に学び,復古刀の実践者として相州伝,備前伝の作風を製作し新〃刀中の上手としてその名は高い,この刀は相州伝の傑作である。

 4位の「左行秀」の生れは九州の福岡ですが,深川とは非常に縁が深く江戸に出てからは土佐藩の御用鍛冶から藩士にもなり活躍,藩主・山内豊信(容堂)の佩刀も造っております。文久二年(1862)の秋,今の北砂1〜18,19のスポーツ会館の所にあった土佐藩の下屋敷で鍛刀し,「於東武富賀岡八幡宮北辺 左行秀造之 慶応二年八月吉日」の銘の刀が当家にも到来を致しました。相州伝の鍛の素晴らしい出来でしたが,とにかく重くて腰に付けては一日で腰がギクッとなる事は請け合いでござんしたので,残念でしたがパスを致しました。
 尚,銘文の「富賀岡八幡宮北辺」と言うのは,現在の深川の「富ケ岡八幡宮」では無く南砂の通称・元八幡(富賀岡八幡宮・南砂7−14−18)の事でご猿ょ。

  刀 銘 於東武富岡八幡宮北辺 左行秀造之 長さ二尺四寸一分 反り二分五厘
鎬造,身幅広く切先延び反りは浅い,小板目良く詰み柾目混じる,刃文は小沸出来太直刃,力強く足入り匂深く,井上真改にも勝る冴えを見せている。新〃刀を代表する会心の一作。

 「左行秀」自体は製作当時から偽物が多く,この太刀も未だ真贋が決まらず判定が付いていない物です。…参考にご覧いただき度く披露を申し上げました。





大中刳兜           福岡市博物館蔵
安土桃山時代 黒漆塗頭形兜 大中刳脇立付き
 黒漆塗りの五枚張頭形兜で,形式は日根野頭形の範疇に入るが,一般的な日根野鉢に比べ一時代前の雰囲気を持つ。眉庇に打眉と月形の皺を打ち出し,シコロは吹返を付けない板札四段の日根野シコロで毛引きに威す。
福岡藩黒田家

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