東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の63(新〃刀)

愛三木材・名 倉 敬 世

 皆様は現在この日本での刀鍛冶(刀匠)の数はどの位と思われますか,「そんな物好きはせいぜい五人か十人位だろう」と思われるでしょうが,オット・ドッコイ,驚く無かれ協会が正式に認定した(作刀の免許を与えている)刀工は300人以上もいるのです。
 本来,文科省(文部科学省)の下請けに(財)日本美術刀剣保存協会と云う団体があって,そこで資格審査を行いパスした者に作刀免許を与えるのです。条件の中に刀工になるには「資格を有する師匠の下で五年間の修業が必要」と言う項目があり,理想とする古名刀は800年も前の物なので,今だに「朝は朝星,夜は夜星」という従弟制度が色濃く残る世界でござんすので相当な根性の持主で無いと単に「刀が好きだから」ではとても勤まりません。又,作刀は刀工一人に付き月二本迄となっており,余程でないと新人の刀は売れませんし例え売れたとしてもかなりの安値で経費倒れとなり,とてもオマンマには有りつけません。このところの「理想と現実」のギャップは大きく試行錯誤の多い新人には辛いとこでご猿。
 名物・包丁正宗(無銘)長さ24cm 反り僅か 鎌倉時代 尾張徳川美術館蔵 国宝。素剣の透彫のある包丁正宗で「享保名物張」に載り,家康の形見として尾張の徳川義直に渡った物である。作風は三口ある包丁正宗の中でも華美に過ぎない刃文で,表裏の物打ちあたりは大きく乱れて耳形刃が交じり,湯走り風の飛焼きが付く,寸方も三口中で最大。

 後の新〃刀を含めた刀鍛冶の100人が100人,1000人が1000人,皆んなが皆んな,「相州伝」の場合は,この「岡崎五郎入道正宗」を目指して作刀をしておりますが,今だに「唯の一人として成功をしていない」,と云われております。この科学万能の時代に800年も前の鎌倉時代の職人の技に追い着けないのでござんすよ,何んでと思われます。


 名刀を作る気で,本科(現品)を熟視して,形状(長・幅・厚)・刃文・重さ・茎や彫物を寸分違わず写し,前図の各要素を満遍なく取入れて焼入れをするのですが,出来た作品が○で別物となって現れます。どこが違うのかですが,見た目は同じでも鉄味が違うのです。鉄のこなしかたにより,鉄肌の強靭さ,しっとりとした滑らかさ,刃文に現れる沸え,匂い,金筋,葉,飛焼,等が違う。それらが全て刀の「品位」「品格」に現れて来る訳でおじゃる。
 刀に限らず美術品は「格の違い」と言う事を良く申します,確かに刀剣も名品は一日中見ていても飽きませんが,駄物はとても一日は持ちません,名刀の面影は一生残ってます。鈍刀はスタイルだけで,オットこれは人間も同じ鴨。失礼!今日はエプリルフールでした。

 時代は文明開化の明治に入り,先ず明治3年12月(1870)に庶民の廃刀令が出され,その後,明治9年に武士を含め日本国民全員の廃刀が決まり,刀鍛冶はギャフンとなった。併し,その翌年に西郷隆盛の「西南戦争」が勃発,刀鍛冶もナンボか息を付く事が出来て,次の明治27年(1894)の「日清事変」まで技術の伝承が繋がり,その後は「日露戦争」「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」となり,大増産をするがそれでも不足の時代となる。
 その幕末から明治にかけても名人は出ており,それらの鍛冶の現在の評価は大変に高い。

     刀 銘 備前介宗次 作之 嘉永三年八月日
         稲妻雷五郎         
   
  刀 備前介宗次稲妻雷五郎 作之 嘉永三年八月日 長さ69.7cm(二尺三寸)相撲博物館。固山宗次は備前伝の丁子を得意とし,陸奥白河出身の刀工で加藤綱秀の門と云われて居る。この作は小板目の詰んだ鍛えで腰の開いた互の目の刀,横綱の稲妻雷五郎との合作刀。
     刀 銘 明治三十一年十一月日 日本美術協会大阪支会技芸員
         月山貞一 依日本美術協会大阪支会嘱謹鍛之   

刀 明治三十一年十一月日 日本美術協会大阪支部技芸員 月山貞一 嘱謹鍛之。切分け銘。月山貞一は父の名人貞吉に作刀を習い,廃刀令により注文の激減をする中を転業もせずに,鍛刀に励み明治三九年(1906)帝室技芸員に任命され,84歳で没するまで活躍をした。この作は板目肌が立ち地景が入り,乱れ刃に砂流しが掛り玉追い龍と素剣の浮彫りがある。

 明治39年は問屋組合が創立された年であり,それから現在迄は優に100年を越えた。USAならとっくにアンテークであるが,日本では未だ新〃刀である。この後に現代刀が控えており,次の出番を待っている。現代刀の作者(鍛冶)はキラボシの如く居るが,未だコレクター&業者の中で確とした価格面の評価が確立していないので紹介はタンマでご猿。


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