東京木材問屋協同組合


文苑 随想

江戸東京木材史を読んで(その3)

−反面教師石定の破綻−

榎戸 勇


 石定破綻の詳細は「木材史」561頁に詳しく書いてある。暇を見付けて是非読んで頂きたい。

 要約すると,石井定七は大阪西横堀の名門木材商会石定商店に若くして奉公したが,働きは俊敏で仕事熱心なので主人に見込まれ,主家の養子になった。彼は主人が隠居して店をまかされると目先が利き行動が早いので,木材だけでなく,堂島での米の買占め,また三品相場にも手を出した。
 大正時代は日露戦争の戦費を外債(外国からの借金)と増税で賄ったので,外債の返済のため金融引締が続いたが,大正3年7月に欧州大戦が勃発し,欧州大陸が戦場となってフランスもドイツも街や工場が破壊されたため,我が国の輸出が漸増して大正5年頃から国際収支が黒字になった。そして企業の設備投資も増え,少しずつ景気が回復した。大戦の終った大正7年11月には,外債は元利共完済したうえ,かなりの外貨を持つようになった。
 従って金融は緩み,大正7年から大正8年は内需産業をも生き生きとさせた。

 石定はこの気運に乗って相場師として大いに儲けた。しかし相場を大きく張るための資金を銀行等からの借入,また一定の保証金を積んでの投機も行っていた。

 ところが大正9年になり,株価や商品相場の暴騰と国際収支の赤字拡大を見て金融が引締められ,3月15日には株価暴落,再び不況の社会になった。この不況は大正から昭和に移るまで続き,そして昭和初期の世界不況の時代に入っている。

 さて,石定は大正9年に多大の損失を出し契約の解け合い等を進めたが,ついに大正11年2月に倒産した。石定に多額の貸付けをしていた高知商業銀行は3月1日に休業に追いこまれ,大阪を始め関西の銀行77行,更に飛火して名古屋,横浜,東京等の銀行の多数に取付け(預金者が預金の引出しに殺到すること)騒ぎが起った。しかし日銀が各行に十分の資金を供給して騒ぎを抑えたので,この騒ぎは大事に至らず収まった。
 また,石定は大量の米材を先物で買っていたのが解約になったため,仕入先の神戸の米材輸入商羽山商店は整理に追込まれている。

 石定事件は後継者選びの難しさを教えてくれる。もし,皆さんの後つぎが目先きが利き,俊敏に動き回る人であったら,その長所を生かしながら,長い目で見ての経済の動きや業界の動きにも注目するよう教えなければならない。経済は一直線に右肩あがり,あるいは右肩下がりにはならない。政府,日銀は状勢を見て,金融を引締めたり緩めたりする。特に現在直面している世界不況は世界のマネーが自由に,そして瞬時に世界を動き回るため,昭和初期の世界不況よりはるかに複雑である。現在,米国も我が国も財政出動という点滴で小康を得ているが,点滴液が何時迄続くのかはわからない。余程防備を固めて経営をしなければならないのではないだろうか。

 一方,石定とは反対の反面教師の例もある。「木材史」とは関係ないが,最近東証一部上場の伊藤ハムの社長が46才で会長の御曹司から会長の女婿で専務執行役員,10才程年上の方に替ったことが新聞の人事欄に載っていた。私は伊藤ハムの株主でもないし,全く関係ないが,任期途中の社長交替なので憶測すると,一昨年末からの世界経済の大変動,世界不況に対応する手だてか出来ず大巾赤字になったらしい。育ちが良くおっとりした社長でも平時には勤まるが,経済が大変動すると手だてが手おくれになる。もし,後継者がおっとり型で,経済の,そして業界の変化に対応できず赤字が続くようであれば,何らかの対応をせねばなるまい。十分の資産が有るうちに,一時休業して倉庫を賃貸し,時を稼ぐのがよいかも知れない。お店一軒一軒で事情が異なるので,一概には言えないが,赤字が続きそうであれば考えねばなるまい。
 勝手なことを書いてお叱りを受けるかも知れないが,私自身のこと,私の家業に関しても参考になるので,石定事件と併せて書き添えた次第である。お許しを頂きたい。


H. 22. 2. 20記
 

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