東京木材問屋協同組合


文苑 随想

渋沢栄一に学ぶ(2)
-論語雑感-

榎戸 勇


 論語は難しい。孔子から直接教えを受けた弟子や、更に弟子に教えを受けた孫弟子達が、色々と孔子はこう仰っしゃった、ああ仰っしゃったという言葉を、孔子が亡くなってからかなりたってからまとめたものなので、矛盾する文章も少しはある。例えば「巧言令色少なし仁」について、そのような人はつまらぬ人だから仲間に入らないのがよいと述べたものと、優れた人と交わって、その良いところを学ぶだけでなく、劣る人と交わっている時はその欠点をみて、自分にもそのような欠点があるのではないかと反省する事も大切だ、との文章もある。
 私が旧制商業学校で漢文の副読本として論語を学んだのは、昭和15年、3年生の時なので、70年も昔のことだ。そしてその後の人生では論語とは無関係に生きてきた。15歳の少年には論語の言葉も文章として聞くだけで、その奥にある孔子の心は全くわからなかったのである。
 論語を学ぶためには儒学についてのある程度の知識が必要だし、儒学を学ぶためには論語を学ばなければ駄目なので、とっつきにくいのである。そして文科系の旧制高校、大学予科の入学試験に論語が出題されたことはほとんど無いので、4年生からの漢文の授業では論語の副読本は無くなった。その時から論語と私との縁はなくなったわけである。
 最近(この数年)渋沢栄一の名が新聞、雑誌に時々載るようになった。企業倫理、社会倫理の必要性が強まったためであろう。
 しかし、論語はとっつきにくく、80歳を越えた私にはとても手におえないと思っていたが、たまたま本屋で『渋沢栄一、「論語」の読み方』(東大名誉教授 竹内均編・解説、三笠書房刊)という本を見つけたので、これなら私でも何とかなるかなと思って買ってみた。
 この本は渋沢栄一が大正12年頃に二松学舎で講義したものをもとにして書き綴った大著「論語講義」をまとめ、そして竹内均名誉教授が若干の解説を加えたA5版329頁の立派な本である。しかし読んでみると仲々難しい。まだ一読しただけなので、十分に咀嚼していないが、前月号に載せて頂いた渋沢栄一の生涯、功績、そして論語と算盤の教えと関連するので敢えて書いた次第である。この本、座右に置き2度、3度と読みかえそうと思っている。
 論語は仏教、その他の宗教と違い、あくまでも、現世、この世における生き方を述べたものである。現実主義を貫いた教えで、宗教がややもすると来世、死後の世界の救いについての教えであるのとは全く異なる。私は勿論仏教徒で、私の人生、来世は阿弥陀如来(全ての生者の運命を司っている如来様)の思し召しと思っているが、少なくとも現世では論語を学んで少しでもその教えに近づきたいなと考える昨今であるが仲々難しい。
 論語 そして渋沢栄一の著した「論語の読み方」については、私はまだ未消化なので述べることが出来ないが、興味のある方はこの本を買って読んで頂きたい。

 (敬称は省略させて頂きました)

平成22年10月3日 記

  (追伸)この原稿を書いたあと、10月7日の日経新聞夕刊にクボタ(東証一部上場の歴史ある会社)の会長幡掛大輔が渋沢栄一の「論語講義」について書いているので、ご参考まで。

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