東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.127

琵琶湖湖北「尾上温泉」と京都「広隆寺」
青木行雄

 京都は旅心をくすぐる私の大好きな場所のひとつである。今回は京都に行く前に滋賀県琵琶湖湖北・奥琵琶湖の尾上温泉に初めて宿泊した。静寂な湖畔の宿で、遠望に「竹生島」を望む。沈む夕日の素晴らしい所は日本にも数々あるがここの夕日も大変見事でお勧めしたい。
 滋賀県東浅井郡湖北町尾上、車なら北陸自動車道、長浜ICから北へ約20分の所である。
 旅先の善し悪しは、宿の雰囲気や部屋と食事ともてなしで決まると思うのだが、かなりの点数をつけたい宿だった。
 私が宿泊した旅館は「紅鮎」と言った。

※ 尾上温泉から望む「竹生島」見事な景観。
※ 尾上温泉から望む「夕日」は見事である。カラーでないのが残念だが、日本の夕日100選に選ばれている。
※ 奥琵琶湖にある尾上温泉。「竹生島」を望み、夕日の名所といわれている。
※ 広隆寺南大門(仁王門)は、どっしりとした大門である。広々とした境内にはいろんな木々が植えられ、四季を通して見事である。

 琵琶湖を望む見事な景観に加え、全室に違った型の露天風呂を設備し、大浴場からも琵琶湖の雄大な姿が見られるように造られている。
  石・桧、信楽焼の全室浴槽の違った露天風呂は見事だ。「竹生島」を眺めながら琵琶湖の水鳥の声を間近に聞きながらの入浴は又格別だった。
  訪ねたのは6月で近くに「ホタル」が出ると聞いて、旅館の小型バスに乗りこみ案内して頂いた。風の強い日で草むらの中で光は見ることが出来たが、飛ぶ所は残念ながら見られなかった。蛙の合唱と、夜空の星の見事さも忘れられない。

  少人数で静かに旅を楽しみたい方にお勧めのコースである。
 翌日京都に出て、四条大宮から京福電鉄嵐山線の電車に乗り、「太泰広隆寺」駅で下車すると、近くの交差点の角に「広隆寺」の南大門(仁王門)が周囲を威圧するように建っている。いつもここを電車で通るとき一度立寄りたいと思っていた寺である。南大門を入ると石畳が続いていて、その右手には赤堂と呼ばれている講堂が、左手には薬師堂、能楽堂が甍を並べている。石畳の正面には本堂の上宮王院太子殿がどっしりと構えていた。
 石畳の道を左にとって本堂と庫裡の間を北に進むと、弥勒菩薩半跏蔵など多くの仏像を安置する「新霊宝殿」へと導かれる。昭和57年(1982)に新築されたと言う和風の建物で、周りにはツバキやサツキの花樹が植えられ、建物の前の池には蓮が水面に顔を出して浮いている。
 この寺には塔がない。鐘楼も質素、京都の寺々にありがちな堅苦しい様式で建物の配置がされていない。広い境内ではあるが、桜や紅葉、いろんな木々を程よく配置、明るさと静けさのある「広隆寺」であった。





 広隆寺沿革
 広隆寺は推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺のひとつである。この寺の名称は、古くは蜂岡寺、泰公寺、太泰寺などと言われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。
広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると泰河勝と言う人が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資材交替実録帳を見ると明らかであると記されている。
 泰氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書紀によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の先進文化を我が国に輸入することにも努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献したと言われている。
 我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太泰の、この広隆寺は、衆生済度の道の探求、仏法への絶対的な帰依、そして、“和を以って貴しと為す”平和な世界を目指された慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した泰氏の功業を伝え、信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和強調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。
 広隆寺は弘仁九年(818)に火災に遭ったが、泰氏出身で弘法大師の弟子である道昌僧都によって再興、更に久安六年(1150)にも炎上し復興された。
 以上のような文面が広隆寺寺史に書かれている。まず驚いたのは、「新霊宝殿」に入ったとたん、50体ぐらいの仏像が迎えてくれる事であった。
 国宝第1号として登録されている「弥勒菩薩半跏思惟像」。この仏像が部屋の正面に鎮座しており、何回もの災難を乗り越えた。
※ 講堂、京洛最古の建物で俗に赤堂とも言われている。建物は重要文化財に指定されている。
      弥勒菩薩は、須弥山の弥勒浄土といわれている兜率天にて、菩薩の行に勤められ、諸天に説法し、お釈迦様にかわってすべての悩み、苦しみをお救いくださり、正しい道へとお導き下さる慈悲の仏様である。
 この弥勒菩薩の仏像に次のような事件がありました。
 昭和35年(1960)8月18日、京都大学の当時20歳になる男の学生がこの弥勒菩薩に触れ、像の右手薬指が折れるという事件が起こった。この事件の動機について「弥勒菩薩像が余りに美しかったので、つい触ってしまった」と言われている。事実は多少違うようだが、京都地方検察庁はこの学生を文化財保護法違反の容疑で取り調べ起訴猶予処分としたと言う。折れた指は拾い断片をつないで復元した。
 人にもよるが、本当に魅せられれば、触れて見たいと思うのは自然かも知れない。時代背景等を考えると、大変な魅力のある仏像であると思った。
 この広隆寺には、国宝が20点、重要文化財は48点、京都の寺の中でも最古の寺であり、大半が木造の仏像で造られており魅力がいっぱいである。仏像に魅力を感じてまだ行ってない人には最高の場所だと思う。
 「そうだ京都へ行こう」のJR東海の宣伝は上手だ。いつ行っても魅力が尽きない場所、京都である。

平成22年8月29日 記


※ 京福嵐山線「太秦広隆寺」下車

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