東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(53)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 例年より早く開花した桜も散り、これから春酣というのに、都心では雪が降り、冬に逆戻り。アイスランドでは噴火による火山灰で欧州の空のダイヤは大混乱。そんな地球でも、二週間振りに宇宙から帰還した山崎直子さんの第一声、「地球という自然の美しさに感嘆いたしました」とのコメントに救われた思いをされた人は多かったのではないでしょうか。
 前回は品川宿散策で龍馬の足跡等を探訪しましたが、今回も引き続き幕末以降の歴史探訪をします。NHK大河ドラマでは、龍馬と海舟の出会いがドラマチックに展開します。
 浜川橋で外国船の警護をしていた頃は、攘夷一点張りの土佐藩士に過ぎなかった青年は後に薩長連合を画策し、大政奉還、明治維新の立役者となります。
 しかし、現代の歴史学者達の厳しい見方によりますと、「龍馬は勝海舟、西郷隆盛らの掌の上で動いていたメッセンジャーボーイに過ぎなかった」という説も一理あると思います。歴史学者は事象を忠実に見て記述しますが、作家の筆の力によって龍馬は英雄となり縦横無尽の活躍をします。
 今の世は、経済の停滞、政治の混迷により英雄の出現を夢見る風潮が蔓延しているのでしょうか。大河ドラマでは、同時代に活躍していたであろう岩崎弥太郎を登場させ、一層盛り上がります。三菱コンツェルンの創業者であった弥太郎の足跡を辿って見ます。土佐に生まれ、土佐商会長崎出張所で龍馬と出会い、大きな影響を受けて、その後海運事業を起した。二代目弥之助、三代目久弥、四代目小弥太へと引き継がれ、今日の三菱グループへと発展して行ったのでしょうが、天下の三菱の隆盛を繙くことによって、大河ドラマに多くの人が興味津々の眼差しでのめり込んでいることでしょう。
 龍馬と弥太郎に大きな影響を及ぼした土佐藩主山内容堂は、安政の大獄で井伊直弼に蟄居を命じられ、品川で三年半を過ごしておりましたが、松平春嶽(福井藩)、島津斉彬(薩摩藩)、伊達宗城(宇和島藩)と共に幕末の四賢候と云われました。藩祖は数年前NHK大河ドラマ『功名が辻』でお馴染みの山内一豊です。良妻の誉れ高い妻千代の内助の功によって、一豊は織田信長に見出され、その後、秀吉、家康に仕え、関ヶ原の戦いでは、西軍か東軍かで去就に迷う群雄を一本にまとめ、大勝利に導いた功により土佐24万石の大名に抜擢されました。
 龍馬は明治維新を成し遂げて間もなく、刺客の手によって倒れ、薩摩、長州閥で固めた明治政府は、250年続いた鎖国から解き放ち、世界列強に伍して船出をします。
  龍馬の功績が人々の記憶から消え去ろうとしていたとき、日露戦争が勃発します。日本中がロシアの脅威に戦いていたとき、突然皇太后陛下の夢枕に立ったのが坂本龍馬でありました。「私が日本を守ります」。と申し上げたそうですが、これが当時の新聞で大きく報道され日本中が沸き立ったと云われていますが、司馬遼太郎氏の考察によりますと、薩長の出身者ばかりが要職に就くことに切歯扼腕していた土佐出身者による画策ではないか、との事です。事実日本は辛くもロシアを破り、土佐の桂浜にも龍馬の銅像が建てられました。
 ソフトバンクの孫正義氏は、事業で行き詰ったときは、「龍馬だったらどうするだろう」と考え、何回も窮状を打解して来たそうです。東京都庁で美濃部知事の広報担当として仕え、退職後作家として名を馳せている童門冬二氏は「龍馬は私が最も共に酒を汲み交わしたい男だ」。と云っておりますが、これらも司馬遼太郎氏の小説『龍馬がゆく』に負う処が大きいのではないでしょうか。
 日本人は幕末に黒船に脅え、太平洋戦争で完膚なきまで叩きのめされましたが、焼け跡から立ち上り、GNPでは世界ナンバー2にまで登り詰めました。しかし今は第三の黒船と云われる中国の急成長による台頭ですっかり自信を失っているように見えます。
 ある有識者によりますと、これは戦後の米国主導の教育の所為ではないかと云われています。
 古事記を繙きますと、「伊邪那岐、伊邪那美の二神が万物を生み出す祖神となった」と記述されています。この二神が太陽と月と地球をつくり、その子孫の神々が日本列島をおつくりになったそうです。これは神話ですから飛躍もありますが、戦前の教育では、日本の祖先の神が天地を創造されたと教え、子供達はこの素晴らしい神話を誇りとして成長したことでありましょう。私は終戦直後、小学校に入学しましたが、二才上の姉は、それまでの教科書のかなりの部分を墨で塗って、価値観を180度覆えされ、大いに戸惑ったようです。
 一方、中国では日本人は悪い民族であったと教え、これは必らずしも正しい教育とは思いませんが、文化大革命、天安門事件を乗り越え、少数民族を弾圧したり、色々批判はありましたが、北京オリンピックを開催し、今年は上海万博を開催するという底力は末恐ろしく、戦後の日本の子供達が抱いていた卑屈さは微塵もないと思われます。
 今の日本人に欠けているものは、貧しくても明治の人達が持っていた誇りではないでしょうか。龍馬のような英雄の出現を待つのではなく、私達の心に小さな火を点し、それを大きく育てる為には如何にしたらよいか、これが我々に課せられた使命でもあります。

 



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