東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.133


出流山「満願寺」と「二人の美女」
青木行雄

※寺内は広く、山門を通り進むが、1250年の歴史があると言う。なかなかの寺であって、栄えたであろう昔の面影が至る所に残っている。

 北関東随一の大護摩祈祷の霊山、「満願寺」をご存知だろうか、なんと1250年間、法灯を守り続け、栃木県の山奥に弘法大師作の千手観音様が鎮座する坂東第17番札所で、真言宗智山派のお寺である。
 平成23年2月5日(土)に初詣として参拝した。東京から約2時間、東北自動車道栃木インターから約20〜30分。かなり山奥と言う感じであるが、昔は大変賑わっただろうと思われる場所が沢山あって、以外と大きな寺だった。そして霊験あらたかで、大護摩祈祷は4人の僧が護摩を焚く中、30分間程の続教とほら貝による山岳宗教らしい雰囲気が充満し大変感動だった。
 満願寺の簡単な略歴を記しておくと、満願寺は天平神護元年(765)に日光山を開いた勝道上人によって開創されている。下野の国司であった高藤介という方の奥方が、子宝に恵まれなかったのをなげかれて、当山の奥の院である観音霊窟(鐘乳洞)に籠って日夜祈願を続けて授かった一子が「勝道上人」であると言う。
 由来、奥の院、観音の霊窟は、子授け安産の霊験あらたかであると信仰され続けている。

※本堂を下から見た写真、この中にお護摩の寺内がある。
※出流山「満願寺」の山門。ここの山門にも立派な金剛力士像があって、寺を外敵から守っている立像がある。寺を外敵から守っている立像がすばらしい。

 その後、弘仁11年(820)弘法大師様が勝道上人の徳をしたって当山に参詣され、その折に名本をもって作られたのが、現在のご本尊「千手観世音菩薩」であると言う。以来、当山は鎮護国家の道場として国主の尊奉厚く、足利時代に黒印20石、ついて徳川三代将軍家光公より朱印50石を賜わり守護使不入の地として、十万石の格式を与えられたと言う。
 司法行政の執行権を有して、現在の寺務所を「出流山役所」と称して寺侍30名を常在していたと言う。
 山内には七つの塔頭寺院と、二つの修験行者の坊を構え、その筆頭寺院を千手院と称して、その威勢盛んに振るまい、東北方面から伊勢参拝の旅人は、往き帰り必ず、当山に参拝して道中安全を祈り日光への参拝者も必ず巡拝したと記してあった。また、羽黒山、月山、湯殿山のいわゆる出羽三山詣での行者は出流山にも参詣しなければ折角の三山詣でも大願が成就しないと言うことで、参詣者が続々とつめかけたと言うのである。
 更に、幕末維新の前年慶応三年秋、竹内啓、会沢元輔、西山尚義等の討幕の志士が当山に参籠し殉国したことは、「出流山天狗事件」といい伝えられていると言う。
 明治改易以後の当山は幕府の禄がなくなり、廃仏毀釈の風潮に、荒廃の一途をたどったが、明治の末から復旧の気運となり、中興第37世竹村教智大僧正(真言宗智山派第61世管長)は昭和41年、延べ520坪の信徒会館、ついで昭和53年に新本坊(延320坪)の建立をはたし、更に昭和59年、鐘楼堂を再建したと言う。

※お護摩所の寺内。けっこう広く、霊所にふさわしい雰囲気だった。1人の僧がお護摩の準備中である。この後4人の僧が続教する。ほら貝がひびき渡る。

 出流山満願寺では約1250年法灯を守り続け、大護摩祈祷の霊山だが、このお護摩札を受ける目的の参詣が多いと言う、そのお護摩とは、ご本尊の霊力と修行僧並びに信者の祈願が一つに融け合って、災害を除き、福を招来して、願い事を成就させる真言の秘法である。
 我々一行もこのお護摩祈祷をお受けしたわけだが、4人の僧が、井桁に組んだ木に火をつけ、何回か木をそえ、燃やしながらの続教。ほら貝が山奥の寺内にひときわ映えて、木が燃える暗明かりの中でパチパチと音がする。だんだんとお教の声も力が入る。ほら貝が奇妙な音を響かせ、霊山の別世界に吸い込まれたような気がして、異様と言うか、願い事が実現しそうな雰囲気だった。

 満願寺(雑読) 平成23年2月5日

※ 初詣 栃木の里の 満願寺
     人里離れた 山岳の寺

※ 満願寺 1250年の 霊山に
     護摩焚き祈願 心洗わる

※ 大昔 弘法さまに 縁深く
     今もご利益 あつきお寺よ

 日本人は初詣と言って神仏にお参りしたり又機会があればいつでも頭をさげてお参りする人が多いと思う。私もその1人で多くの神社、お寺の宗派関係なくお参りしている。そして歴代の神、先祖に感謝の心持ちを伝えたく頭をさげている。

 満願寺には直接関係はないが、こんな話をブログで見つけたので記して見た。

「2人の美女」
 ある神社に2人の美女がお参りした。
 一人の美女が賽銭箱に10円玉を入れ、手を合わせて言った。
 「お金持ちになれますように
  宝くじが当たりますように
  お腹のお肉をとってください」
 神様は「やれやれ……」とため息をついています。

 もう一人の美女も同じく10円玉を賽銭箱に入れ、手を合わせて言った。
 「いつも家族を見守っていてくれて、ありがとうございます。私を生んでくれた両親にも感謝します ありがとうございます」
 神様は思いました。
 「もっとシアワセにしてあげよう……」

 これは「先取り感謝法」と言うらしい。

※栃木市の「山本有三ふるさと記念館」の玄関口。木造民家を改造した記念館。山本有三に関する資料がかなりあって販売もしている。

 「いいこと」があったから「感謝」するのではなく「感謝」するから「いいこと」が起きる。

 後からの美女のこのような気持ちで人生が送れたら、幸せだと思う。これからは、こんな心掛けで神仏にお参りしよう、そしてすべてに感謝する。

 栃木の満願寺をお参りしてから、栃木市内の「山本有三ふるさと記念館」に立ち寄った。有三の作品に『路傍の石』と言う小説がありこんな名訓があるので記して終りにしたい。

 「たったひとりしかない自分を
   たった一度しかない一生を
    ほんとうに生かさなかったら
     人間、生まれてきた かいがないじゃないか」


平成23年3月5日 記


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