東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.140

「椿山荘」の庭園散策
青木行雄
 

 椿山荘の庭園はすごいと思う。方々から集められた歴史的価値のある古物が沢山ある。そして庭園の中に「タヌキ」の一家が住んでいると言う。こんな看板が立っていた。

「庭園のタヌキについて」
豊かな自然が残るこの庭園には野生のタヌキの家族が暮らしています。
タヌキと人間が安全に共存できるようご理解とご協力をお願いします。  
※餌をやらないでください  
※近づいたり触ったりしないでください  
※脅かしたり追いかけたりしないでください
                           総支配人

 素晴らしい森には自然があり、ホタルが鑑賞出来る。
 1878年(明治11年)、山縣有朋(やまがたありとも)公が私財を投じてこの(椿山荘)の地を入手して、「つばきやま」の名にちなんで「椿山荘」と名付けて築庭に力を注ぎ、約2万坪(約66,000m2)の起状豊かな地形を巧みに活かし、今日に見る名園に造り上げたと言うことである。当時、明治天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしばこの椿山荘を訪れ、重要会議を開いたとも伝えられている。
 その後、山縣公爵からこの名園を譲り受けた藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ文化財の数々を随所に配し、その風情を一段と高めるに至った。
 こうして受け継がれてきた伝統は、今日も都心で豊かな四季が味わえる数少ない名園を育み続け、近代的諸設備を誇る施設の数々と共に、椿山荘を名実共に日本を代表するガーデンレストランとして位置づけ、日々内外のお客様を迎えていると言うことである。
 このようなことが「椿山荘」の案内に概略が紹介されているが、内容について調べて見ると、当時かなりの金額を投じて集められたものと推察する。それは歴史的又文化財と言える逸品が多くあると言うことだ。そしてゆっくり鑑賞しながら見て回るとかなりの時間もかかるが、興味のある人は楽しいし、東京の中心に近い所にこんな貴重な森と文化財のある場所は珍しい。椿山荘には行った事はあるが、庭はゆっくり見ていない人には、是非おすすめのコースである。
 調べて見ると、目白の高台にあるこの「椿山荘」の庭には秩父山系に降った雨水が100年以上も地下水脈を旅して湧き出していると言う。この恩恵により数百種の花木が、四季折々に美しく咲く、1〜3月にかけて花開く椿は園内各所にある。この椿にちなんだ椿山は、19世紀の浮世絵師、安藤広重の『名所江戸百景』「関口上水端芭蕉庵椿山」に描かれていると記されていた。
 それではこの「椿山荘」の史跡について、紙上の散策を記して見たい。
 地下鉄「江戸川橋駅」を下車して、椿山荘方面出口より地上に上るとすぐ「神田川」があり神田川のほとりを眺めることが出来る。橋を渡ってすぐ左側に「江戸川公園」がありこの桜並木は有名で、この神田川の両側春の桜並木は見事と言うばかりである。「椿山荘」に行くルートはいろいろあるが、時間に余裕のある時は、特に春の桜の時期はこの桜並木を通り行くのが最高の行き方だと思う。14〜15分かかると思うが、散策には最高だ。まもなく椿山荘の裏玄関とも言える「冠木門」を入ると迎えてくれる大木、「御神木」椿山荘で最古の樹木として保存されている「椎(しい)」の大木がある。樹齢は約500年と記されているが、樹高は約20メートル、根本周囲は4.5メートルあると言う。しめ縄をまわして「御神木」として保存している。

※「椎」の木、珍しい大木である。樹齢約500年と記されているが、わからない。周囲4.5メートル。高約20メートル。
※そば処「無茶庵」木造で森の中の一軒家。環境は最高である。
 御神木の先を左に登って行くと、そば処「無茶庵」がある。都内の一角に森が繁るこんな風情(ふぜい)のある環境で「そば」が賞味出来る幸せを感じる瞬間であった。

 そば処を出て左側にちょっと登ると「白玉稲荷神社」があった。京都下鴨神社にあった社殿を譲り受け、大正14年伏見稲荷から、白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としたと言う。平成元年、現在地に新神殿を建立し、遷座したと言う。

 神社を通り散策道を進むと、椿山荘庭園でもっとも歴史的価値のある「三重塔」がデーンとそびえていた。
 東京都区内に現存する歴史的古塔は、上野の旧寛永寺五重塔(江戸時代)と池上の本門寺五重塔(江戸時代)、そしてこの椿山荘の三重塔だけで、貴重な文化財である。

 この貴重な文化財を、縦・横・斜めに見て回り、写真を撮った。釘一本も使わないと言われる木造建築の塔の魅力、興味のある人にはたまらない建造物である。

 大正時代に台風により一部破損したと言うが、東京大空襲の戦火には運よく焼失はまぬかれた。この程平成22年に大改修をして、修復完了した。夜にはライトアップが美しく、庭内を一段と引立たせている。

 この他いろいろ写真も紹介したいのだが、短縮して、文面により記して見た。

※「白玉稲荷神社」の社殿。椿山荘の守護神である。社殿は京都の下鴨神社。 ※散策道に点々と配置されている「七福神」の説明と共に賽銭箱が設置されていた。
※この塔は、平安前期に,小野篁(おののたかむら)(西暦800〜825年)が広島県篁山竹林寺に創建し、平清盛(たいらのきよもり)(西暦1118〜1181年)が第一回目の修復を執り行ったと言い伝えがある。また、建築様式から見ても少なくとも600年は経過していると言われているそうだ。椿山荘には1925年(大正14年)、山縣有朋公爵から庭園を譲り受けた藤田組二代目当主・藤田平太郎男爵(創業者:藤田傅三郎)が移築したと言う。
※こんな散策道に夜は照明が灯り、実に風流な雰囲気であり、側面には、「羅漢石(らかんせき)」が見られる。江戸時代中期の画家・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の下絵による五百羅漢の内の約20体で、京都伏見の石峰寺にあったものとされていると言う。人の手によって作られた数々の「石の物体」石仏・石獣等。容姿は皆違う。興味のある方は、必見か。
※「福の亀」  
庭園の出口の近くにあるこの亀の形をした石は、山梨県東山梨郡牧丘町大室の標高千メートルの山中で発見されたので、全く天然のままの甲州御影石である。亀甲模様の線は永年風雨にさらされて、石の軟らかい部分が風化して出来たもので、一万年以上の年月を経ていると推定される。長寿と幸せのシンボルとしてご鑑賞くださいと書かれていたが、さすがに結婚式の多い「椿山荘」の庭にふさわしい福の亀かも知れない。

 庭内の中央に「庚申塔(こうしんとう)」と言う小さい塔があった。宗教的なものだが、道教の庚申信仰に由来して造られた石塔と言うが、青面金剛像と言う金剛像が表面に浮彫に彫刻されている。江戸時代の初期にこの辺りに野道があった頃から現在の場所にあったらしい。
 又池の近くに「古香井(ここうせい)」と言う井戸がある。ここ目白台近辺は前にも記したが、湧水に恵まれた地であり、中でも椿山荘の「古香井」は秩父水系のミネラルを豊富に含んだ名水として広く知られているらしい。
 庭園に出て散策道を下り、赤い橋のたもとに「十三重の石塔」がある。大きな寺院等に行くと見かけた事があると思うが、この椿山荘にもあった。どこからの塔か場所はわからないが戦国時代の武将で茶人でもあった、織田有楽斎(信長の弟)ゆかりの層塔と伝えられると言う。花崗岩製で、第一層目に四方仏(弥陀・弥勒・釈迦・薬師)が彫刻されている。数種の層塔が混合されているらしい。その一部は鎌倉時代の様式を示していると記されている。
 まだまだ紹介したいものは多々あるがとにかく興味があったら出かけて見てはいかがだろうか。そして「そば」の好きな人は木造の「無茶庵」で昼食でも食して半日は十分楽しむことが出来る。とにかく健康で多くの人に会ったり、自然を堪能して、美しいものを見て美しいと感ずる感動や感性を持続させたいものだ。

安藤広重『名所江戸百景』
「せき口上水端はせを庵椿やま」
(関口上水端芭蕉庵椿山)

平成23年9月25日 記


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