東京木材問屋協同組合


文苑 随想

材木屋とエコ 環境 省エネ(第7回)

ゴルフの思い出(日本とアメリカ)

(株)コバリン 奥澤 康文

 今回は若干趣向を変えて、ゴルフの話題を入れました。私は元来運動を苦手としていましたので、ゴルフもカリフォルニアでの駐在員時代7年間(1980年代)やった割には伸びがありませんでした。ベストは、ハーフで41、R91が最高でした。スコアが急上昇した頃、丁度現地で長男が生まれ、日本の様に家内に里帰りをさせるわけには行かず、育児の手伝いの為に回数が減った途端、夢の80台を目前にスコアは逆戻りで涙を呑みました。当然、帰国後は回数も激減しダメになる一方で、いつの間にか遠ざかってしまいました。有名なペブルビーチ、リビエラ、スパイグラス・ヒル、スパニッシュ・ベイ等の横綱級のコースでもやったことがありますが、調子のいい時100を切るのがやっとでした。今思い浮かべても身震いがします。
 当時は、ゴルフと市内観光案内は仕事上必須でした。当時の上司はD氏(現在66才)(元千葉県女性知事のD氏の縁戚)で、仕事もゴルフも厳しい人でした。長身で高学歴、更に、加山雄三似の甘いマスク、スポーツ万能、歌もうまい。要するに何をやってもそつなくこなすタイプで、取引先だけでなく、女性にも大変もてました。当時の彼は上場企業の取締役をやっていて、人柄も良かったため次期社長候補の筆頭でした。残念ながら、バブルの崩壊でその芽はなくなりましたが、常にスター的な存在でした。同氏とは、サンフランシスコでの4年間一緒で、今でも賀状交換をしており懐かしく思い出しました。
 そんな上司のD氏に対し、すべての面でメチャクチャに劣勢の私でしたが、ゴルフをやって3回ほどグロスで勝ったことがあります。D氏はハーフで36を幾度も出しましたが、米国では70台はなかったです。当時の私は、「自分の運動神経では、毎日やっても70台で回ることは不可能だが・・・、80台の前半は自分でもだせる。」と思っていました。それから約20年、今では、100を切るのが当面の大目標です。
 今年、我社の千葉社長と東千葉C.C.で、ゴルフを教えて戴く機会がありました。私の様な初級者から見ても、ゴルフは自然条件も含めたコース特性等に影響される為、ある意味で仕事の攻め方や人生にも似て奥深いものがあるように感じています。

【カリフォルニアのゴルフ料金の今昔物語】(奥澤)
1980年代後半 パブリック(普通):$15〜30 (カート込//サンフランシスコ近郊)
  同上 パブリック(高級):$50〜90 (カート込//ペブルビーチ等)
 
2年前 ペブルビーチ:$ 495、スパイグラス:$ 330、スパニッシュ・ベイ:$ 260。(不含:カート)
2011年9月5日(月) 記

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