東京木材問屋協同組合


文苑 随想

材木屋とエコ 環境 省エネ(第8回)

人生色々、35年振りの同窓会へ

(株)コバリン 奥澤 康文


◆60歳目前に、同窓会初参加◆ 
【木材の縁で幹事に】 昨夏、農学部の村上会長(住友林業)と30数年振りに再会し、「来秋の総会には一人でも多くの同窓を!!」との再々の強い要請を受け困惑。理由は、「長らく同窓から遠ざかっており、友人・知人がゼロですから、無理ですよ!できません!」と返答。ところが、不安な予感がズバリ的中。今夏、幹事に選出され重責に頭を抱え、村上会長より「農学部同窓会名簿(H13年度版)」を2ヶ月間お借りした訳です。
 同級生とは言え、30数年ぶりに電話するのは疎遠故の抵抗感や遠慮も手伝い、最初はおっかなびっくりでした。自己紹介をしても、相手の同級生側も面喰ってしまい、状況を説明し納得してもらうのが中々大変。今となっては、笑い話で済まされますが、その時は懐柔(?)するのに真剣でした。余談だが、弊社の千葉社長が村上農学部会長と旧知の仲であることも奇遇であった。世間は広いようで、意外に狭いと実感した。


◆秋の総会に向けて、キックオフ!◆
 
最初に電話したのが、同級の望月君(静岡市で不動産鑑定士事務所経営)。「入院しない限り絶対に出る!」昔と同じ大きな声での一発回答に度肝を抜かれ、その場で4ヶ月先の予定表に入れてもらい大感激! 望月君の元気な一声が私のスキームを大きく牽引したと言っても過言ではない。ムラムラと若き頃の情熱が蘇生。「よし、それじゃ、やってみよう!」と思い、これを契機に、年次、学科の枠を超え電話、メールを続けた。
年長の先輩からは、「出ないけど、ご苦労様」と労をねぎらわれることがあり、これなどマシな方でした。同輩や後輩の年次からは、同窓とは言え、信用してもらえず失望・落胆の日々。2、3度電話しても、殆どが無視され、興味がない、関わりたくない、まるで迷惑と言わんばかりの対応に苦慮しました。
連絡先の不明の人も結構有。福島第一原発事故関連で出席を断念した福島県庁の相馬君、同様の同窓も多いと思われ、とても残念で気持が重い。又、当時の学生アパート単位でのユニークな同窓会をしている君島君(2年後輩)ともメール交換でき感動!
電話するのを躊躇(ためら)った人もいました。20数年前のサンフランシスコ駐在時代、偶然、数軒隣だった古川先生(医学部S47入学)現在、東京の聖路加国際病院で活躍中、多忙そうなので電話を遠慮したが、将来、同窓会を縁としていつか再会したい。

【出欠の最終確認】 9月に入り、可能性の高い人へ再度確認をした。当時、林学を学んだ同級の縁で、10〜12人の初参加の目途がついた。北は、岩手、福島、埼玉、東京、千葉、そして、南は、静岡、愛知、滋賀、岡山から。予想外に、米国在住の友人からも出席の回答を得て、勇気凛々。昔の同期の仲間の絆は、30有余年の幾星霜を経ても大変に有難いとしみじみと感じた訳です。(勿論、当同窓会には他学部、他学科も入っており、林学はその中の一つにすぎない。) 若い頃、年配のT大出(林学)の上司が、タバコを燻(くゆ)らせながら時折呟いていたのを思い出す。「林学出身者は、変種が多い・・・。」同級生の現在の職業を聞いたら、驚くべき多種に亘っている。

◆高校同窓会への関わり方◆
【同窓会へのイメージ】 更に私は勢いのまま、今夏より高校の東京同窓会へ初参戦。高校と大学とは差異があるが、基本的には似ている。そこで、『東京同窓会25年史』(A6版で約600頁)を購入。OBで画家の人が表紙を担当し、印刷会社のオーナーが編集した力作。苦労、成功、珍談、奇談、提言、趣味、悦楽、不平、不満等が網羅された秀逸で愉快な本です。
 感じ方は人其々だと思いますが、所謂、成功者の社交の場と想像していた。現実に、収入や社会的な立場も千差万別。真面目に考えれば、私などは参加資格が無い様な感じがする。しかし、色々な同窓生との懇談は楽しみがあります。自分の同期や知人がいないと、大部分の人は、そこで、パタリと来なくなるそうです。私は、友人・知人がいなくてもへこたれません。仕事や人生でも同様と思います。止めるのは簡単ですが、継続するのはそれなりの努力や工夫が必要です。それでも、そんな次元や時空を忘れ友情を構築できるのが、同窓会であると思いました。化学者の小野田君と交信できたのも今年の嬉しいハイライトの一つだ。
 最近よくテレビで見かける、キリンビールの松澤社長(隣村の3年先輩)のような天上のキラ星も稀にはあるが、私の様な海辺の砂も必要なのではないかと自分を慰撫。ゴルフ好き(最近はテレビ専門だが)で、ビール党の私としては、何となく親近感が湧く。

◆希望・感謝・御礼◆  
  幹事にならなければ、忘れていた昔の同級生に電話をすることもなかった。上述した望月君の快諾やアメリカの三上君の参加は私の背中を強く押した。その他、一泊で参加する遠方の同級生達の熱い「友情出演」も我が人生に残る記念すべき思い出となった。私の様な小さな雨の一滴でも、集まればやがて大河となり得る事を痛感。係り方次第で人脈もできるし、仕事のグレードアップも可能、ゴルフや食事会をやる機会も巡ってくると感じた。「クラス会再生3ヶ年計画」(?)で、もっと仲間や友人を増やしたい。
 東日本大震災では、同窓を含む多くの人々が直接・間接的に被害や影響を受けている。自分のできることを模索しながら関わって行きたい。手前味噌ですが、この『組合月報』を被災した縁者へ送付すると同時に、同窓会や取引先等を含む多くの人に紹介している。哀しく辛いことの多い昨今ですが、日常の仕事ともバランスを取りながら、できるだけ長く続けたいと思っている。
 昭和20年、30年代卒の諸先輩方も矍鑠(かくしゃく)として頑張っておられ、談笑している姿に出会う度に元気が湧いてくる。微力な私も同窓会活動をライフワークの主軸の一つとして、生涯現役でありたい。旧交を温めることで様々な感動と刺激を受け、気持ちも若返り、新たな人脈や創意工夫の芽が生まれつつあるのを実感している。


2011年10月8日(土) 記

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