東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(63)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 友人の立川康夫氏が2月13日、冥界へ旅立ちました。私とは30年以上の交際でありましたが、仕事、私生活を問わず、実に多くの薫陶を頂きました。氏は建設会社、不動産企業に奉職、リタイア後は、在職中から研究研鑽を重ねて来た成果を生かすべく、地球環境の見地から農業、漁業の再生を試み、千葉県袖ヶ浦市で仲間に呼びかけて房総農芸塾を立ち上げ、艱難辛苦の甲斐があって、ようやく日の目を見ようという矢先のことでありました。立川氏のまわりには多くの賛同者が集まり、次第にその輪が広がって行きました。その中には、10年前に急逝した下町タイムスの今泉社長、関東学院大学名誉教授宮村忠氏、港区長を一期勤めた原田敬美氏も居りました。私も立川氏と近い世界に居りましたので、氏の貴重な教えを少しでも生かし、まちづくりや地球環境問題に取り組んで参り度いと念じております。
 日本の春は西からやって来ます。球春などと云われ、プロ野球のキャンプは、九州、沖縄で賑やかに始まります。残念なことは、大相撲の春場所が八百長問題で中止となりました。伝統ある国技を絶やすことのないよう、是非解決してほしいと思います。今朝のニュースはネットによる大学入試の不正事件を告げておりました。北では大雪による被害、南では新燃岳の噴火、今年の春は内外とも大きな波乱が渦巻いています。チュニジア、エジプト、リビアの民主化運動はネットを通じて世界を駆け巡り、地球規模で広がって行くことでしょう。このようなときこそ、賢明でなければならない国会の先生方はしっかりと先導して下さい。もう桜の便りが動き出し、お花見のお誘いが届きました。
 3月12日は、もう1200年以上続いている、奈良東大寺二月堂のお水取りの業が明ける日です。深夜に駆回る行者に担がれた赤い松明の火に導かれて春がやって来ます。由来は、華厳経の発祥地、シルクロードの途中ホータン(和田)で天山の雪解け水を延々とカナート(地下水路)により送られる「命の水」にたとえました。これに倣い日本では、若狭の国からの「お水送り」があります。お釈迦様の前世と云われ、ホータン(和田)で生まれた善財童子が獅子に騎乗した文殊菩薩に諭されて仏道修行の遍歴求法に旅立ちます。
 これは東大寺に納められている華厳経の最終章、入法界品に記されています。また、昨年亡くなった井上ひさし著『新東海道五十三次』文芸春秋社刊にも解説してあるそうです。
 私が平成6年(1994)東海道を歩き終えて、友人の萱原画伯と『ぶらり東海道旅日記』を出版し、下町タイムス今泉社長の紹介で読売新聞に掲載され、江戸川区在住の飛澤さんから電話を頂き、そのご縁で東海道ネットワークの会に入会しました。初めて東大寺二月堂のお水取りと東海道五十三次の深い関係も御教示賜りました。飛澤氏の説によりますと、3月12日お水取りの日が、善財童子が五十三聖人を訪ねて歩く出発の日であります。
 日本橋を振り出しに、次の日は品川、というように歩きますと、4月8日に到達する袋井宿が観自在菩薩に邂逅して教えを聞く日となり、お釈迦様の誕生日に当たります。このようにして、京都三条大橋で、象に騎乗した普賢菩薩に出会って善財童子の旅は終わります。
 飛澤様は仕事でインドネシアに出発したとき、ブロバドール仏跡を訪ね、遺跡レリーフを見て、当地でスナーダと呼ばれていた善財童子が聖人を訪ねて歩く物語を解き明かされました。中国の蘇州市にある、350メートルの宝帯橋は53のアーチで出来ています。
 東海道五十三次の宿場制定を幕府に具申したのは、日光に東照宮造営を薦めた政治顧問の天海僧正であるといわれています。家康が江戸幕府を磐石の体制にする為、豊臣秀頼に散財させようとして、方広寺を大改装して秀吉の供養をするよう勧め、新設した鐘楼の鐘にある「國家安康・・・君臣豊楽」の文字が、安の字で家康の名を分断し豊臣の繁栄を願う、体制に逆らうものである、と言い掛かりをつけました。これが元となって大阪の陣が起き、豊臣家は滅亡しましたがこれを仕組んだのも天海僧正でありました。
 天海は、東大寺にある華厳経の経典を熟読して、善財童子が教えを乞うために訪ね歩く聖人を53の宿場に譬えて、五十三次を歩くことは多くの善智識を学び、それが国の繁栄に寄与することであると確信して宿場制定がなされたものと思われます。
 その後、東海道は大名が長い行列を従えて参勤交代の往復に通行する公用道路となり、庶民はお伊勢詣りに利用したりで、日本の江戸と地方間の物資の流通や文化の交流に寄与しました。しかし、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』を見ても、善財童子の仏道、遍歴求法についての事項は見当たりません。僅かに、出発の日本橋に獅子の橋飾りが見られるのみです。飛澤氏は三条大橋に童子を称える何物もないので、橋詰に「象」を設置したいと提唱されています。しかし、江戸幕府開設以来、明治維新の後まで300年平和が続いたのですから、徳川家康と天海僧正が描いた日本の方向付けはほぼ達成されたのではないでしょうか。

 



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