東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(64)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 平成23年3月11日14時46分、発生したマグニチュード9.0の地震により東日本は大打撃を受けました。被害及びその後の状況は、連日新聞、テレビ等で報道されておりますが、いつ、どのような形で終息するかは誰も予測することはできません。新木場では液状化現象による道路、水道管の損壊、交通機関は麻痺し、一般道路は大渋滞、電話は不通となり、徒歩で帰宅する人は深夜まで列をなして難儀されました。
 特に福島原発については、全国民注視の中で対策が講じられておりますが、予断は許されない状態であります。私の周辺では、仕事上の会合、政治家のパーティ等は中止又は延期となりました。被災地の方の救済、支援については、企業、業界単位から国を挙げて協力体制を築き、非常時に団結して行動する様は目覚ましい。4月2日、いわきの事業所に勤務する社員の結婚披露が予定されていましたが已むなく延期となりました。3月26日、加入している『東海道ネットワークの会』の例会も静岡県蒲原宿を散策する予定でしたが、会員が広範囲から集まるには無理とのことで中止のお知らせがありました。当組合月報で何度か書かせて頂いた、ら・ろんどの会の花見の会が4月2日にありました。当会は、これからの人生を豊かに彩るグループという趣旨で発足しました。当然中止になると思いきや、予定通りの開催となり、電力節減で間引きされた照明を落した電車を乗り継ぎ、これも暗くなった武蔵小金井の北口構内に14名の会員が集合しました。公園の桜は綻び始めたばかりでしたが、折角集まった会員に、原発事故の正しい情報を提供しては、との主催者の配慮により、たまたまメンバーの中に元(独)日本原子力研究開発機構職員のY博士が居られ、乾杯の後、あまりアルコールが入らないうちに分かり易く解説して頂き、全員熱心に聴き入っておりました。実はY博士の講演は、2009・6・11、『日本を支える原子力エネルギー』というテーマで聴いたことがあります。その時の話の核心は今でも鮮明に記憶しております。つまり、原子炉は放射能を閉じ込める五重の壁によって厳重に守られている(図-1)。ところで、今の私が最も知りたいことは、『五重の壁によって守られている安全が、何故今回は破られて多大な混乱を招いているか』ということでありました。
 Y博士は、予め、ら・ろんどの会の会報に(H23. 3. 27)『福島県第一原子力発電所の安全性』と題し、急遽寄稿されています。
 要点は、(1)冷却機能損失と水素爆発による原子炉建屋の損壊の項から「原子炉はその安全性を確保する為に圧力容器で覆われ、その外側に熱を取り出す冷却系も含め原子炉格納容器で取り囲み、放射性物質が外に出ないようにしています。この建屋で溜った水素が周りの酸素と反応し、建屋が損壊し放射能の閉じ込め機能が破られ周囲の放射線量が上昇しました。」つまり、(図-1)で第3の壁内で発生した水素が何故第4の壁の格納容器の外に出たのか。これは(図-2)にある冷却水を送るポンプ内を水素が充満してバルブを破損し第4の壁の外へ出たことがやっと理解できました。原因は停電によって冷却水が送られなくなり、水位が下がって燃料が露出、ジルコニウムと水が反応して水素が発生、高圧の水素がバルブを破った為であります。
 Y博士の弁『日本の原発はすべて地震対策を立てていたが、津波に関しては想定外であった。ほとんどの原発は海岸近くに位置して居り、これは海水を冷却水に使う為である。今最優先することは冷やすことです。作業員の被曝の影響を極力防ぎながら、電源を回復、漏れた放射能を含んだ物質を極力飛散流出しないよう根気強く続けるしかない。海水の汚染、野菜、水道水への影響その他風評、批判に対して正確に事実を発表し、国の機関、政治家、研究機関、マスコミ、国民が一丸となって対処することが肝心であります。』
 私達は、Y博士がある時は熱っぽく、又ある時はクールに語る姿勢から、実態を冷静に把握した上で、歯に衣を着せずに考えを吐露して呉れたものと信じました。
 昨年文化勲章を受章した建築家の安藤忠雄氏は、『日本経済新聞』連載、私の履歴書の最終日、次のように述べておられました。1970年、三島由起夫氏が起した自衛隊占拠失敗割腹事件は、三島氏が驕り高ぶった日本人に鳴らした警鐘である。その頃まで高度成長を続けて来て、以後は戦うことをやめてしまった日本人。今回の震災は、黒船来航、敗戦に次ぐ三番目の試練ではないか。
 「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。トップに立つ人は、普段は優雅に暮らしていても、いざという時は、自分が最前線に立って困難に立ち向かわなければならない。
 英国と南米のフォークランド諸島との間で国際紛争がありました。鉄の宰相と言われたサッチャーの指揮の下、最前線にまっ先に馳せ参じたのは女王の長男、チャールズ王子でありました。阪神淡路大震災の朝、村山首相が自衛隊を動かし現場に急行させていれば、少なくとも千人の命が瓦礫の下から救出されていたかも知れません。
 今回の震災も、14時46分発生、菅首相が緊急事態宣言をしたのが19時03分と4時間半もかかっています。もっと早く手が打てなかったのか。
 今回は、歴史探訪と違う主旨で書き綴ってしまいましたが、どうか御高評、御指導賜り度くお願い申し上げます。


放射能を閉じ込める五重の壁
図-1

沸騰水型炉(BWR)原子力発電のしくみ
図-2
 



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