東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(67)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 3月11日東日本大震災以来4ヶ月が過ぎようとして居りますが、復旧、復興は依然として進まず、福島原発事故の収束もどうなることか。国全体が一丸となって対応しなければならない時に、リーダーシップをとるべき政治家が最も劣っているようですが、これを批判することは自由ですが、即選んだ我々に返って来ますので、先ず自分で出来ること、企業として出来ることから始めなければならないことは当然であります。非常時には自助、互助、公助と云われる所以(ゆえん)であります。
 私共の企業体にはメーカー部門として福島県いわき市に2工場があります。小名浜港は大きな被害を蒙りましたが当社の工場は比較的小さな被害で済み、約15日間で修理を終え、生産を再開することが出来ました。
 プレカット及び製剤工場は小名浜港に隣接しておりましたが、津波がやって来た方向に小高い丘があって神社が祀られておりました。「神笑神社」と云いますが、神社一帯が自然の擁塞となって津波を最小限に抑えてくれました。
 大昔、津波が来て高台が守ってくれたので地元の人が神社を祀ったのではないかと思われます。
 江東区有明地区でまちづくりの事業をやっていますが、代表して某ゼネコンの技術者が6月11?12日、被災地を視察して、報告を聞く機会がありました。南三陸町志津川で避難民が逃げて走った道の奥に神社があり、鳥居をくぐり、石段をかけ上ってようやく難を逃れたそうですが、その奥に縄文時代の遺跡があったそうです。この様な例は到る処にあります。先日和歌山へ出張した当社の社長が見た石碑には、これより下に家を建てるな、住むなと、警告を発していたにも拘わらず、下方に人が住み、まちが形成されていたそうです。
 仕事で訪問した先で、当社の事業所がいわき市にあることを会社概要でご覧になった部長さんが、震災の被害についてご心配頂き、件(くだん)の神社の御利益についてお話ししました処、似たようなことがあるものだ、と仰って図書館から借りて来た古い本を見せて下さいました。著者は民俗学の大家柳田国男氏のお弟子さんで、1935年から三陸地方を調査し、先人が残した記録を足と耳目で5年間かけて集めた貴重な記録で、震災が来たら如何に対処するかを警告を発しておられました。部長さんが仰るには、今はGPSの技術で、被災前、被災後の状態を瞬時に出すことが出来ますが、最新の技術よりも昔の人が日数をかけて集めた情報の方が役に立ちます。惜しむらくは、現代人は過去の歴史を軽視する嫌いがあり、賢者が読んで警告を発しなければなりません。
 6月24日、建築会館でシンポジウムがあり、「木でつくる2050年ゼロカーボン社会」というテーマで、講師は建築家中村勉氏でした。中村氏によれば地球環境は毎年悪化しており、2020年までにCO2排出を80%削減しないと、ヒマラヤの氷河が融解して地球は増々病んで参ります。これを止めるにはアメリカ型の消費社会を排除し、化石燃料エネルギー消費から自然環境型のエネルギー社会にします。木造都市、木造建築をもっと増やす必要があるという我々木材業者にとっては大変有難いお話の内容でありましたが、副題として「東日本大震災復興構想について」というテーマについても話して頂きました。
 自治体が被災地を長期で借り、使用量を払って住民はそれを復興費用に当てます。例えば南相馬地区、1Km×1Km、100haを借りて、太陽光発電所を200億円で建設しますと売電代金は20年で440億円になります。瓦礫を廃棄物と見做さず、宝物として活用、バイオ燃料とします。被災自動車はメーカー所有者から中古市場の2分の1で買い取り、リサイクルします。地域ごとに避難から復帰まで短期(3年)中期(5年)長期(20年)の計画を立案します。これらの企画はすでに自治体と協議して進めているケースもあり、若し実現すれば素晴らしいことではないでしょうか。
 利権を主張し、汚い言葉で、上から目線で被災者を見下ろす政治家や国家に補助金で養われて、原発の実態を明らかにしない御用学者が横行する昨今、自分の知識、技術を社会に役立てようとする建築家の話を聞いて久し振りに爽やかな気分になりました。
 先日、平泉中尊寺金色堂が世界遺産に登録されました。被災地域の人達にとっては、復興に向って大きな励みになったことでありましょう。清衡、基衡、秀衡と三代続いた藤原氏の栄華は鎌倉武士によって滅びますが、同時出羽では金が産出され、金色堂が建てられ、この繁栄が西洋に誇大宣伝され、コロンブス、マゼラン等による大航海時代の幕明けとなりました。マルコポーロという商人の息子が、アラビアの隊商と旅をし、蒙古に来て貿易商から日本のことを聞きます。当時藤原氏は王国のような存在で、秋田に港を開き、大陸から来た商人と貿易をし、商品の代金を金で支払いますと、大陸に帰った商人からマルコポーロは、日本の家の屋根は金の瓦で葺いてあると聞き、ヨーロッパへ帰って『東方見聞録』を著します。読んだ商人達は欧州から西廻りに航海すれば日本に辿り着けると思い、西へ西へと航海し、コロンブスは米大陸に着いたと云われています。「平泉中尊寺金色堂」は千年近く前から世界遺産として、世界中の憧れの的でありました。

 



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