東京木材問屋協同組合


文苑 随想

満87歳 未完成人間の述懐
─私は祖父に甘やかされて育った─

榎戸 勇


 大王製紙の三代目が子会社から巨額の金を集めギャンブルにつぎこみ、その大部分を失った話が新聞に大きく載っていた。
 大王製紙は東京証券取引所第一部に上場されており、株主も沢山いる。一般に優良会社とされていて、株価もかなり高い。

 事業というものは誰かが種を蒔き育てて、ある規模に達した時、更に拡大すべく株式を上場し、株主資本を大きくするのが普通である。トヨタ自動車、ホンダ、ヤマハ等々皆そうである。従って創業者一族の持ち株も多く、発言力も大きいことが多い。
 大王製紙もそのような会社である。しかし、三代目にこのような人物が現れると、創業者一族の発言力が大きく、会社を自由にできるのでとんでもないことが起きることがある。初代と二代目が三代目を甘やかして育てたためであろう。

 私も榎戸材木店の三代目、そして祖父に甘やかされて育ったので常に自省しなければいけない。

 祖父は苦労した。奥多摩の青梅町(現・青梅市)で明治9年に生まれ、地元の小学校、高等小学校を卒業し、どういう縁があったのか横浜のエス・アイザック商会へ小僧として勤めた。商会と言っても全部で6名程度の店だったらしい。以下祖父の苦労話は昭和46年迄長生きした祖母から聞いた話である。商会は生糸を集荷して米国へ輸出していたが、明治35年頃から木材(米松の大中角や杭用のパイリング)の輸入にも手を出し、祖父は木材担当になった。木材担当になったため、木材流通の中心地が木場なので、平野2丁目の3軒長屋のひとつを借りて新婚早々の妻(私の祖母)と住み、翌明治36年に女の子(私の母)が生まれた。住居は6畳一間と3畳位の土間だけであったという。
 祖父は木材店を回って注文を取り、横浜の店へ注文内容を速達便で送った。商会は輸出入業務手続きは生糸の輸出も、木材の輸入も中田商会に頼んでいた。中田さんの兄がシアトルに居て現地での業務をしていたのである。
 ところが大正4年に第一次世界大戦がヨーロッパで始まり船舶が戦時物資の輸送に沢山使われて生糸の輸出や木材の輸入が殆んどできなくなったため、アイザックさんは店を閉めて米国へ帰ってしまった。

 祖父はやむを得ず独立して、細々ながら中田商会の後ろ盾を得て米材輸入業務を大正5年4月に始めた。榎戸材木店の創業である。従って今年は創業96年目になる。祖父は大正10年に木場の材木店に勤めていて目についた働き者(父・鉄太郎)を一人娘の連れ合いとして養子に迎え、大正12年3月に姉が、そして大正14年6月に私が生まれた。

 さて、これからが本題である。祖父は男の子が生まれたので、「跡取りが生まれた」「榎戸材木店の三代目が生まれた」と言って大喜び、私を目の中へ入れても痛くないように可愛がってくれたので、私はすっかりお祖父(ジイ)ちゃん子になった。祖父は私が何をしても怒ったことがない。「子供は神の子」(神様からの授かりもの)と言っていつも頭を撫でてくれた。

 このように育つとどうしても自分本位の人間になってしまいがちである。

 学徒動員で海軍予備学生としての厳しい生活を経験して若干は直ったつもりであるが、まだまだ駄目で家内や周りの人々に迷惑をかけることが多々有るようで気をつけなければいけないと思っている。昭和16年頃からの物資の不足、軍需用に衣類も靴や日用品も取られて不自由な生活、敗戦後は食料不足でいつも腹を空(ス)かせて大学へ行っていた。幸い服は海軍士官用の紺色の純毛の服1着や厚地の木綿の営内服2着、靴はしっかりした牛皮黒色の短靴と編みあげ靴、そして営内用のしっかりした紺色の靴2足、また紺色の士官用靴下4足、厚地の木綿の寝巻き2つ(これは姉が半袖シャツを作って私と父が2着づつ毎日着た。)とにかく街で何も売っていないので、大助かりであった。このような時代を経験したので私は古くなった洋服等を捨てることがなかなかできない。本当に貧乏性で家内に笑われている。
 大王製紙の三代目とは全く反対であるが、これも育った時代の違いであろう。昭和30年代の後半頃から日本も豊かになり、米国の使い捨て文明に影響されて物を大切にしなくなった。しかし最近は限りある資源を大切にするようになってきた。私の時代へ少し戻っている気がする。物が豊富で使い捨て時代に育った人に大王製紙の三代目のような人物が生まれたのであろう。しかし、そのような時代に生まれ育った人々も大部分は物や金を大切にする家庭で育っている。そうすると大王製紙三代目の場合は甘やかされて育ったためということになる。
 私も甘やかされて育った弱味があるが、育った時代が厳しい時代なので、大王製紙三代目とは正反対の性格である。
 榎戸家は昔からその時代、その地域の中流の中程度の生活をしており、現在もそうである。私はそれで満足している。まもなく創業100年、祖父そして父の跡を継ぎ71歳の時長男にバトンタッチした。6月で満87歳、今は心静かに暮らすように心掛けている。そして、未完成人間であるが、少しでも精神的に向上し、心を豊かにしたいと念じて毎日を送っている。

以上
平成24年4月10日 記
 

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