東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.144

〜歴史探訪、一人旅〜
新春(平成24年)初詣の「成田山新勝寺」
青木行雄
※成田山新勝寺本殿、例年より参拝者が少ないと言うが、通年東北からの参拝者もいる。
※参道の商店街。うなぎ屋が多く煙でもうもうとしていた。何百年かの老舗も多く繁盛していた。菊谷もその一軒である。
※木造の大手門、近年の新築で新しくすばらしい。ハトの進入を止めるため、金網が張られているが景観はいまいちである。
 

 「成田山新勝寺」は、全国でも新年の初詣客がベスト5に入る程大勢の参拝者で賑わう。
 「不動明王」を御本尊とするこの成田山新勝寺は、JR成田駅と京成成田駅の両方の駅がある。いずれも駅から徒歩10分ぐらいだが正月や大祭の時は混み合いかなり時間がかかる。
 平成24年正月3日、私の家から電車で30分もあれば成田駅に到着するので宗派も私の御本尊も違うが毎年初詣参拝を重ねている。
 京成成田駅から、人混みの中に加わったが、今年はいつもより参拝客が少ないように感じた。新年の初詣に来る参拝者の清々しい顔やこれから始まる新しい一年が幸多い年でありますように願う雰囲気が好きで、私は毎年他の寺院にも参拝している。
 今回も参道をぶらぶらしながら本堂へ向った。正月の参道は大変楽しい。両側の店々の呼び込みを聞きながら、目新しい商店街の雰囲気も味わいながら山門の前に着いた。この山門は近年、準木造で建築した建物ですばらしい。商売柄何の木で何m3の木材を使われたのかとか、大工は何人位かかったのだろうかとか考えてしまう。
 そんな事を考え山門をくぐる。石段を登りながら、今年一年間の願い事や心構えも考えながら、本殿に向った。

 大抵の寺院には寺の名前の前に山号を付与するらしい。この寺も「大本山成田山」「成田山新勝寺」山門の入口に書いてある石碑には「成田山金剛王院新勝寺」とあった。
 ここでこの成田山の縁起と歴史について先に調べて見た。
 940年(天慶3年)寛朝大僧正によって開山された。この大僧正は、朱雀天皇より、平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された「不動明王」を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県山武郡横芝光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満された。
 大任を果たされた大僧正は再び御尊像とともに都へ帰ろうとしたが不思議にも御尊像は磐石のごとく微動だにしない。やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響いた。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山したのである。
 こんな事で弘法大師と成田山は深い縁がある。弘法大師自ら敬刻開眼された御尊像を成田山は御本尊としているのである。そして大師が伝来され奉修された真言密教の護摩法の正系を今に伝え、しかも開山以来1070年の間、この護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく、その輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一祈願道場として、数多の信仰を集めている。そして年間1千万人以上の参詣を受けていると言われる。大都市の近隣に位置しているだけあって、すごい参拝者である

 ここで「弘法大師」と言う大僧について調べて見る。
 弘法大師・空海(774-835)は宝亀5年6月15日、現在の香川県善通寺市で生まれている。幼名を「真魚」と言う。15歳で奈良の都に上京し、18歳の時に大学へ入学。その後31歳で留学僧として唐に入国した。唐の都・長安の青竜寺の恵果和尚より密教の奥義を授かり、正統な継承者となる。帰国後、真言宗を開き、有名な高野山金剛峯寺の開創や京都東寺での教化といった宗教活動のほか、讃岐・満濃池の修築や我が国で初となる門戸を一般庶民に開いた学校「綜藝種智院」の創設といった社会活動も積極的に行なったと言われる。
 そして835年(承和2年)3月21日、高野山で62歳の生涯を終えたと言う。

 成田山新勝寺は真言宗智山派に属し、京都府東山七条の智積院が総本山である。成田山新勝寺はこの智山派の筆頭寺であり、規模や集客力から言えば成田山新勝寺は群を抜いてトップと言えよう。

 総本山 智積院(京都市東山区東山七条)
  大本山 成田山新勝寺
   川崎大師 平間寺(川崎市川崎区)
   高尾山  薬王院(八王子市高尾町)
 成田山には、全国に72箇寺の別院・分院・末寺・未教会・成田山教会がある。
 成田山別院の中に、東京別院(成田山深川不動堂)があり、他川越別院を始め、別院8箇院ある。
 分院 12箇寺
 末寺 39箇寺
 未教会 7箇寺
 成田山教会 5箇寺
 計 72箇寺となる。

 神社・仏閣へ参拝することは人それぞれ違いはあるのだが、先祖や神仏を敬い、感謝し尊敬することにあると思う。
 初詣は、社寺へ詣でて年頭の祈願をする日本の重要な年中行事になった。
 そもそも新年を迎えるということは、その年の年神様より新たに魂を授かるという意味があり、新たな自分を認識して神仏のご加護を実感して感謝するのである。
 近年はこの感謝の気持ちに加えて新年の抱負を述べるようになったり、新たな年の期待とされるご加護を祈るようになった。
 新年のお願い事は、お参りする方々によって様々で、新しい年を迎えた期待の心、祈りの心はみな同じく、清く、明るく尊いものであるように思う。

※本殿の正面、中に入ると護摩炊きの祝詞の声が大きく聞こえた。大きな賽銭箱には小銭が多く、万札は少ない。
※易所が並ぶ場所。12〜3軒あろうか。どこも満員の盛況である。新年の運試しに見てもらうのだろうか。
※食堂と言うか一杯飲み屋と言おうか。おでん、煮込み、焼き鳥ぐらいの食堂である。楽しみにしている参拝者も多い。
※演技を終えた猿と付人。

 本殿で一通り新年の抱負や願い事、新たな年の期待とご加護をお願いし、本殿の左側に歩いて行く。そして、立並ぶ食堂街に行く。
 本殿の正面より左に1〜2分歩いた所に広い中庭がある。その両面の隅にずらーと並ぶ小屋風の小さな建物があった。有名な成田山の易断所と食堂街である。12〜3軒並んだ易断所には6人入ればいっぱいの椅子があるがどの易断所もいっぱいであった。正月に成田に来て祈願した後、この易断所で一年の運を見てもらう。そんなリピーターも多いのかも知れない。軒を連ねたその先に又小料理屋と言うか一杯飲み屋と言うか店が並んである。どこも同じような店だが、呼び込み人が居てまちまちだ。若い女の子の居る所は客が多いように思われた。その中の一軒に私も毎年立寄る店がある。「おでん」「煮込み」「焼き鳥」などちょっとした酒の友ぐらいの食べ物がある。皆寒いのでちょっと体を温めるだけで長居はしないが、立寄る人も多いようだ。このようなちょっとした場所が町の様子や地元の様子や雰囲気を知るには良い寄所と言える。店の女将によると今年の参拝者は東日本大震災の影響か大分少ないと言う。少々体が温まったので又帰りの参道に戻り歩いていると途中人盛りがあったので覗いて見ると、そこには猿軍団の猿廻しが盛んに猿芸を披露していた。25〜6才の女の子であろうか。首ひもをつけられた猿は使い手の言うままに飛び跳ねている。細やかな芸の出来るこの猿の躾にはどんな苦労があったのか。余計な事を考えながら見ているとちょっとむなしい気もする。

 この随想の本文からちょっとそれるが、「生まれ年の身守り御本尊」で言うと、この成田山新勝寺は「不動明王」だから「酉年」生まれの守り御本尊と言うことである。
 明治30年、42年
 大正10年
 昭和8年、20年、32年、44年、56年
 平成5年、17年となる。
 この年に生まれた方は、成田山へ行くとよい。

不動明王のご利益
 「不動明王を守護に持つ人は一切の悪魔煩悩を焼きつくすといわれ、身にふりかかる病気災難を炎で焼きつくし剣で打ちくだくといわれる。」
 「酉年」のあなたは、成田山新勝寺です。

 23年は大変な大震災があり、地震・津波・原発と三重苦に見まわれ、更に水害もあり、大変な一年だった。
 東大地震研究所の発表によると4年以内に70%の確率で都心に大震災が起きると言う。信用したくはないが、「備えあれば憂いなし」と言う。災害時の心構えと被害を最小限にと成田山に祈願した。人間時には開き直りも大事である。

 今年こそ良い年でありますように。

平成24年1月29日 記

智積院(ちしゃくいん)
京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院

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