東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.150

イギリス・ロンドンオリンピック開会式
「2012年(平成24年)7月27日(日本時間28日未明)」
青木行雄
※開会式会場を外から見た風景である。この会場内で最新の舞台装置が稼動した。
※開会式会場内を空から見た風景である。開会式会場直前の様子、なんともすごい仕掛けだった
※7月22日に終わった自転車ロードレースの世界最高峰ツール・ド・フランスで英国人初の総合優勝を決めたブラッドリー・ウイギンズが開幕を告げるこの鐘を鳴らした。電波を通して世界中に響き渡った。
※6月に即位60周年を迎えたエリザベス女王が開会宣言し、会場を見入る様子、ピンクのドレス姿は若々しく見えた。左側は国際オリンピック委員会のジャック・ロゲ会長。
※開会式の式後再現された農村の風景には本物の動物も参加し、会場内は盛り上がった。
※イギリス産業革命以前の農村風景は日本にも見られた風景もあったのではと思う。
※農村風景から産業革命の風景になると、エントツがせり上がり、たちまち工場風景に変わって行った、すごい舞台装置である。
※夜空に五輪の輪が浮かぶと会場は大変な盛り上りだった。
※1960年代のビートルズから、今の人気歌手アデルまで英国発のヒット曲を歌う歌手。
※吉田沙保里選手が旗手の大役を果たす。少人数のため、ちょっとさびしい気がした。
 

 
 第30回オリンピック競技会は2012年7月27日夜(日本時間、28日未明)にイギリス・ロンドンで開会式を迎えた。26競技302種目を17日間で競うスポーツの祭典の開幕である。内戦状態が続くシリア、国際オリンピック委員会(IOC)の資格停止処分が解けたばかりのクエートを含め、IOCに加盟する204カ国・地域全てから約10,500人の選手が参加した。
 ロンドンは1908年(明治41年)と1948年(昭和23年)にも開催地になっており、世界で初めて3度目のオリンピックを開く街となった。毎々警備費や開催費用がふくらみ、今回の開催費用は新聞によると、93億ポンド(日本円で約1兆1400億円)にも及ぶと言う。
 日本はハンドボールとバスケットボールを除く、24競技に293人の選手が出場すると言う。
 204カ国の地域全てが参加するが、加盟していない南スーダンなどからも、個人資格で4選手の出場が認められた。女子選手は出場させなかったカタール、サウジアラビア、ブルネイからも今回女子選手を派遣し、全加盟国、地域が女子選手が出場され全世界男女競演となる。
 そして新たに女子ボクシングが加わり、全26競技で女子種目を実施することになった。
 日本にとっては、1912年(明治45年、大正元年)第5回ストックホルム大会に「三島弥彦・金栗四三の両選手が初参加してから100周年の節目の大会となったと言う。メダル数も気になり大変楽しみなオリンピックであった。
 7月28日(土曜日)(日本との時間差が8時間)4時30分に起床。テレビの画面にどんな開会式になるのか、大変興味深く待った。開会式を待つ現地の報道関係者が刻々と迫る現場の様子を伝えながら待機している。
 そして、日本時間5時に開会式は始まった。3時間超に及ぶ長編であった。ロンドンオリンピックの組織委員会が世界に発したのは英国の功績などであった。
 7月22日に終わった自転車ロードレースの世界最高峰ツール・ド・フランスで、英国人初の総合優勝を決めたブラッドリー・ウイギンスが今英国で最も注目を浴びていると言う彼が開幕を告げる鐘を鳴らした。
 そして、エリザベス英女王の開会宣言により幕を開けた。
 最新の舞台装置を駆使して農村風景から産業革命、それから現代のアニメやWeb技術へと、すごい装置を使いながら次々にくり広げる風景はさすがに英国ならではの技術の賜物と感心した。その歴史には堅苦しさはなく、ショーとしてすばらしかった。再現された農村風景には本物の動物、馬・羊・あひるなども登場した。
 産業革命のテーマでのアトラクションではのどかな農村風景から一変して鉄を作る溶鉱炉の風景から煙突が上がる工場群まですさまじい産業革命の様子がテレビ画面いっぱいにくり広がった。その鉄のようなオレンジがかった輪が重なり五輪をつくると、8万席を埋め尽くしたと言う会場から怒濤のような大歓声と拍手がテレビ画面からも伝わって来た。看護師たちが楽しげに舞う場面は、公費でまかなう国民保険サービス(NHS)をたたえたものだと言う。貧しい者も富める者も病気やケガの時に平等に無料で治療が受けられる。この「NHS」は国民の心に根付いていると言う。それを祝福するためのアトラクションらしい。この時間を少々長く使っていた。自国の歴史や産業を誇るのは、どのオリンピックの開会式でも見られるがロンドンは楽しさを追い求めたと言うことのようである。
 オーケストラの中に隠れるように紛れていたのは、「ミスター・ビーン」役で知られているローワン・アトキンソンさん。コミカルな動きで沸かせた。テレビ画面を見た人だけの特権である。1960年代のビートルズから今の人気歌手アデルまで、英国発のヒット曲がすばらしく華やかさを添えた。
 開会式の日も小雨が降っていたようだが、ロンドンは気まぐれな天気が多いらしい。雲形の風船から人工的に雨を降らすパフォーマンスもあった。開会式のフィナーレを飾った歌手のポール・マッカートニーさんはビートルズ時代のヒット曲「ヘイ・ジュード」をピアノで弾きながら歌い上げ、会場は大合唱に包まれる映像が見られた。聞くところによると、この開会式だけの総経費は2700万ポンド(日本円で約33億円)で参加したパフォーマーは約15,000人だったと言う。これ程大掛かりな式の芸術監督は気になる所だが、映画『スラムドッグ$ミリオネア』や『トレインスポッティング』で知られるダニー・ポイル監督と言うからすごい演出である。
 田園再現、産業革命、ポール熱唱がちょっと長すぎて、選手入場式はいつ頃になるかと心待ちしていたが入場も6時30分頃から始まった。
 青く輝くスタンドに、パフォーマーによる軽快なダンスやバックミュージック、色とりどりのウェアに身を包んだ各国選手団が次々に入場して来た。華やかな雰囲気の中に日本選手団は1つ前に登場したジャマイカの旗手ウサイン・ボルト、あの有名な100m走者に会場が沸くなか、204カ国中、95番目に行進して出て来た。
 IOCが開会式の入場時間短縮のために行進できる役員数を減らしたこともあり、行進した日本選手団は76人、約240人だった北京大会から3分の1に減ったと言う。競技が28日から行われる競泳の北島康介選手や体操の内村航平選手らは入場式には参加していない。選手は293人中44人にとどまるなど、見ていてやや寂しい行進であった。しかし日本選手団が登場すると、会場からは温かい歓声や拍手が湧き上がり、スタンドの所々に日の丸の旗も見られ、テレビ画面からもよくわかった。日本選手団は、おそろいの赤いジャケットに白いズボン姿。レスリング女子55キロ級で3連覇を目指す吉田沙保里選手が旗手の大役を果たした。「胸を張って堂々と歩きたい」と話していたと言うがしっかりと日本の行進をリードした。卓球女子平野早矢香選手は笑みを浮かべ、スタンドに向って日英の小旗を振る姿も見えた。

古代オリンピックは女人禁制であったと言う。近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタン男爵でさえ、女性の参加には反対していたと言われ、1896年(明治29年)にアテネで開催された第一回大会も女性選手は1人もいなかったと言うが、今回204カ国、地域が参加したロンドンオリンピックは近代オリンピック116年の歴史で初めて全ての参加国地域から女子選手の派遣が実現し、国際オリンピック委員会のロゲ会長は「五輪史の転換期になる」とこの意義を強調したと言う。
 戒律が厳しいイスラム教のサウジアラビアはこれまで女性のスポーツ大会出場に大変消極的だったらしいが、開幕2週間前になって派遣を決めたと言う。又、今大会から、ボクシング女子種目を新たに採用したことで初めて全競技で女子選手が出場することにもなったと言うから、それだけオリンピックも変わって来たのである。

 米国で初めて選手団の女子選手数が男子の数を上回った等、女子総数は4,800人を超える規模になった。開会式では、全競技で女子参加が実現した大会を印象付けるように、約4割の選手団で女性が旗手を務めたと言う。
 オリンピック参加100周年を迎えた日本でも、選手293人のうち、女性が156人と男子の137人を上回っていると言う。女性の方が出場選手が多かったのは2004年(平成16年)アテネオリンピックに続いて2度目らしい。「日本女子アスリート」の草分けは、1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックに日本の43選手中ただ1人の女性として出場した「人見絹枝選手」だったと言う。1964年(昭和39年)の東京オリンピックで金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子では28年ぶりに銅メダルを獲得したエースの木村沙織選手が「最後は気持ち。心をひとつに全員でやるだけ。」とがんばったのである。
 多くのスポーツが英国イギリスで生まれたと言う。この史上最多となる3度目のオリンピックを迎えたロンドン。この会場で、“ウォー”地鳴りのような大歓声を受けながら、最終走者として聖火を会場に運んだのは、今大会で活躍が期待されると言うイギリスの若手7選手だった。全員が10代の若者と言う。イギリスの歴史を彩ってきた歴代の金メダリストが受け取り、花弁をイメージした柱の先端に点火した。火が広がった無数の花弁がスーっと立ち上がり“聖火台”が現れると大変な大歓声がこだました。この聖火は200本を超える花弁が集まって燃えている。そして17日間、熱戦がくり広げられることになる。
 この火が消えると、出場国・地域に渡ると言うのだ。とにかく3時間の開会式はすごい仕掛けであの会場に次から次へとめまぐるしく変わる舞台装置は感動の連続だった。見た人しかわからないと思う。
 競技の途中経過は記すことをカットするが8月12日に終了した、熱戦17日間メダルの数結果を記しておきたい。

金の
順位
メダル獲得国・地域 参加選手人数
(IOC発表)
1 米国 46ヶ 29ヶ 29ヶ 104ヶ 263 273 536人
2 中国 38 27 22 87 166 217 383人
3 英国 29 17 19 65 288 270 558人
4 ロシア 24 25 33 82 210 231 441人
5 韓国 13 8 7 28      
6 ドイツ 11 19 14 44 220 178 398人
7 フランス 11 11 12 34      
8 イタリア 8 9 11 28      
9 ハンガリー 8 4 5 17      
10 豪州 7 16 12 35      
11 日本 7 14 17 38 142 163 305人
12 カザフスタン 7 1 5 13      
13 オランダ 6 6 8 20      
14 ウクライナ 6 5 9 20      
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・      
22 ブラジル 3 5 9 17 138 128 266
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・      
28 ケニア 2 4 5 11 29 21 50
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・      
メダル獲得国・地域 金計 銀計 銅計 メダル合計      
85 302ヶ 304ヶ 356ヶ 962ヶ      
 

 204カ国・地域から出場してメダル獲得した85カ国・地域であり、962ヶのメダルが選手の首にかかった。その内の1位はアメリカでメダル数 金46、銀29、銅29計104ヶの獲得、出場人数は536人で、大国にふさわしい数である。このメダル獲得の数により、国力の力関係も見えかくれする。
 (日本選手団にIOC発表と実際に12名の差がある。)

夏季オリンピック大会 日本のメダル獲得数(近年10回)

開催年 開催地
1976年 (昭和51年) モントリオール 9 6 10 25
1980年 (昭和55年) モスクワ 日本不参加
1984年 (昭和59年) ロサンゼルス 10 8 14 32
1988年 (昭和63年) ソウル 4 3 7 14
1992年 (平成4年) バルセロナ 3 8 11 22
1996年 (平成8年) アトランタ 3 6 5 14
2000年 (平成12年) シドニー 5 8 5 18
2004年 (平成16年) アテネ 16 9 12 37
2008年 (平成20年) 北京 9 6 10 25
2012年 (平成24年) ロンドン 7 14 17 38
2016年 (平成28年) リオデジャネイロ        

 第30回夏季オリンピックロンドン大会は12日スタジアムで閉会式を行い17日間の祭典は幕を下ろした。閉会式でオリンピック旗がリオデジャネイロのパエス市長に引き継がれ、IOCのジャック・ロゲ会長が「楽しく、輝かしい大会だった」と言い閉会を宣言した。活躍した選手達に本当にご苦労様でしたと声をかけたい。

平成24年8月14日 記

参考資料
日経新聞 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 産経新聞 NHKテレビ放送
『日本史年表』 岩波書店


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