東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の98(短刀)

愛三木材(株)・名 倉 敬 世

 短刀とは刀剣の中の種別の呼称であり、その長さが一尺(30cm)前後の小さな刀でご猿。その呼び名も昭和33年(1958)に制定された、「銃砲刀剣類所持等取締法」の以後の事で、 それ以前は時代により─小さ刀、腰刀、護り(守り)刀、懐刀、脇差─と呼ばれておりました。
 豪壮な太刀に比べると小振りですが、どの短刀も品位品格が高く、クオリティ−に優れ清楚な地鉄の輝きは見る者の感性に鋭く迫り、太刀や刀に無い魅力を醸し出しております。 その「小さ刀」の名人は昔より、粟田口吉光・来国俊・新藤五国光の三人と言われております。
 先ず、山城国(京都)粟田口吉光は、はんなりとして、明るく、可愛らしい。
 同じく、来国俊はきりりとして、道理を曲げない鎌倉武士の面影がある。  相模国の新藤五国光には、寸分の誤差をも許さない透徹した感性がある。
 〜との評価が昔より定まっておりますので、今回はこの三人の作品に焦点を当てましてご紹介を致して見ましょう。

 
短刀 銘 吉光(名物・平野藤四郎) 
刃長30・0cm(一尺) 鎌倉時代(13世紀) 御物・宮内庁
 

 小板目よく詰み地沸がつく鍛えに小沸出来の広直刃が冴え、帽子は小丸となる刃文にて候。
 この短刀は「享保名物張」の頭書に掲げられており、藤四郎吉光の特色を遺憾なく示した抜群の出来であり、号の由来は摂津の町人平野道雪が所持した事による。後に太閤秀吉に献上され、秀吉・前田利長・徳川秀忠・前田利光と伝わり前田家より明治天皇に献上された。

 
短刀 銘 吉光(名物・後藤藤四郎) 
刃長27.7cm(九寸二分) 鎌倉時代 国宝・徳川美術館。
 

 平造、三つ棟、内反り、ふくら枯れて小杢目よく詰み地沸つき、映りの様な地斑が入る。
刃文は広直刃が浅くのたれ、丁子足が入り匂い深く小沸つく、帽子は乱れ込み火炎となる。生茎、先栗尻、鑢目は勝手下り、目釘孔四個、元孔の下の中央に大振りの二字銘がご猿。
吉光は粟田口国吉の弟子で、短刀を得意とするが本刀は地刃が冴えて最も優れた作である。「名物・後藤」の名は江戸金座の頭取を勤めた、後藤庄三郎光次が所持していた故による。
家光の娘の千代姫が尾張光友に嫁した時の引出物となり以来、尾張徳川家に伝来していた。

 
短刀 銘 来国俊 
刃長24.5cm(八寸一分) 鎌倉時代(13世紀) 国宝 黒川古文化研究所。
 

 同工は山城の来一門の棟梁として品格の高い太刀や短刀を多く作刀し、小板目に直刃の山城様式を確立させて、鎌倉期を日本刀の歴史の中で最も高揚させた代表工の一人である。
来国俊には多くの作品が現存しているが、この短刀はその代表作で茎を振袖形にする事は鎌倉時代の短刀にまま見るが、これは「柄曲りの腰刀」と呼ばれる当時流行の様式である。地刃は小板目の良く詰んだ鍛えに直刃がよく沸づき匂口締りこころに冴えたものとなる。表に護摩箸、更に腰樋を掻き流している。

 
短刀 銘 国光(名物・会津新藤五) 
刃長25.4cm(8寸四分) 鎌倉時代 国宝 日本刀装具(美)
 

 新藤五国光は粟田口派の流れを汲む鍛冶で事実上の相州鍛冶の祖と云われる名工でご猿。永仁元年(1293)十月三日銘の太刀があり、古来直刃の名手として名高く、その作風は細直刃、中直刃、広直刃と一様では無いが、いずれも地刃が冴えて働きのある物である。刃中にも金筋を多く働かせて変化を見せるなど巧みである。この作は沸の厚い中直刃の作風で殊に刃中の働きが見事である。号の由来は蒲生氏郷が所持していた事からでご猿。

 次にこの三作(三名人の作品)に優るとも劣らないと云われて居ります名作は以下の如し。

 
短刀 銘 久国 
刃長20.3cm(六寸七分) 元幅2.0cm 鎌倉時代 重要文化財 個人蔵。
 

 久国は鎌倉初期の承久(1219)頃、粟田口派の名工で兄の国友と弟の国安と共に後鳥羽院の番鍛冶に選ばれた。兄弟は全部で六人いたが、中でも久国はその筆頭で名工と称される。
平造り庵棟の寸の短い無反りの短刀であるが、小板目よく詰み細かな地沸つき湯走り風の沸映りたつ。刃文は直刃に小乱、帽子は小丸、茎の棟は丸、鑢目は大筋交、目釘孔は二個。竹中重利所持、『駿府御分元帳』によると、紀州頼宣に与えられ、後に伊予の頼純に分与。

 
脇差 銘 国吉 
刃長30.5cm(一尺一分) 元幅2.1cm(七分) 鎌倉時代 重要美術品 個人蔵。
 

 平造、庵棟、先内反り、寸延びで身幅細く、ふくら枯れ、重ね厚い、小板目が細く詰む、青く澄んだ鉄に地沸つく、中直刃が冴え物打ちに二重刃、表裏に護摩箸、棟に寄り品よし。国吉は則国の子で国友の孫、鎌倉中期の名工。重要文化財の(鳴狐)の作者として知られる。官職銘は「左兵衛尉」にて宮中の御用を承っていた。明治の識者・伊東巳代治伯爵の愛刀。

 
短刀 銘 正宗(名物・不動正宗) 
刃長25.0cm(八寸二分五厘) 鎌倉時代 重文 徳川美術館。
 

 平造、三つ棟、少し内反り、身幅尋常、ふくら枯れる。板目詰み、地沸つき、地景入る。刃文はのたれに耳形の互の目、匂い深く洲流し金筋かかる。帽子は乱れ込み先尖りこころ、樋中に不動明王、裏に護摩箸、茎は生ぶ、先剣形、鑢目浅い勝手下がり、表中央に二字銘。
 正宗は上記の新藤五国光の高弟で当時から名工として知られていた。正宗は本来無銘と云われるが在銘は短刀のみに数口有り、中でもこの銘は典型的な鏨運びで風格を感じる。

 
短刀 無銘 貞宗(号 石田貞宗)
刃長31.4cm(一尺四分) 南北朝期 重文 東京国立博物館。
 

 平造、三棟、身幅やや広く先反りつく、板目に杢目交じり、地沸、湯走り掛り、地景入る。刃文は浅くのたれ互の目交じり、足・葉入り、洲流し掛かり、沸よくつき、処〃金筋掛る。帽子、乱れ込み掃掛けて金筋掛り先小丸が乱れて返る。表に梵字、蓮台、爪、素剣、裏に梵字、護摩箸、生ぶ茎、舟形、先剣形、鑢目切、身巾広く大振りの反り付きの寸伸び短刀。
彫物に貞宗の特色が顕著 正宗の弟子と伝えられる。石田三成の差料にて榊原家に伝わる。

 
短刀 無銘 則重
刃長24.3cm(八寸二厘) 幅2.1cm(七分) 鎌倉時代 重要美術品 個人蔵。
 

 平造、三つ棟、細身、重ね薄く、内反りにならず。地文は大板目に地沸つき地景となる。刃文は地文が刃に絡み沸が深く付く、帽子は乱れ込み沸が火炎風となり深く返る、生ぶ茎。
 則重は正宗と同じく新藤五国光の一門と伝えられており、「鉄の鍛えは随一」とされる位、独特であり「松皮肌」と呼ばれている。奥州の古式の鍛錬法を身に着け進化させたと云う。本刀の硬軟の鉄の組み合わせにより地刃の渾然さは、舞草鍛冶の流れである。南部家伝来。

 
脇差 銘 相模国住人廣光
刃長34.8cm(一尺一寸五分) 南北朝 重要美術品 佐野美術館。
延文二・二 (四年)七月日
 

 平造、三つ棟、身幅広く、重ね薄く、やや先反り、板目に木目肌たち、地景、地沸付く、湯走り掛る。刃文は丁子主体の皆焼、焼き巾広く金筋・洲流し入いる。帽子は乱れ込み、
突き上げて小丸に棟を焼き下げる。表に素剣と爪、裏に護摩箸。生ぶ茎、舟形 勝手下り。
 広光は新藤五・行光・正宗・貞宗と続く鎌倉鍛冶の殿を務めたと云われる名工にて、この皆焼を見て「相州伝」の完成と言われております。その後、相州伝は小田原に移ります。

 
脇差 銘 広光
刃長40.3cm(一尺三寸) 元幅3.2cm 南北朝 重要美術品 根津美術館。
 

 平造、大振りの寸延び短刀で、身幅広く重ね薄めで先反り付く、地肌は板目に地斑交じる。刃文は丁子を主調とした皆焼を焼いて、沸が強く金筋・洲流しが盛んに入り華やかである。表裏に刀樋を区下で短く掻き流す。茎は生ぶ、舟形、先栗尻、鑢目切、目釘孔3、二字銘。
 広光は太刀には在銘は無いが、大振りの短刀は正宗と結びつく作が見られる。この手の作品は延文・貞治のものと同時期と見られ広光が創始をした皆焼の完成期の作と云えよう。

 
脇差 銘 信国
刃長36.7cm(一尺一寸強) 元幅3.2cm 南北朝 重要文化財 個人蔵。
 

 平造、三つ棟、身幅広く,板目肌やや肌立ち地沸つき地景と地斑交じる、刃文は小のたれに互の目混じり、湯走りかかり荒めの沸がつき、洲流しかかる。帽子はのたれて小丸に返る。
茎は生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がりで二字銘。
 信国は来の系統を引く了戒の孫で貞宗の弟子といわれている。作風は茎や帽子に来系が見られ、刃文はのたれに互の目乱れで貞宗風を伝える。延文三年(1358)頃の作品と思われる。本刀は宝永四年に将軍・徳川綱吉の子の家千代誕生の祝いに池田綱政が献上した物でご猿。

 
短刀 銘 高市郡住金吾藤貞吉(名物・桑山保昌)
刃長 25.7cm(八寸五分) 国宝 鎌倉時代。
元享四年甲子十月十八日
 

 平造、三つ棟、重ね厚く内反り。地文は柾目よく整い、地沸が柾目につき縞模様となる。物打は湯走り風に沸強い。刃文は中直刃で区元は匂い深く中ほどより焼巾広く金筋かかり、刃縁ほつれる。帽子は焼詰めて激しく掃きかける。表に素剣、裏は菖蒲樋、薬研彫り深い。茎は生ぶ、先は切、鑢目は檜垣、目釘孔二個。
 貞吉は大和の高市郡に住んだ保昌派の名工、箒星の如き柾目の沸鍛えを得意としている。銘の「金吾」は唐名で我国の衛門府にあたり、「藤」は藤原氏の略である。元は上部当麻の桑山元春が所持し前田利常が求め、『享保名物帖』にも所載される、名品の中の名品でご猿。

 
短刀 銘 備州長船住景光
刃長26.8cm(八寸八分) 鎌倉時代 重要文化財 個人蔵。
元享二年八月八日
 

 平造、庵棟、やや細身、僅かに内反り、板目肌細かく詰み、物打ちに地沸、地景入り、映り立つ、刃文は連れた片落ち互の目、匂い口ふっくらとして小沸つき、区際には金筋、帽子は乱れて小丸、茎は生ぶ、棟角、先浅い栗尻、鑢目筋違い、目釘孔二個、表裏に長銘。
 景光は長船の三代目で長光の子で長船工房を護り乍、自身は片落ち互の目を完成させた。
本刀は古川男爵家の旧蔵の一つでご猿。

 
短刀 銘 左 (号・太閤左文字)
築州住 刃長23.8cm(七寸八分五厘) 南北朝期 国宝 個人蔵。
 

 平造、三つ棟、身幅、刃長とも尋常で、僅かに反りつく、ふくら枯れる。小板目よく詰む。大肌交じり地景入り、地沸が厚く付き明るく冴えて精美である。刃文はのたれに互の目、刃中明るく冴え、沸つき小足入り洲流し金筋かかり区下で深く焼き込む。帽子は突上げて長く返り、刃縁締まる。茎は生ぶ、先き刃上り栗尻、鑢目は大筋違、目釘孔二個。表に「左」裏に「築州住」と細鏨でのびのびとした銘を切る。
 左は築前の実阿の子と伝えられており、相州正宗の十哲の一人といわれる、名工である。
初めは実阿風の地味な直刃を焼いてたが、ある時点で作品が一変し沸が冴えた作品となる。
本刀は最高傑作であり「光徳刀絵図」に所載。太閤秀吉の愛刀であり、秀忠の指料でご猿。

 
金圧出亀甲文合口腰刀 
長さ46.9cm(一尺五寸五分) 桃山時代 重要文化財 個人蔵。
 

 全て、金作の豪華な腰刀である。柄は金の圧出鮫で包み、縁頭は赤銅魚子地に金の桐と九曜文を高彫据文にしている。目貫は金容彫の獅子を据え、目釘座は金鵐目を入れる。鞘は亀甲花菱紋・亀甲九曜紋の金の板で包み、丸小尻にしている。鯉口と裏瓦は金鑢地。
栗形と折金は金で鶴亀と松竹を毛彫にし、小柄は金魚子地に牡丹と獅子を高彫据文にする。
 中身は室町時代初期の信国の作でご猿。柄も金圧出鮫包み、鞘を花菱と九曜紋を配した亀甲?ぎ文を圧出した金の薄板で包み、縁頭を赤銅にして全体を引き締めている。
 熊本の細川家に伝来している拵で細川幽斎・三斎父子の指料で有ったと伝えられている。


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