東京木材問屋協同組合


文苑 随想


日本の文化 「日本刀」…Japanese Sword…

「♪一家に一本 日本刀 スカッーと爽やか日本刀♪」

其の100
(始めの終り)

愛三木材(株)・名 倉 敬 世

 とうとう最終回になりましたが、困った事に今回は未だ何を書くか決めておりません。
正に、Tobe or Not tobe のハムレツトの心境になって十日余りも呻吟を致しております。
 どうも小生のNO〜味噌の中の酸素が不足で、ボケが発生した事が原因の様なのですが、
このまま放置して置くと、日常生活は許より組合にも多大な迷惑を掛ける事は必定なので、これより一年を掛けてまして、「賞味期限がキレタ!」と云う事を宣言する意味で、
「初めの終り」という外題を付けた次第でございやす。

 日本刀のピークが平安末頃(794)から南北朝末期(1392)の為、どうしても「温故知新」が前提となり、古き事が多くなってしまいます。併し一番大事なのはその当時の刀と現在の新作刀、即ち打ち下ろしのホヤ〃〃の日本刀との関連性であります。良く識者の言われる「〜似て否なる物〜」の実状は如何なる事か?、このリポートを致して見たいと思います。

 因みに我国の国名は倭(わ)から始まり大倭国(だいわこく)と称し、聖武天皇の時に文字は大養徳(おおやまと)と改め、後にまた大倭(だいやまと)と直し、更に天平宝宇年間(757)に発音はヤマトだが表記は「大和」とされた。
 そして大和国(やまと)と呼称し「日本(ひのもと)」と書き我が国の国号となった。当時の刀工は読み書きが出来ず大体が無銘です。為に鍛冶名や鍛刀地は推測の域を出ません。従って厳密に申せば日本刀とは申せません。日本刀とは国産で有る事と刀身に反りが付く事が絶対の条件です。
 併し、伝来している刀剣類は素晴らしい剣(けん)と剣(つるぎ)(この違いは判りますネ)ばかりですので、国籍は問わずに、全て重要文化財指定(国宝・重文)に指定をされております。

 
直刀(丙子椒林剣)

直刀 丙子椒林剣 長65.8cm(2尺2分) 飛鳥時代(七世紀) 大阪四天王寺・聖徳太子佩用・国宝。
 小板目のよく詰んだ鍛えに直刃の焼刃が整っており、上古刀中最も優秀な作である。

 
直刀(七星剣)

直刀 七星剣 長62.1cm(2尺7分) 飛鳥時代(七世紀) 大阪四天王寺・聖徳太子佩用・国宝。
 表裏に金象嵌で雲形・七星文・三星文と竜頭を彫る。中国の天体信仰を現した物。

 
直刀 無銘(水龍剣)

直刀 水龍剣 長62.1cm(二尺7分)僅かに内反り 奈良時代(八世紀)東京国立博物館。重文。
 元来は正倉院に納められていた物だが、明治天皇が修理の折りに自分の手許に置かれた。

 
特別重要刀剣大和古剣 無銘

剣 大和古剣 無銘 長54.6cm(1尺8寸2分)。両鎬造、鎬高いが頭はさほど張らない。
 鍛えは片面柾目、片面は板目流れ、総体にネットリし地沸厚く沸映り立つ、地景入り。

 和銅三年(710)、元明天皇(女帝)はこの地に「平城京」を造営され、その後の七十五年の間我国の中心となって、「大和は国のまほろば、たたなづく青垣山こもれる大和しうるわし」、「青丹(あおに)よし奈良の都は咲く花の 匂うが如く今さかりなり」と唄われ、天平の文化や芸術が一斉に開花し理想郷として喧伝される訳でご猿。
 現存する正倉院の刀剣は外国産か国産かの判定は俄かに決し難いが、韓鍛冶(からかちぬ)(帰化人)の刀工の指導によって奈良の都で制作されたものが主体をなしている事に間違いはござらん。
 正倉院の刀剣は東大寺献物帖に「大刀壱百口」の記載が有るが、それらは金銀で飾られた
麗華な大刀で、儀杖に使われたと見られる物と、黒作大刀と呼ばれ実践用として使われた
剣が半々であり、現存する大刀(ダイトウ)五十五口の中には法会用の大刀が僅かだが含まれている。
 ※かなりの刀剣が兵乱(764・藤原仲麻呂の乱、等)の為に出庫して返却されていない。

 我国の刀剣の歴史は奈良時代(700年代)に始まり時代を追って、主たる鍛刀地が変化する。(1)大和(奈良)(2)山城(京都)これらは当時の都である。(3)備前(岡山)は良質な原料(鉄)の産地。(4)鎌倉(相州)は幕府の発祥地。(5)関(美濃・岐阜)は折れず、曲がらず、良く切れて、安い、の大生産地で需要が有った。これを「五ケ伝」と云う。但し、これは古刀(室町末迄)の話。
 「新刀」は1600年の関ヶ原の戦い以降で、其れ以前の地域に根ざしていた豪族上がりの
大名が転・廃され、幕府の監視下に入った為、刀工も雇主が流動的に変化した。又、藩の産業振興政策とした佐賀藩(九州・鍋島)の如く、殿様が自から江戸城にて他の大名に自国の名刀(忠吉一門)を贈答して宣伝に努めた例もごわす。今でも親の形見の「五字忠吉」は珍重物。

 江戸中期の1772年に「水心子正秀」が提唱した「刀は鎌倉時代をベストとすべし」と云う復古刀迄の172年間が新刀、その後が「新〃刀」で大正時代末迄(1925)の約150年間です。それ以降が「現代刀」と言う訳で、本年迄で87年の歴史が有る訳ですが、この範疇にて
戦時中(昭和18・19・20年)の作刀は除外されております。これは「半鍛錬刀」と言って、
砂鉄を積み沸して鍛えて作る本来の「日本刀」の工法では無く、戦時中に将校用の軍刀が
不足したので、急場の間に合わせに作った刀で溶鉱炉よりの洋鉄を素延べしただけの刀や車のスプリングを叩いて造形した刀も多く、確かに抜群に切れますが、大いに曲がります。とても「日本刀」とは、似て否なる物であります。
 従って、日本刀(スキタイ発祥の蕨手刀や東北及び北海道のアイヌ刀は除外と致します)は古刀900年、新刀400年=1300年の歴史を有する事になり、本年の2012年より1300年を
引きますと712年となりピタリと奈良時代と附合し、太安麻呂(おおのやすまろ)が古事記を納めた年でご猿。

それでは、奈良時代より、平安・鎌倉・南北朝・室町・桃山・江戸・明治・大正、の1300年を、一足跳びに飛び越えて昭和や平成の現代刀にワ〜プして見ましょう。

 

刀 銘 武蔵国島崎靖興 長76.2(2尺5寸) 反り7分 昭和50年 靖国刀匠。55万。
日本刀鍛錬会は陸相荒木貞夫中将等(戦後・越中島に居住)が昭和七年に靖国神社に造る。

 

太刀 銘 武蔵住国家作 長73.4(2尺4寸2分) 反り9分5厘 平成二年八月 150万。
吉原国家は、祖父、兄、子、全てが鍛冶屋であり、備前伝の大家で都の無形文化財保持者。

 

重要無形文化財保持者 新潟県 刀 銘 天田昭次作之 長76cm(2尺5寸) 平成19年。

国の無形文化財保持者と言う事は「人間国宝」と云う事です、ので価格は?と致します。
トップの価格が狂うと、その弟子、孫弟子に影響が出まして、刀剣界全体に及びますので、
景気が回復したらお知らせいたします。何たって景気は材木屋よりワルイのですから…。

 

重要無形文化財保持者 群馬県 太 刀 銘 大隅俊平作 長80.0cm(2尺6寸4分) 平成18年。

 上記の天田師と同じ人間国宝ですが、現在は物故されており、只今は昭次師がお一人で居られます。人間国宝の定員は刀が二人、研師も二人が定数ですが、今は研師が0人です。
認定は文科省ですが、此の儘では日本の伝統文化が変調を来たします、文科省と日刀保のトラブルは別にして力を併せて前に進んで頂き度い、この不景気に喧嘩している場合か!

 

 この図は次の重要無形文化財保持者(人間国宝)に一番近いとズーッと云われております、越後の龍の大野義光師の「山鳥毛(サンチョウモウ)」の全身と刃文であります。実寸法は失念し申し訳なし。
 刀の中の刃文は光に透かして見ると、この様に光り輝き華麗に見えるものでございやす。

 ここで新進気鋭の今売り出し中の二名の刀匠をご紹介致しておきます。初めはご存じ吉原一門のプリンスですが、と申してもその年期と力量は桁違いに抜きん出ておられます。

 

刀 銘 東都高砂住義一作 長73.7cm 平成十九年弥生吉日 東京都 吉原義一 無鑑査。

 
平成十八年新作名刀展で松田氏が「高松宮記念賞」を受賞した作品

太 刀 銘 松田次泰作 長81.0cm(2尺6寸7分) 平成十九年春吉日 松田周二 無鑑査。
 この人は刀鍛冶に成るべくして、この世に生を受けたと言っても過言では無い位の人で、刀以外の事は脳中にカケラも無い人であり、新刀を飛び越えて鎌倉時代の地鉄一筋でご猿。近頃ようやく奥義を極めたとの事なので、将来が大変に楽しみだが完璧を追求するので、
注文刀の出来上りが遅いのが難点である。家庭の大黒様のヤリクリが大変だと推量を致す。
 但し、昨年『日本刀・松田次泰の世界』と云う本を出したが、イラストの挿絵が抜群に上手で解説も判り易い、意外に難解だと云われる刀剣だが、この本はプロ・素人を問わず解説書として最適、ヒョットすると近未来に大化けするカモ(鴨)。先行投資には最適でご猿。

 お陰様で最終号が何とか纏まりました。長い間のお付き合い衷心より感謝申し上げます。
八年余の間に心掛けた事は、組合月報は公器でご猿、然らば「我田引水」の記事は無用で、一行の文字列に一字なりとも過不足な文体を作らず、平明なる事を旨とする。

 賞味期限 缶詰に無し 我に有り

平成二十四年四月吉日
花 筏


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