東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其のY(信長・孝)

花 筏 愛三・名倉敬世


 ところで、前回からの宿題でご猿るが、「織田三郎信長」の好物と申しますと、往古より「九十九髪」、「国行」、「五郎左」、の三点であると申すのが定番でございますが、
九十九髪は「百年に 一年たらぬ つくも髪 われを恋ふらし おもかげに見ゆ」と和歌にも詠まれる有名な歌であります。
 詠み人は平安時代の歌人、在原業平(825〜880)にて平城天皇の孫ですが、日本史上最高の美男子の誉れが高く、当代随一のプレイボーイとの事でご猿。

 
付藻茄子

 付藻茄子は、九十九茄子、九十九髪茄子とも書き、松永茄子とも呼ばれておりますが、その実物は付藻茄子と云われる上記の様な茄子の形をした茶器です。室町の初め足利三代将軍・義満の秘蔵の品でした。代々足利将軍家に伝えられていましたが、八代将軍の足利義政はこの品を寵臣の山名政豊(応仁の乱を起こした山名宗全の子1441〜99)に与えた。
 15世紀になり、侘茶の祖・村田珠光が九十九貫文で買取りました。珠光は前出の業平の伊勢物語の第六十三段の歌にちなんで、九十九文から「つくも」の名を付けたと言います。即ち、百から一を消すと白になるので「つくも髪」は白髪の意味なのですが、「つくも」は次百(つぐもも)を縮めたもので、持主が変る度に出世を致す目出度い名前でもあります。
 村田珠光の没後に500文で越前一乗谷の朝倉太郎左衛門が買い、次に越前武生の豪商の小袖屋に一千貫で売り、小袖屋は仕覆(布製の入物)を作る為に京都の袋屋に預けましたが、天文五年に比叡山・延暦寺や近江の六角氏が京都の法華宗を攻めた天文法華の乱が起こり、この戦乱のドサクサの間に付藻茄子は松永久秀に一千貫で買い取られて、其の後に久秀は織田信長の配下となり忠誠の証しとして信長に献上を致しております。信長は付藻茄子を特に愛用をしたので、この茶器の名前は一段と高名になり信長が庇護をしたポルトガルの宣教師である、ルイス・フロイス等もその著書である『日本史』の中で彼らが見た日本の「茶道具」の事を「我々には良く理解出来ないが、これらの茶道具は自分達の間で言うとルビーやダイヤモンドの宝石を使用した指輪や首飾りの様な宝となっているのだろう」と述べています。元はと言えば単なるナスの形をした「茶入れ」の事なのですが、千利休が天下一の名物と激賞をした器で、松本茄子と富士茄子を加え天下三茄子と云われています。尚、信長が本能寺で光秀に討れたのは、この茶器を用いた茶会が行われて、終了をした深夜との風聞も良く聴きます。又、名物とは足利幕府八代将軍・義政が認定した文物の事。
 付藻茄子の茶器は信長が1568年に入京した折り、松永久秀が信長に献上された器でその後また信長より久秀に返されていた物にて、この茶入れにより信長は名物という物の経済的価値に目覚めたのだと云われて居ります。どの様な物も一度「名物」という名前が付くと驚く様な価値観が生じます。当時の信長は一向一揆と激戦中で部下に与える領土もゼニも無い状態でしたので「名物」と言う名前が金銭以上の価値を生む事に瞠目しました。即ち、これが「無から有を生む」と云う錬金術でご猿。朝鮮(高麗)の三島茶碗等もこの類で、為にこの後に信長は色々な名物の収集を始めており、自身が一度手持ちにして箔付けして後に部下に恩賞として与えて、大変に有効利用を致しております。
 そうなりますと銭は全く不要となりますし、土地は部下に一時的に貸し与えるのが戦国時代では基本的なスタイルですので、これなら何とか無理しても回して行く事が出来ます。

付藻茄子の伝来と所有者の変遷。
足利義満(室町幕府・三代将軍)→足利将軍家→八代将軍・義政→山名政豊→村田珠光→
朝倉太郎左衛門→小袖屋→袋屋→松永久秀→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康。
慶長20年(1615)5月、大阪夏の陣にて大阪城焼亡し豊臣家滅亡、付藻茄子もかなり重傷。
これを漆継ぎの名工・藤重藤元・藤厳が修復する。この為、これより代々藤重家の管理。

松永弾正久秀(1510〜77)。戦国時代の武将(大和・信貴山城主)。三好三人衆の一人、初めは三好長慶に仕え、後に三好三人衆の一人として、足利13代将軍足利義輝を室町幕府に襲い一刀流免許皆伝の義輝を殺害し畿内を支配するが、信長に服従するも離反降伏を繰返す。
その最期は自己の籠る信貴山城を囲まれた時にこの付藻茄子の茶壷と爆薬を両手に抱いて城を枕に壮烈なる爆死を遂げております。

 
国宝 太刀 国行

国行。来国行という。山城(京都)の名門の刀鍛冶で来派の祖。正元(1259)頃の刀工でご猿。
昔より名のある武将の佩刀に用いられており、国指定の重要文化財(国宝)にも指定品の多い名工でご猿。(実は当家にも門外不出の生中心で在銘の来国行の太刀が伝来してご猿 )。
信長は本来、光忠(備前長船光忠←も国行と同価値の名刀)が好みと云われておりますので、趣向が少し合いませんが、許容範囲ではご猿るかいな?。

 
丹羽長秀画像 丹羽長秀花押

丹羽長秀。(1571〜1637)安土・桃山・慶長の江戸時代前期の武将。織田信長に仕え羽柴秀吉の先輩にあたり、秀吉の名乗りの羽は丹羽長秀、柴は柴田勝家よりの譲り物という。
信長の側近として働き戦功多く、惟住の称号を授かり、惟住五郎左衛門と名乗る。51才没。

 
左:松下遊鹿図 古金工 桃山時代Ko-kinko (circa 1570)
右:富嶽透図 銘 国永 江戸時代 Signed Kuninaga (circa 1800)

 

 

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