東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.159

平成25年5月5日
国民栄誉賞受賞の2人
長嶋茂雄さん(77歳)、松井秀喜さん(38歳)
「おめでとうございます」

青木行雄

 

※前日の昼、背番号3と背番号55の数字がはっきりわかる。祝福の看板である。
※会場風景、ホテルの14階より写す。すごい人数に圧倒される。
※14階より写す。すごい行列だ。見る見る内に何10m位になった。すごい人気にびっくりした。
※前日の夜写す。用意万端である。スタッフの苦労がわかる。
※長嶋茂雄さんのバットを振ったシーン。片手をポケットに入れ真剣そのものだ。もうこんなシーン見られない。
※すばらしい笑顔のご両人である。何年ぶりかのツーショットに感動した。
※国民栄誉賞授与式を前に行われた引退セレモニーで、長嶋茂雄さんと共に、場内を一周しファンの声援に答える松井秀喜さん。
 

「私はこの賞をいただき、大変大変光栄ではありますが、同じくらいの気持ちで恐縮もしております。
 私は王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録を作れたわけではありません。長嶋監督時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーが出来たわけではありません。僕が誇れることは、日米の素晴らしいチームでプレーし、素晴らしい指導者の方々、チームメイト、そして素晴らしいファンに恵まれたことです。
 今後、偉大なお三方の背中を追いかけ、日本の野球の、そして野球を愛する国民の皆さんの力に少しでもなれるように努力していきたいと思います。この度は身に余る光栄ではありますが、ただただ、私を支えてくださったファンの方々、私が野球で関わった全ての方々に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。」
 松井秀喜さんの受賞挨拶の全文である。

 平成25年5月5日晴天の日、プロ野球読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん(77歳)と、巨人と米大リーグ・ヤンキースなどで活躍し、平成24年、昨年末に引退表明した松井秀喜さん(38歳)の国民栄誉賞の表彰式が、5月5日、東京ドームで盛大に行われた。
 この国民栄誉賞の表彰式は首相官邸以外の場所で行われるのは初めてであったために、首相が来ることから、けっこう警備も厳重で大変であった。
 表彰式は巨人広島戦の試合前に行なわれた。テレビを見た人もあったかと思うが、賞状を授与した安倍首相は「文句なしの国民栄誉賞である」と述べ、「2人の明るさこそが私たちの求めているものである」と祝辞を述べていた。
 長嶋前監督は、2004年(平成16年)に脳梗塞で倒れてから初めてファンの前に立ち挨拶した。「ファンの皆様、本当にありがとうございます」と話した。
 表彰式の後、2人はユニフォームに着替え、長嶋さんは背番号「3」に、松井さんは「55」を付けて出てこられた。松井さんが投手に、長嶋さんが打者に、捕手は原監督がすわり、審判は安倍首相が務めた。長嶋さんがバットを振るとスタンドからは惜しみない拍手がこだました。
 私は以前、松井さんの励ます会に2回程参加したことがある。愛称は「ゴジラ」と言われているが、憎めない顔だちで愛嬌がある。今回の挨拶もしっかりした言葉だったと思う。
 下記の挨拶は松井さんの引退挨拶の全文である。
 「ジャイアンツファンの皆様、お久しぶりです。2002年、ジャイアンツが日本一を勝ち取った直後、ジャイアンツに、そしてファンの皆様に自らお別れを伝えなくてはいけなかった時、もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。しかし今日、東京ドームのグランドに立たせていただいたことに今、感激で胸がいっぱいです。
 1992年のドラフト会議で、私をジャイアンツに導いてくださったのが長嶋監督でした。王さんのように1シーズンでホームランを55本打てるようなバッターを目指せと背番号55番をいただきました。将来は、立派にジャイアンツの4番バッターを務めなくてはいけないと思い、日々努力したつもりです。
 ジャイアンツの4番バッターを任せていただけるようになり、誇りと責任を持って毎日プレーをしてきました。ただ、その過程には常に長嶋監督のご指導がありました。
 毎日毎日、2人きりで練習に付き合って下さり、ジャイアンツの4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々が、その後10年間アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。その御恩は生涯忘れることはありません。
 今日、ファンの皆様に久しぶりにお会いしたというにもかかわらず、再びお別れの挨拶となってしまい、もう一度プレーする姿をお見せ出来ないのは残念ですが、これからも僕の心の中には常にジャイアンツが存在し続けます。どういう形かわかりませんが、またいつか皆様にお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います。
 ジャイアンツでプレーした10年間、そしてアメリカでプレーした10年間、いつもいつも皆様からの温かい声援が僕に元気を与えてくれました。ファンの皆様、長い間本当に、本当にありがとうございました。」


 又、長嶋茂雄前監督も受賞記念挨拶にこんな言葉を話された。ちょっと聞きずらい所もあったが、使えない片手をポッケに入れたまま、しっかり話した。
 「国民栄誉賞を松井君と一緒にいただけたこと非常に光栄です。始球式では久しぶりにスイングしてうれしかった。いい球だったら打ったと思う。松井君はこれからも野球一筋だと思う。国民を応援するような気持ちで、野球道に集中してほしい」記者会見での話である。


長嶋茂雄(ながしま・しげお)
 1936年(昭和11年)2月千葉県臼井町(現佐倉市)で生まれる。現 77歳。
 1958年(昭和33年)立大から巨人入りし、翌年に天覧試合でサヨナラ本塁打を放った。通算打率は3割5厘、444本の本塁打を打った。そして打点は1522、最優秀選手(MVP)5回、首位打者6回、打点王5回、本塁打王2回、74年(昭和49年)に引退後は2度にわたり巨人軍監督を務めた。2001年(平成13年)に退任後は巨人軍終身名誉監督に就任した。

■長嶋氏の監督時代の成績
勝−負−引 勝率
75 47-76-7 .382E
76 76-45-9 .628@
77 80-46-4 .635@
78 65-49-16 .570A
79 58-62-10 .483D
80 61-60-9 .504B
93 64-66-1 .492B
94 70-60-0 .538@☆
95 72-58-1 .554B
96 77-53-0 .592@
97 63-72-0 .467C
98 73-62-0 .541B
99 75-60-0 .556A
00 78-57-0 .578@☆
01 75-63-2 .543A
1034-889-59 .538
丸数字はリーグ順位。☆は日本一

■長嶋氏の現役時代の成績
試合数 安打 本塁打 打点 打率
1958 130☆ 153 29 92 0.305
59 124 150 27 82 0.334
60 126 151 16 64 0.334
61 130☆ 158 28 86 0.353
62 134☆ 151 25 80 0.288
63 134 163 37 112 0.341
64 133 144 31 90 0.314
65 131 151 17 80 0.3
66 128 163 26 105 0.344
67 122 134 19 77 0.283
68 131 157 39 125 0.318
69 126 156 32 115 0.311
70 127 128 22 105 0.269
71 130☆ 155 34 86 0.32
72 125 119 27 92 0.266
73 127 130 20 76 0.269
74 128 108 15 55 0.244
2186 2471 444 1522 0.305
長嶋氏のチームは巨人。☆は全試合出場。太字はリーグ1位


松井秀喜(まつい・ひでき)
 1974(昭和49)年6月12日生まれの38歳。188p、105キロ、右投げ左打ち。
 石川県出身で星陵高からドラフト1位で93年巨人に入団する。ゴジラの愛称で親しまれた。
 10年間でセ・リーグMVP、本塁打王、打点、各3回、首位打者1回、2003年に米大リーグのヤンキースに移籍。2009年ワールドシリーズでは、3本塁打で日本人選手初のMVPに輝いた。
 2010年以降は、エンゼルス、アスレチックス、レイズと移籍を繰り返し、2012年に引退、日米通算2643安打、507本塁打、1649打点、2割9分3厘。

■松井氏の現役時代の成績
所属 試合数 安打 本塁打 打点 打率
1993 巨人 57 41 11 27 0.223
94 130☆ 148 20 66 0.294
95 131☆ 142 22 80 0.283
96 130☆ 153 38 99 0.314
97 135☆ 144 37 103 0.298
98 135☆ 142 34 100 0.292
99 135☆ 143 42 95 0.304
2000 135☆ 150 42 108 0.316
01 140☆ 160 36 104 0.333
02 140☆ 167 50 107 0.334
日本計 1268 1390 332 889 0.304

03 ヤンキース 163☆ 179 16 106 0.287
04 162☆ 174 31 108 0.298
05 162☆ 192 23 116 0.305
06 51 52 8 29 0.302
07 143 156 25 103 0.285
08 93 99 9 45 0.294
09 142 125 28 90 0.274
10 エンゼルス 145 132 21 84 0.274
11 アスレチックス 141 130 12 72 0.251
12 レイズ 34 14 2 7 0.147
大リーグ計 1236 1253 175 760 0.282
日米計 2504 2643 507 1649 0.293


 1977年(昭和52年)、野球のホームラン世界記録を達成した巨人・王貞治選手(当時)の功績を称えるため国民栄誉賞はこの時創設された。
 当初は広く国民に敬愛された社会に明るい希望を与える顕著な業績を挙げた個人が対象だった。サッカー女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した「なでしこジャパン」に贈る際、団体として受賞できるよう表彰規定を変更した。これまで国民栄誉賞の受賞例は21件あり、歌手の故美空ひばりさんや映画監督の故黒澤明さんらも受賞している。
 今までに国民栄誉賞受賞者は下記の通りである。

◇国民栄誉賞受賞者◇(敬称略)
受賞者 表彰年月日 主な功績
王 貞治 77.9.5 プロ野球ホームラン世界記録樹立
古賀 政男 78.8.4 古賀メロディー作曲による業績
長谷川一夫 84.4.19 卓越した演技と映画演劇界への貢献
植村 直己 84.4.19 世界五大陸最高峰登頂
山下 泰裕 84.10.9 203連勝など柔道における前人未到の記録
衣笠 祥雄 87.6.22 プロ野球連続試合出場世界記録樹立
美空ひばり 89.7.6 真摯な精神、歌謡曲を発表
千代の富士 89.9.29 大相撲の通算勝ち星最多記録更新など
藤山 一郎 92.5.28 歌謡曲を通じて国民に勇気と希望
長谷川町子 92.7.28 国民的な家庭漫画(サザエさん)を発表
服部 良一 93.2.26 数多くの歌謡曲を制作
渥美 清 96.9.3 映画「男はつらいよ」シリーズに主演
吉田 正 98.7.7 吉田メロディーの作曲による業績
黒澤 明 98.10.1 不朽の名作で世界映画史の功績
高橋 尚子 00.10.30 シドニー五輪女子マラソンで陸上女子初の金メダル
遠藤 実 09.1.23 情感あふれる数多くの名曲を作曲
森 光子 09.7.1 舞台「放浪記」で2000回を超える主演
森繁 久彌 09.12.22 数多くの優れた演技と歌唱
なでしこジャパン 11.8.18 サッカー女子W杯で初優勝
吉田沙保里 12.11.7 女子レスリングで五輪、世界選手権など13連覇
納谷 幸喜 13.2.25 大相撲史上最多の32回の優勝
長嶋 茂雄 13.5.5 「ミスター」の愛称で巨人のV9時代を支える
松井 秀喜 13.5.5 09年Wシリーズで日本人初のMVPなど、日米球界で活躍

 国民栄誉受賞を別紙の表で見ると、松井さんで23人目になる。お亡くなりになった後に受賞された方も何人かいるが、やっぱり、生存中に差し上げた方がよいのではと思う。
 今回のお二方の受賞は私にとって特別な意味があり、感慨無量である。
 とにかく、おめでとうございます。


参考資料
 読売新聞
 朝日新聞
 東京中日スポーツ新聞
 スポーツニッポン新聞
 日刊スポーツ新聞
 NHKテレビ

平成25年5月6日記


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