東京木材問屋協同組合


文苑 随想

材木屋とエコ 環境 省エネ(第22回)

NHKテレビ「おはよう日本」と上杉鷹山

(株)コバリン 奥澤 康文
http://www.kobarin.co.jp


 新年明けましておめでとうございます。今年の夢は、我々の深川・新木場が『木材とエコ情報の発信基地』となるよう、引き続き取材・勉強・研鑽を重ねようと思います。

【第14回全国図書館総合展】
 11月20日(火)〜11月22日(木)の間、パシフィコ横浜(みなとみらい駅)で開催。交通の便が良く、設備も立派で大勢の入場者があった。秋田県立図書館とビジネス支援関係にある当社は秋田営業所が参加。世の中には様々な団体があり、相応な催しがある。初参加の私は、珍しいコラボで「井の中の蛙大海を知らず」を痛感した。
 この原稿を作成中、日頃関与している自然素材の『もみがらエコボード』が、NHKテレビ「おはよう日本」で全国放送(11月27日)された。日本全体で毎年200万トン発生している籾殻は厄介な農業廃棄物だが、自然エネルギーの一つで有効利用しない手はない。

秋田県立図書館は積極的にコラボを推進中です。

各種団体や大学の偉い先生方も楽しそう!!

食べ物、飲み物、木製品、自然素材等斬新で拡大中。

女性の来場者が多く、取り組みを親切に説明。

【2000m2超の木造園舎建設】
 11月29日付『日刊木材新聞』、福岡県粕屋郡須恵町に構造躯体にKES構法((株)シェルター:山形市)が採用されたとの記事が出ていた。木造ながら27m超のスパンを実現した空間設計、構造材等に約340m2(合板除く)の木材が使用された。又、東日本大震災の津波にも耐えたことで知られるKES構法が採用されたことから地域関係者の注目を集めているという。
 12月1日(土)予てから関心のあった(株)シェルター本社及び真下慶治記念美術館(山形県村山市)を訪問する機会を得、そこで多くを学んだ。木材の有効的な利用増は我々の業界の悲願であり歓迎される。 

(株)シェルターの原点で日本初KES構法。山形県寒河江市。1974年完成。背後は最新設備のプレカット工場。

真下慶治記念美術館。小雪舞う山形県村山市。2004年完成。第13回公共建築賞受賞。(2012年5月)

真下慶治記念美術館の眼下を流れる最上川。悪天候にもかかわらず来訪者は絶えることがない感動のスポット。

美術館の天井には独特なKES構法が観察できる。素人の私は幾何学的な設計に、ただ感心するばかり。

そば屋の壁に、「長寿の心得」。私も還暦で気になる。他の客もチラチラ見る。「山坂多い旅の道」とは至言也。

そば屋前の鎮守の森。昔はどこでも普通にあったが、今では少ない。何気にとても懐かしい感じがする。

【美味いもの情報】 食の豊かな山形県。

12月1日(土)老舗のそば屋 庄司屋本店(山形市内)県内で最も有名。そばと天ぷらが絶妙な美味、そば通の憧れ!!

12月2日(日)地元産そば粉の十割そば。素朴な味で最高!! 手打ち大石田そばで有名、「きよ」(来迎寺)

豆腐屋が作った有名な「ずんだん」。大繁盛している。新鮮な枝豆の上品な甘味と香りが絶品。美味しかった。

名物、「ずんだん」のお品書き。午前10時、みぞれ模様の悪天候なのに、既に遠方から大勢が行列…。

【同窓会通信】 米国在住の友人と再会 11月13日(火)晩 東天紅(江東区門前仲町)
 学生時代の友人の三上君が訪ねてくれた。遠方からの友との再会は殊更嬉しいものだ。互いに還暦(満60歳)で、今後の産学連携へのコーディネート等の可能性について、熱く語り合った。

昨年の同窓会以来の再会にビールとウーロン茶で乾杯。それ以前は20数年のブランク有。
三上君は、大手の楽器メーカー勤務中に海外駐在が約20年以上。転勤自体は大変だったと思うが、学生当時の希望でもあり国際経験が豊富。退職直前はカナダ法人社長等を歴任。
現在はミシガン州に在住。社会活動に従事。
遊びに来ないかと誘われたが、定年まで無理なので、その時を楽しみに・・・待つ。

【新エネルギー関係】
 12月3日(月)「みのもんたの朝ズバッ!」で、ユニークな『さつまいも発電』が紹介された。近畿大学の先生の話では、薄くスライスして乾燥後には有害物も少なく燃えやすく、仮に、全国で100万ha(=100km×100km)に栽培すれば、日本全体の電気エネルギーを賄うことができるという。コストは石炭より高いが従来の太陽光やバイオより安く、固くてまずいものがより燃えやすい。技術的には容易との事で、実に興味深く希望のある話だ。こうした研究が急速に進展する事を待ち望む。

【上杉鷹山の風土】
 半世紀前、米国のケネディ元大統領が最も尊敬する日本人として挙げたのが上杉鷹山である。江戸時代中期の米沢藩第9代の藩主で財政再建に尽力した。若い頃本で読んだことがある。最近では、直江兼続(NHK大河ドラマ)等の影響で山形県が注目を集めている。色々な人から良い噂を聞いていたが、やはり「百聞は一見にしかず」と実感した。
 東北の厳しい自然環境の中で逞しく生きる人々が、多様な自然の恵みを実に上手く工夫し生活に役立てていることを体験できたことは幸いだった。
 最後に、(株)シェルターの木村社長の豊富な経験談にも感銘を受けた。又、名藩主上杉鷹山の時代から伝承されるInnovation(革新)の技が県民の中に脈々と伝承されていると感じた。

 

2012年12月8日(土) 記

■ 追記:上杉鷹山 ■
 ケネディ大統領が上杉鷹山のことを知っていたのは、明治時代に内村鑑三が英文で書いた『代表的日本人』(1894年)の中に取り上げられているからではないかという。
 上杉鷹山は米沢藩の中興の祖である。当時の米沢藩は、領地を徳川幕府に返上することを真剣に検討するほどに財政が破綻していた。鷹山が行ったのは徹底した倹約だった。家臣たちは減封されて収入が8分の1になったのに、120万石当時の感覚でいた。鷹山自ら質素倹約に努め、日常の食事は一汁一菜、衣服は綿衣とし、屋敷で働く奥女中も50人を9人に減らした。
 同時に、産業を振興した。米の生産高を上げる為に大規模な農業用水路の建設、新田開発、橋の架け替え、もみ倉の建設などを行った。漆や桑、こうぞの木を藩内に100万本植えた。漆の実はロウソクの材料、桑の葉は、絹糸づくりの蚕の餌、こうぞは和紙の原料だった。その他、多くの改革、改良、育成をして、その結果、米沢藩はその後見事に蘇った。
 鷹山の残した言葉に、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」がある。家臣や領民に「やればできる」「必ず立ち直れる」と自信とやる気を持たせ、知恵を絞らせて藩の再生を図ったのである。
以上


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