東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(84)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 地球温暖化現象とは裏腹に厳しい冬となりました。世田谷に住んで40年以上になりますが、当地冬の風物詩と云えば、もう400年以上続いているボロ市です。毎年、12月15、16日と正月の同じ両日に開かれますが、代官屋敷前の道は、小田原と江戸を結ぶ矢倉沢往還(大山街道)で、物資の中間市場として世田谷宿は発展し、吉良氏朝の時、北条氏政が六斎市として開かせたのが起源とされています。およそ10年振りに行きましたが、ボロ市通りは黒山の人で、道行く人々は、ここに出し度い物は沢山あるが、買い度い物はない、などと云いながら、それでも楽しそうに人込みの中を遊泳しています。区役所前の細い路地にある古いそば屋に入りますと、ボロ市そば、代官そば等のメニューがあります。ボロ市そばは、海苔を襤褸に見立ててのせてあり、代官屋敷そばは、トロロをお白州に、うずらの卵を罪人として入っております。
 前日の12月14日は、赤穂浪士の討入りがあった日です。「元禄15年12月14日、草木も眠る丑三つどき、本所松坂町、吉良上野介屋敷門前で鳴り響く山鹿流陣太鼓・・・」
 品川泉岳寺にある四十七士の墓前には、300年以上経った今日でも、討入りの日は、お参りに来る人が手向ける線香の煙がもうもうと全山に立ちこめております。
 北条氏の小田原落城で、世田谷吉良家も滅亡し、従って赤穂浪士討入りの時には世田谷吉良家はありませんでした。
 今回は吉良家と世田谷の由来について探訪します。
 吉良氏は下野国足利庄(栃木県)を領した東国源氏の雄、足利義氏を祖とします。
 義氏の長男泰氏は足利庄を継ぎ、この系統から尊氏が出て室町幕府を開きます。
 次男長氏は三河国吉良庄(愛知県幡豆郡吉良町と西尾市)を領し、この家系から忠臣蔵の敵役上野介が出ています。領地は渥美半島と知多半島に挟まれた三河湾の奥にあって、気候温暖な地です。東海道ネットワークの会で10年以上前に訪ねたことがありますが、上野介は当地では名君の誉れが高く、領民に慕われておりました。河川の堤防に土嚢を高く積んで洪水から守り、今日まで吉良提として残っております。
 三男国氏は今川氏の祖で、四男義継が東条吉良氏を名乗り、この系統から四代目貞家やその子治家が出て室町幕府の要職を歴任しました。治家は三代将軍義満の頃、鎌倉公方基氏の求めで上野国飽間に居城を構えます。
 治家から始まる世田谷吉良氏は、頼治、頼氏、頼高と続き、その子成高の頃世田谷城が建てられました。今では城址公園だけが残っており、ここを通る道を城山通りと云います。
 世田谷城内に建てた小庵がのちに豪徳寺となり、彦根藩井伊家の江戸に於ける菩提寺となりました。
 ボロ市は代官屋敷を中心に執り行なわれます。以前世田谷区長を務めていた大場啓二氏の祖先は吉良氏四天王の一人と云われておりました。吉良氏没落後は世田谷新宿(上町)に帰農し、家康入府後、検地の代行を命じられ、十代目大場弥十郎氏は、天明の飢饉で荒廃した世田谷領を復興した功により、彦根藩から一代限りの歩行という士分に取り立てられました。代官屋敷の中に郷土資料館があり区内から出土した考古資料や江戸期に使われた木製の水道管等も展示されています。
 幕末に起こった桜田門外の変で、時の大老井伊直弼が討たれたときは、代官として国元へ連絡したり、井伊家存続の為に奮闘した様が記された資料もあります。直弼は豪徳寺に眠っております。安政の大獄に連座し、江戸伝馬町の牢獄で刑死した吉田松陰は後に高杉晋作、伊藤博文らによって指呼の間にある松蔭神社に改葬されたのも歴史の巡り合わせではないでしょうか。
 世田谷八幡宮は毎年初詣でに行ったり、二人の子供、二人の孫も宮参りや七五三で大変お世話になっておりますが、歴史を繙くと、後三年の役で奥州からの帰り道に八幡太郎義家が勝利を祝して勧請したのが始まりと伝えられています。実際には吉良氏七代頼康が天文15年(1546)鎌倉鶴岡八幡宮から遷官供養導師として快元を招いた記録もあります。
 正月休みは、山梨県八ヶ岳の麓にある、会員制リゾート施設、ダイヤモンドソサエティ、八ヶ岳美術館ホテルへ行きました。もう30年以上前から加入しておりましたが、10年程前初めて寄りましたら、山の景色が素晴らしく、以来やみ付きになりました。標高1300mの位置にありますが、中央高速は天井落下事故による改修工事や降雪による難儀が心配で、中央本線で小渕沢まで行き、仕事で安曇野に住んでいる長男に迎えに来てもらいました。30分程、暗い山道を行きます。元旦の夜7時過ぎにようやくチェックインし、その日は食事後ホテル主催のビンゴゲームで大勢の家族連れの会員達と和気藹々盛り上がりました。2日は好天で、テレビで箱根駅伝、大学ラグビー観戦の合い間を縫って出掛けました。リゾート地清里を経て、JR最高地点の駅(1350m)野辺山では、冬山から単身で下って来たばかりの勇敢な美女に出会い、その人に教えてもらって、松原湖まで足をのばし、冬を満喫して参りました。小さな湖は厚い氷に覆われており、凍るような北風吹き荒ぶ氷の上で穴を穿けて公魚(わかさぎ)を釣る人達から元気のお裾分けを頂き、湖畔の宿で釣り立ての天婦羅に舌鼓を打ちました。
 夜はホテルでマジックショーを楽しんだ後天文の先生に宇宙の神秘、冬の星座についてご教授賜った後、屋上の展望台で寒さに震えながら、天体望遠鏡で、木星と月を観測しました。今年の3月、地球に大接近する彗星の天体ショーがあるそうです。




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