東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(88)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 山本一力作『おたふく』を駅の売店で買い読み始めました。時代背景は江戸中期の深川界隈です。江戸時代には三度の改革がありました。米将軍と云われた八代吉宗による享保の改革、老中松平定信による寛政の改革、それに水野忠邦の天保の改革です。今回は江戸時代の改革について現代のアベノミクス等と対比して歴史探訪します。
 江東区に白河町という町があり福島県白河市と密接な関係があることを最近知りました。
 JR潮見駅の前にウッディランドと名付けられた施設がありました。
 東京木材問屋協同組合歌の一番に「木の香ただよう深川に輝く伝統三百年」と謳われているように、江東区毛利にある猿江恩賜公園の前身が徳川幕府が定めた木材置場であり、都市計画により潮見に移転して参りました。
 ウッディランドは農水省の管轄で、全国から国産材を集めて売買する置場でありましたが、林野庁は赤字続きの為、土地を処分して補填しておりました。土地が一万坪以下にまで縮小したとき、民間の企業に住宅展示場として賃貸し、国産材住宅やログハウスのPRに供しておりました。当社も「茶室のある家」と銘打って国産材数奇屋造りの住宅を出展しておりました。ウッディランドでは客寄せの為イベントを実施しました。ある夏は、福島県白河市から小学生を招き、江東区白河小学校の生徒と交流させようという企画でありました。
 享保の改革を断行した吉宗の孫、松平定信が白河藩の城主であったとき、浅間山が噴火し、噴煙が空を覆って凶作となり何十万人もの餓死者を出すという天明の飢饉がありました。時の藩主定信は冷害に強い蕎麦の栽培を奨励し、領内に一人の餓死者も出しませんでした。当時は世界的に火山の噴火が多く、欧州では英国の西にある孤島の火山が噴火し、栄えていたフランスも冷害で不作となり、民衆はパリへ押しかけ「パンを寄越せ」と云って、王宮近くまでなだれ込みました。王妃はオーストリアのハプスブルグ家から嫁いで来たマリーアントワネットです。王妃は「パンが無ければケーキを食べれば?」と云ったとか、云わないとか。この噂が元でフランス革命が起り、王妃はギロチンにかけられ刑場の露と消えました。1789年のことです。
 松平定信が中央政界に登場するまでは、田沼意次、意知親子が権政を振るっており、賄賂政治が横行しておりました。嘶(イナナク)く駒も御進物、1779年と年号を記憶しました。
 定信が老中になったのは1780年でありました。『おたふく』では定信が登場すると棄捐令(きえんれい)を発布し、旗本、御家人は109人の札差から借りていた約百十万両の借金を免除されました。庶民はこれに喝采を叫びました。「ご政道かゆいところへとどくのは徳あるきみの孫の手なれば」と落首にも詠まれました。
 定信は質素倹約を勧め、言論統制も実施しました。黄表紙、洒落本等で隆盛を極めていた蔦屋重三郎は財産を没収され、店も半分に縮小となり、粋な文筆で人気の高かった山東京伝は手鎖の刑となりました。
 「白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
 松平定信は失脚し政界を引退、余生を送った屋敷があった処は白河町と名付けられました。ここで執筆した随筆『花月草紙』は江戸時代を代表する随筆で、本居宣長の随筆『玉勝間』は高校の国語の授業で学んだ記憶があります。
 天保の改革は1841年、老中水野忠邦によってなされましたが、さしたる経済効果はなく激動の幕末に向かいます。
 ところで、今進行しているアベノミクスはどうなることでしょうか。
 三本の矢を放ち、@日銀総裁を白川氏から黒田氏に(これをオセロゲームと云う人もいるが意味不明)交代し、金融を緩和し、A補正予算を組んで2%の物価上昇を目論み B雇用促進と所得の向上を目指す
 現在為替レート1ドル100円、株価14,000円を超え、うまく行っているように見えますが、懸念する声もあります。天川氏が送って下さった新聞切り抜き等から
 哲学者内山節氏「世界で貿易や工場建設に使われているお金より、金融商品で稼ごうと国を越えて飛び交う投機マネーの方がはるかに多い」
 3年前に亡くなった友人立川康夫氏の遺稿「明治141年史観と日本のこれからH21.8.15」より「ヘッジファンドという不気味な怪物、日本も世界のカジノ経済に参加させられている」
 1ドル50円説を唱え、厳しい評論と顔で知られている浜矩子氏「アベノミクスは浦島太郎経済だ。急激な円安株高でちょっとしたバブルが発生しても庶民には恩恵がない。物価だけが上昇し、ますます暮らしは苦しくなる。」
 松平定信は棄捐令で旗本・御家人の借金を棒引きにしました。
 現在の日本も国家の借金はGOPの5倍に膨張し、国民一人当たり、800万に相当するとも云われており、この破綻状態はアベノミクスをしても解消はできません。
 昨日発売された月刊誌『歴史街道』を繙いてみますと、高橋是清の特集記事がありました。
 昨年12月26日、安倍晋三2次内閣が発足した日、「デフレ不況を好転させた経験者は現在おりません。ならば我々は歴史に学ばなければいけません。一番は高橋是清です。」と云った閣僚がおりました。それは麻生太郎財務大臣でありました。
 高橋是清は波乱に富んだ前半生を送り、何度転んでも起き上がるので、達磨大臣と云われました。是清が生涯貫いていた姿勢は「人間失うものは何もない。どん底の生活に陥っても、焦らずにやるべきことをやっていたら、必ず道はひらける」という強い信念、そして「己を捨てて君国のため殉する至誠の観念」でありました。
 安倍氏は一度挫折して隠忍自重し、不遇を託っていた時期もありましたが、民主党の不甲斐なさもあって捲土重来したときは、一皮も二皮も剥けてきたようです。先程述べた辛口の批評を素直に受け止めて、それらを撥ね返すだけの信念を貫けばよい結果が出るのではないかと期待する次第であります。
 次回は東海道ネットワークの会「江戸切絵図で歩こう江戸の坂」と銘打った例会に参加し、合わせて、天川淳氏に頂いた投稿「都市計画家、徳川家康に学ぶ」に学んで歴史探訪します。




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