東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其のXI

花 筏


 今年のNHKの大河ドラマは「黒田官兵衛孝高」の事だと言うので、何となくボーと見て居ましたら、突然、信長が現われ初対面の官兵衛に自分の佩刀を下げ渡しました。それが何と驚くなかれ「圧切り長谷部」と云う室町期の名物で現在は国宝に指定の名刀であります。
 名前の由来は信長が無礼を働いた観内と云う茶坊主を手打ちに致すときに観内が台所の膳棚の下に逃れた。これでは刀が振れないので信長は膳棚ごと押し切った。この時の刀が「長谷部国重」で以来「圧切り長谷部」と言われ「享保名物張」に所載されております。
 ※長谷部国重=大和城上郡長谷郷(奈良県桜井市初瀬)自出、正宗十哲の一人。国信の兄。


 太閤秀吉がまだ羽柴筑前守と称していた天正二年(1574)から、信長が横死する(1582)約十年の間に黒田官兵衛が信長より拝領したものと思いますが、秀吉が黒田長政に与えた、という説も流布している様でご猿。
 尚、この刀は中心(柄の下の銘の処)に金象嵌で「長谷部国重、本阿弥(花押)黒田筑前守」、と誌されている。花押は本阿弥光徳の正真のもので五00貫の折紙が付いている。従って、黒田筑前守は黒田長政であろう。
 これには桃山風の豪華な打ち刀拵えがついている。縁頭は赤銅七子地に波の高彫りで、 縁に「一乗斎 毛利光則」と在銘。朱塗り鮫の柄を茶革で巻く。鍔は「信家」と在銘」の鉄鍔。鞘は栗形のほう三分の一が黒塗り、先の三分の一は金打ち出し鮫で包んである。
全長は64.8p。(大磨上2尺1寸4分)。
昭和十一年九月十八日付 黒田長礼侯爵名義で国宝認定、戦後は重要文化財。


国宝 刀 圧切長谷部

 少し小声で申し上げますが、当家の蔵刀の中にもこの長谷部と瓜二つの迷刀がござんす。
摺上げ無名ですが南北朝〜室町初期の顔を致して居りますので、ご希望の方が居られれば、披露を致しますのでお声をお掛け下さい。

 
 
 

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