東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其のXII

花 筏


〜木場歳時記〜

 正月も20日過ぎればただの月〜神童も20歳過ぎればただの人〜この時期は暮れから正月に掛けての脳味噌の慌ただしさからみて充電期ではないかいなと思い「温故知新」の観点から、たかだか50年程の材木屋家業では有るが、昨今の年始年末の対比を愚考し遊んで見るのも一興と存じ、忙中閑有りの趣きにて駄文を侍り申す。
 小生、毎年暮れも押し詰ると古来(イニシエ)よりの作法・掟に従い正月を楽しむことに致しているが、これは、先憂後楽という程の大仰な事では無いが、突然「明日より正月!」というよりは同じ日月でも、其れなりの準備をしてからの方が、その味や斛(コク)が少々違うハズであると思う故なれど、その点は旧人の方が現代人より人生に於ける味付けは余程、馬(ウマ)勝った様に思う。勿論、当時はその様な事は塵程も考えていなかったハズとはいえ、結果、今より「正月」の意義も有難度味も雰囲気も格段の違いで上質で風情が有り申した。「新年を迎える」、という儀式は人間(ホモサピエンス)、特に日本人(ヤマトンチュー)にとっては誠に有意義で大切な生活の知恵なのである。のべつ幕なしに日常が続くより区切り(節)があった方がどれ程人生に潤いが生じるかしれぬ。過ぎ去りし日の悪しきこと等はキッパリと忘れ、新しき年の夢や希望を胸に出発をする。これが「正月」の最大且つ唯一の意義であろう。その為にまず「清め」や「飾り」に精根を込め努力をし、その気持ちのピークを「元旦」に持っていく。この為の気配り、心遣い、段取り、が肝要なのである。
 それには、先ず何を成すべきか、順次その過程を辿って見てみよう…。

其の一 煤(スス)払い…平たくいえば…大掃除。
 ススハライ。現代では完全に死語の部類なれど、TV等では年に一度は必ず奈良の大きな盧遮那佛(大仏)のホコリを払う時に使われる慣用句。確かに煤とはローソクの油煙より
生じるのが正しい煤の在り方なれど、生活様式の変化が激しく今風に申せば「クモの巣払い」。元来は12月13日と日限まで決められていたのだが、昨今では大体暮れの28日頃が一番多い様である。
 本来、商人(アキンド)の家は「表」(店)と「奥」(自宅)に分かれて各々社員(コゾウ)が手分けをして朝から晩まで目一ぱい掛った。先ず「表」では机や椅子やテーブル、全ての物を外に出し、力一ぱいに絞った雑巾で上(天井板)より空拭きを始める。これは机の上に椅子を積み上げての作業のため慣れぬと首の筋がネジれて後遺症を残すこととなる。次に、壁面や窓上などのハタキ掛けだが、各種の「額」の後には、かなりのチリや芥が滞積していて、チリも積もれば〜、という古(イニシエ)よりの「諺」を目の当りにして妙に納得したりする。尚、このハタキなる代物も前世紀の遺物にて、現代ではその存在価値は皆無なれど「奥」では依然として座敷箒と共に所定の位置に鎮座ましまして、このゆるぎ無き不動の姿勢は二十数年このかた微動だにせぬが、以前は先代の毎朝の日課の供として一石三鳥(早起き・清掃・柔軟体操)の働きをしたものである。ユカタの裾を尻ばしょりをしてのハタキの舞いはなつかしい名人芸として今でも目の底に焼ついている。尤も、これは、ご幼少の頃よりの修業が身体の奥まで染み込んだ結果の現れで誠に結構な習慣なれど、家族にとっては休日の朝などは何とも有難迷惑な日課でもあった。
 普段の掃除の段取りとしては、このハタキの舞いと同時進行としてお女中により長廊下、縁側、揚板を問わず板敷きの全ての場所のカラ拭きが始まる。これには当然オカラが使用されるのだが(それでカラ拭きという?)、これは、春・夏・冬を問わず朝も早よから近所の豆腐屋へバケツ持参でオカラを貰いに行き(タダ)、それにて総桧の廊下を磨くとピッカピカの飴色をした「えモ云ワレヌ」廊下に変身をする。これが、当時の各問屋の奥様の生き甲斐にも繋がっていて、決して気を抜くことまかりナラン雰囲気であった。たまに年始の客がその光輝を誉めようものなら、子供にまで金一封が出た位である。
 日頃の掃除は前述の如しなれど、暮れの大掃除は大分その趣が違い、「表」より男手が2〜3名応援に出て、上は屋根の瓦の間から顔を出している草花の除去。これは、本来、4〜5日前に手入れの終わっている庭師(ウエキヤ)の仕事なれど、出入りの植木屋の親方は決して其のような所には手を出さず、日がな一ぱいラオ付きのキセルを喰えて懐(フトコロ)手でボーッと石や庭木を見ているだけ。しかし不思議と日暮れには全てが治まり綺麗に整っている…から始まり、次に、家中の畳を上げ下の古新聞を読みながら消毒剤を満遍なく撒く。外では、その畳を藤(トウ)で出来ているブッタタキでブッタタキ、それが済むと裏の番号順に元の様に座敷に引詰め、その上を二度三度と空拭きをする。
 外では外面の下見板に散水しながら柄長のタワシでゴシゴシと洗い、長年風雪に耐えし天然秋田杉の四分板の汚れを落とす。結果、洗い出しとなりその杢目を楽しみ、続いて、塀も同じ要領で洗うのだが、我家の塀の三割は今ではこの木場でさえ、まっこと珍しくなった木の塀で上下が透しで中板が四尺五寸のリャンコの二分三なり。この理由は別にあり。先ず築土塀にするゼニが無いのが第一なれど、一旦緩急ある場合、木の塀なれば両端をノコギリで切り落とせば開口部が広がり何かと都合が良い、というのが理由だと先代が申しておりました。先人の知恵とは、かくも奥深いものでありんすなぁ…。
 なんやかんやで、縁の下の蜘蛛の巣払いも古新聞や雑誌やビンやカンや捨てるに捨てられずにあった不用の取り置き物の処分も終わる頃には不思議と、ぴったし日没となる。「奥」さんも姉さん被りの手拭も襷もエプロンも外してニコヤカニ「お蔭様で、これでお正月が迎えられます」とお礼の言葉が有り、お茶菓子が出て一服の後、寸志(オコズカイ)を貰って〜ゴクローサンとなる。(つづく)

 
 
 

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