東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.168

〜歴史探訪 一人旅〜
鹿児島「霧島神宮」と「東京アサヒ会」

青木行雄
※広大な森林の中に鎮座し、日本で最も古い書物である『古事記』及び『日本書紀』にも記される程、古く、歴史のある神宮である。
※近景の神殿写真。朝早かったので、観光客は疎らだが、落ち着いた重みのある神殿であった。
※霧島神社 本殿
左右二つの柱には、瑞雲と二匹の竜が彫られています。(出典
※森林の中に鮮やかな塗装が神社を引き立てている。
※寺に見る色鮮やかな彫刻が目立つ。神殿とは思えぬ雰囲気もあるが、霧島神宮の古い歴史を物語る建物である。
※推定800年と言われるこの杉の大木の左の上に小さな枝が見える。自然に出来たと言うのだが。
※上の写真の枝を拡大したものだが、何に見えますか。不思議な姿に感動。
※東京アサヒ会の例会会場風景である。この日は12月の忘年会とクリスマス会。皆で楽しく童謡を歌っている風景である。毎月40〜50人集まる。
※忘年会で誕生日の人々、前に出て1人1人「ハッピーバースデー」を歌いお祝いする。お祝い品にアサヒの焼酎を1本。だから「アサヒ会」。
※月に何回かこのように「桜島」は爆発しているらしいが、丁度噴煙が上がり始めた瞬間の写真である。
※鹿児島「日當山醸造(株)」の酒タンク(焼酎)鹿児島には100軒以上の酒蔵があるが、縁あって「アサヒの焼酎」を愛飲している。
 

 湯けむり立ち上る霧島温泉から車で30分程で広大な森林に囲まれた「霧島神宮」に到着した。
 紹介を受け連絡を致しましたので、高橋宮司が待っていてくれた。詳しく説明を受けた後、谷川権宮司にバトンタッチされ神殿に入るため、階段を上る。50段程上った所に神殿があって、おごそかに参拝する。神殿の中にすばらしい彫刻の柱や梁があって、ひときわ目立った。神宮や神社では見られない特徴のある彫刻である。聞いて見ると以前、神仏習合の時代の名残だと言う。
 そんな「霧島神宮」について、ちょっとふれてみる。
 この「霧島神宮」の御祭神は日本一名前の長い神ではないかと思う。
 「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊」漢字で16文字でかなで27字、「あめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみこと」と読む。ガイドも大変でやっと覚えたと言っていたが、大変長い神様の名前である。
 霧島神宮社史より御系譜を記してみる。
 天祖天照大神(伊勢神宮)─天忍穂耳尊(英彦山神宮)─天孫瓊瓊杵尊(霧島神宮)─彦火火出見尊(鹿児島神宮)─鵜葺不合尊(鵜戸神宮)─神倭本磐余彦尊(第1代神武天皇)(宮崎神宮)─今上天皇(第125代)
 歴史は大変古く、6世紀欽明天皇の時代に「慶胤(けいいん)」と言う僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされているが、実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であるようだ。この神宮は火山の麓にあるという立地から噴火の巻き添えにあっている。霧島神宮地域は藩が島津家である関係で歴代島津氏の尊崇篤く、幾度か再建したと言うが、現在の社殿は1715年(正徳5年)、島津吉貴の奉納により再建したと言う。この社殿で平成25年11月早朝の正式参拝となった。神官(しんかん)から手水に拭き紙を頂き社殿へ。忌衣(おみごろも)を着けて、榊(玉串)をお受けして神前にお供え2礼2拍手1礼の作法を済ます。神官より低頭のお声がかかり、「金幣」でお払いを受ける。そして奉納神楽など一連の行事約30分、正式参拝は終了である。帰りに神前の土産、神酒、お札、箸などお受けした。遠路の参拝ではあるが、縁あっての御神縁でもある。
 この霧島神宮に以前奉納されたお酒は(鹿児島のお酒と言えば焼酎のこと)霧島市内のアサヒ(日当山醸造(株))の焼酎が主役であったらしい。高橋宮司よりアサヒの話を聞き納得したが、このアサヒ会との出会いがまた歴史が古い。
 以前芋焼酎と言えば薩摩が本場とされていたが、酒の研究は鹿児島大学工学部酵工学科で行なわれ、小牧高志助教授の研究室に各醸造元から研究依頼が多く寄せられていた。ある時、小牧助教授が「一体どの酒が一番うまいのか」と言ったことから、県内のほとんどの焼酎が集められ、皆で飲み比べて点数を集計してみたら、日当山醸造の芋焼酎「アサヒ」が一番になったと言う。そこで一番の「アサヒ」をみんなで飲み合っていたところ、酒好きの輪が広がり、そのうちの9人が発起人となって、鹿児島のアサヒ会が誕生したのである。時は1972年(昭和47年)2月23日の事である。当時は沖縄返還、あさま山荘事件、田中角栄内閣誕生の時代であった。
 こんな時代に鹿児島のアサヒ会は始まったのだが会長には鹿児島の米沢藤蔵外科病院長、会員には大学の先生たちやテレビ会社の人、桜島地震測候所長や市議会議員、政官界、商店主など多彩の顔ぶれであったようである。
 日當山醸造の浜崎直哉社長は元来は医師で、厚生省の公衆衛生関係の役人として熊本県の衛生部長、東京検疫、東京癌センター所長などを務められたが、父親が他界されたことから実家の焼酎会社を継ぐことになってこの「日當山醸造」の社長に就任された。人望も厚く、隼人町長にも選ばれて地方行政にも携った方である。
 NHK解説委員の坂田二郎さんは東北・津軽の出身で、終戦までは同盟通信社の敏腕記者として終戦をソ連のモスクワで迎えている。同盟通信社は世界的規模の新聞通信事業会社であったことから、終戦後、占領軍によって財閥と共に解体され、共同通信・時事通信・電通の三社に分割され、坂田氏は共同通信社に移籍されたが、緊迫した世界の国際問題専門のジャーナリストの経験などからNHKの解説委員として迎えられていた。以前時々ラジオで「本日のニュース解説は坂田二郎さんでした」と聞いたことがあった。
 本田親文さんは鹿児島県の出身で、京都大学では剣道部の主将として活躍され、戦後の混乱期には安田火災本社の企画室に勤務した。その頃は、混乱して錯綜する情報収集のための情報研究会がいくつか作られていた。その一つに共同通信社で坂田二郎さんとの出会いとなる。
 そして、本田親文さんと浜崎直哉社長とは本田さんが安田火災の熊本支店長時代に浜崎さんが熊本県庁の衛生部長をされた当時出会いがあったのである。
 三者はこんな出会いから、鹿児島のアサヒ会のメンバーとなった。
 東京勤務となったある時、浜崎さんから、東京に「アサヒ会」を作りませんかと話があって在京の鹿児島や熊本の出身者など仲間を募り東京にも「アサヒ会」の誕生となった。
 初代会長は坂田二郎氏で、現役ジャーナリストでNHKの解説委員であった。代々会長は変って、2011年(平成23年)、明治記念館で400回目の記念会を450人参加で盛大に開催した。
 そして450回目が、2015年(平成27年)の11月19日に開催と決まりその準備に入ることになる。
 鹿児島で誕生した、芋焼酎の会「アサヒ会」が東京で36年間。毎月欠かさず続いている理由はいろいろあるが、「継続は力なり」の言葉通り、すごく魅力のある会である事には間違いないようだ。

・霧島神宮:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5国立公園内
・日當山醸造(株):鹿児島県霧島市隼人町西光寺649番地


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