東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.181

〜歴史探訪 一人旅〜
大分県湯布院
「宇奈岐日女神社」と「興禅院」

青木行雄

 日本で1番目に行ってみたい場所・温泉等でNo.1の地位を何年か保持したこともある湯布院は、大分県由布市湯布院町でJRでは由布院駅と言うが、湯布院と呼ばれる場合が多くなったようである。(※由布院町と湯平村が合併して湯布院となる)
 何年か前にNHKのテレビ連続小説「風のハルカ」で湯布院が脚光を浴びて有名になり、観光客も大変多くなり、今も尚、維持している。
 湯布院は盆地で「由布岳」も有名だが、気温差の大きい秋にかけて、朝霧がすばらしく、天気の良い日は町中を埋め尽くす。高所から見ると、泉のようで神秘で美しく感動する。
 JR由布院駅は木造で大変特長のある設計で、一度行けば忘れられない建造物である。駅から、由布岳の眺めはすばらしく、大変印象づけてくれる。絵ハガキに出て来るような風景である。
 時間に余裕のある方向けのおすすめの行き方は、東京から新神戸駅まで新幹線を利用、神戸港から瀬戸内海航路の船に乗船し、大分港まで行く。大分駅から、ローカル線で各駅停車の由布院駅まで行き、市内観光だと由布院駅前に観光馬車や観光バスが用意されている。もちろんタクシーもあるが、ドイツから輸入されたと言う日本に何台もないレトロバスに乗車、ゆっくり市内観光も楽しいコースである。
 前置きが長くなったが、このレトロバスに乗り、表題の「宇奈岐日女神社」と「興禅院」に観光したので記してみたい。
 前に何度か湯布院には行ったことがあるが、この両社・寺は名前も知らなかったので興味津々の社寺である。

 

※この駅舎が由布院駅のシンボルである。ユニークな駅舎は、いろいろな展示場にもなって楽しい催し物もやっている。

※由布院駅のホーム。高原の駅にふさわしい色と景観である。すぐ前まで朝霧で見えなかった。

※紅葉の金鱗湖の風景。泉に映る白い建物は、実際にはもっと美しい。

※町から見た「由布岳」。天気が良く実に美しい。絵ハガキのようだ。

 宇奈岐日女神社
 神社の駐車場に着いて、九州の山奥に、へ〜こんな大きな立派な神社があるのだなぁーと言う印象であった。
 パンフを見ると境内は1万坪以上あると言い、杉の大木、古木に囲まれた神社だが1991年(平成3年)の台風19号で数多くの大木が倒壊等の被害を受けた。

 この神社の国史によると、849年(嘉祥2年)に従五位下の神階に叙せられたという記述であり、883年(元慶7年)には正五位下に昇叙された。これらの奉叙は「宇奈岐比v神(宇奈支比v神)」に対して行われていた。
 江戸時代までは佛山寺と習合していたが、神仏分離により現在の姿となった。1873年(明治6年)には近代社格制度において郷社に列し、1923年(大正12年)には県社に昇格したと言う。
 
 宇奈岐日女伝説
 むか〜し昔、由布院盆地は周囲を山々に囲まれた大きな湖であった。ある日、霊峰由布岳の化神・宇奈岐日女が、力自慢の権現を従えて山頂からじ〜と広大な湖を眺めていた。
 やがて宇奈岐日女は、権現に向って静かに「この湖を干拓すれば、底に肥沃なる土地が現れて、多くの民が豊かに暮らせよう、お前の力をもってこの湖の堤を蹴り裂いてみよ」と命じた。

 権現は、「あらん限りの力をもって、この堤を蹴り裂いてみせます」と答え、湖の周囲を一巡りした後、内徳野の湖壁の一番薄いところを見つけ、満身の力をふりしぼってそこを蹴り裂いた。湖水は怒涛となって奔流し、やがて湖底から現在の盆地が現れたのである。里人は宇奈岐日女を由布院開拓の祖として大きな社を建て、そこに祀ったと伝えられている。
 こんな伝説が地元に残っており、事実か定かではないと言う。

 この伝説のようにそもそもは「宇奈岐日女神」は由布山の神であり、由布岳を神体山として成立した神社であるとみられる。またこの伝説の中にも出て来るように由布院盆地が古くから湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことから始まって、後に由布岳の神と習合したという説もあるようである。

 現在は「ウナギヒメ」というようで、ウナグと言った時もあって「ウナグ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと伝えられているようであるが、いずれも定かではない。

 この「宇奈岐日女神社」に無病息災を祈願し、バスは「興禅院」へ廻わる。

 菊池寛作『恩讐の彼方へ』で有名な、禅海和尚が得度した寺と聞いて親しみを感じて飛び込んだのがこの「興禅院」。前神社からあまり遠くない。湯布院町川南、興禅院橋を渡ったところにあった。秋の紅葉を背景に「由布岳」がすばらしく美しく見えた。
 大分県中津市耶馬渓町、紅葉で全国的に有名な「青の洞門」をたった一人で造ったと言われる禅海和尚。その足跡は耶馬渓の羅漢寺と言う寺にあり、禅海がこんな所にいた事があるとはびっくりである。そして別れたはずのお弓さんと一緒の像まである事にも驚いた。小説の内容を考えると、一緒にいることが不思議であった。

 

※レトロバスと神社の森林。「宇奈岐日女神社」の駐車場前から写す。

※正面の神殿。台風による倒木の前は、空が見えないほど、高い木があったと言う。

※神殿、神社の伝説はいろいろあって興味深い。

※興禅院より見た「由布岳」の景色。レトロバスに白い雲に紅葉と由布岳。すばらしい風景。

「興禅院」について
 興禅院は1370年(建徳元年)は無著禅師により開山したと言われ、曹洞宗の禅寺である。
 一時はキリスト教の教会も建てられていた時期もあったようだが、秀吉の時代キリシタン弾圧により教会は取り壊され、禅寺が再建されたと言う。その名残りだと思うが、境内にはマリア像(観音菩薩)がある。
 
 この院にはパンフがなく、現地説明板より

「興禅院宇田中市にある龍雲山と号し曹洞宗に属する禅寺である。寺伝によれば応安3年(西暦1370年)に創建された。(和暦で北朝では応安3年。南朝では建徳元年である)慶長年間の地震により伽らんことごとく倒壊したが、石垣原の合戦後、当時由布院を支配した、細川忠興の命により再建されたものである。全盛時代には、由布院内には末寺が29もあったといわれている。キリシタン禁令の折、転宗のための天罰起請文の中にも請人として、この寺の僧侶の名前が出てくる」
以上のような事が書かれていた。

 興禅院は、観光客の多い湯布院の町中とはちょっと離れている。
 静かな境内には十六羅漢像、禅海和尚と妻のお弓さんの像、十三仏、馬頭観音像や様々な石仏があり、石仏に興味のある方におすすめの場所である。
 四季折々の花は、ほととぎすの花、南天の実、様々な植物もたくさんあり、秋の紅葉の頃に見る「由布岳」は又みごとな風景で実にすばらしい。観光客も少なく、なんとも落ち着き、癒されるところであった。
 
 由布院は四季折々にそれぞれの顔を持ち、寒暖の差が激しい所で盆地の為、夏は暑く、冬は大変寒い。秋は朝と昼の寒暖の差が激しく紅葉がきれいである。また、霧が発生しやすい環境ですばらしい景観となる。近くに「湯の平」と言う、すばらしい温泉があるが、市政合同のとき、この「由布院」と「湯の平」が合併して、由布院が、大分県由布市湯布院町となった。ちょっとややこしいが、御神体と言われる「由布岳」とJR駅等はそのまま由布を使っている。一般的には湯布院と言う方が多いと思う。町には有名高級旅館がかなりあり、それなりのモテナシがあって評判も良い。雄大な「由布岳」のもとに広々とした「湯布院」はここを散策された方々をトリコにしているのではと思ったりする。
 最近は外国人観光客も多く、大きなキャリーバッグを引きずっている人が目につくようだ。
 近く(約1時間)には「別府温泉」もあるし、「黒川温泉」や「水郷日田市」も近い。こんな湯布院の旅行をおすすめしたい。

 

※興禅院の山門。紅葉が映えている。

※禅海和尚とお弓の像。お弓の像は光の加減でよく見えないが、横にちょこんと座っている。

※興禅院本堂の中の仏堂。僧が座る場所で、禅海も座っただろうか。

※こんな碑が立っていた。大友入国で鎌倉の御家人がもたらしたと言われている。この他十六羅漢像は見ていると楽しい。

出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/

 

参考資料
    由布院温泉観光協会 資料
    『宇奈岐日女社社史』
    興禅院資料
    『日本史』 岩波書店

平成27年3月1日 記


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