東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(114)

江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎

 最近の新聞発表によりますと、江東区の人口が50万人を突破しました。戦後の混乱期に25,000人にまで減少したことを考えますと今昔の感があります。現在日本の人口は減り始めたにも拘らず、東京に一極集中し、他の地域からの流入もあって、江東区は今後発展していくのでしょうか。
 江戸時代初期からの埋立てにより、江東区の面積も数倍以上に増えております。
 今回は江東区及び周辺地域の変遷について歴史探訪します。
 江戸幕府開府前から東京湾の埋立て事業は始まりました。文禄元年(1592)日比谷の入江(千代田区)の埋立てから天保3年(1832)品川区の和田新田に至るまで、240年間に実に33の埋立事業が実施されました。うち千代田区が1事業、中央区が5、品川区が1で残りの26事業は全て江東区内で実施されました。
 明治19年〜昭和34年まで認可された埋立事業は22あり、中央区が6(面積293ha)、港区4(259ha)、品川区4(451ha)大田区1(448ha)、残りの7事業は江東区で面積は755haと40%を占めておりました。因みに大田区の448haは羽田空港でありました。
 昭和36年以降の埋立て認可事業3829haのうち江東区は13号地、14号地の1、2、夢の島、新木場、中央防波堤、10号地の1、2、11号地(鉄鋼埠頭)12号地、7号地で1347haと35%を占めております。中央防波堤は未だ埋立てが進行中です。住宅向けの埋立ては、枝川町、辰巳団地で、同潤会(今のUR)の建物が建てられましたが、もう老朽化が始っております。

 人口増の要因は、老朽化した建物郡の再開発等で高層化による居住者増であり、殆どの埋立ては、工業団地や公園等でありました。今後は有明等再開発により人口は増々増えることでしょう。ところが再開発で人口が増えますと、小・中学校を建てなければならず、江東区では一時、マンションの建設を制限したり、学校の負担金を徴収したりしました。
 そこで、「ダブルインカムノーキッズ」という言葉が流行りました。共稼ぎで子供の居ない所帯向けに考案したプランのマンションは、可処分所得が多いので売れ行きがよい、ということで、一時流行ったこともあります。
 ところが子供の居ない街を造ったところで何が未来都市だ、ということで非難を浴び、学校の制限が解除になり、夫婦と子供二人向けのマンションが建ち始めました。舛添知事の公約で保育所の待機児童ゼロが実現すれば、少子化傾向は緩和されるのではないでしょうか。
 2020東京五輪に向けて湾岸地域では競技施設、選手村等が企画されております。国立競技場は当初の予算が1625億の試算でありましたが、流線型の屋根に想定外の費用がかかり、2520億の予算となりました。有明に建設予定のバレーボール、自転車競技施設等4つのうち2つは仮設で終了後解体の予定でありましたが自転車競技施設の2棟は、伊豆にある既存の施設を利用します。有明、豊洲、晴海を経由する地下鉄が20億の予算で五輪後に開通します。
 江東区では、五輪会場を上空から見下ろすロープウェイや水辺に水陸両用バスを就航させる等、10の計画を東京都に提出しております。現区長は都議のとき、石原前知事と、五輪招致に奔走し、区長に就任してから、マンションの規制を解除し、学校建設も実現、有明第二小・中学校も計画決定させました。10のプロジェクトも是非実現して欲しいものです。
 2027年、東京−名古屋を40分で結ぶリニア新幹線の着工準備も整いました。あとは、人口減と少子化で限界集落出現の対策を立てなければなりません。安倍内閣は石破茂氏を地方創生相に任命し、過密過疎問題に取り組んでおられるようです。
 林業の世界では、『日刊木材新聞』(2015年7月4日)によりますと「成熟した日本の森林資源活用への構想を語る」と題して林業再生による地方創生のセミナーが開かれておりました。
 林野庁長官の弁によれば、「現在日本の森林資源の蓄積量は毎年1億?ずつ増加している。国内の木材総需要量は約7,000?だから、計算上は森林蓄積量の増加量だけで国内需要を賄える。しかし、実際の国産材自給率は30%と、これだけのポテンシャルを持った森林資源を十分に生かし切れていない」と述べておられます。一方、産地側の高知県知事は、「『地産外消』政策を策定し、地元に移住促進を打ち出し、一次産業を強化し、関連する産業も強化、製品を消費地に送って共存共栄をはかろう」と訴えました。他にバイオマス発電の推進、CLT建築の奨励等で中山間地域の再生、技術者の育成も図ろう、と述べておられました。
 長官のお考えは正しいと思いますが、戦後国を挙げて植林に励み、朝鮮特需等で国力が回復し、住宅需要が出て参りましたが、未だ植林が育っておらず、やむを得ず外材を輸入して手当てしていた経緯があります。戦後70年経って伐採の時期になっても、外材に頼っており、国産材の伐採、製材、流通のルートが構築出来ずに、2000年は需要の80%を輸入に頼っておりました。ところが諸般の事情により、丸太の輸入が製品にとって代わり、国産材も育って出材が始まり、自給率が30%まで回復しました。民主党政権の時、自給率を50%まで上げようという方針が出されました。100%自給にする為には未だ時間がかかりますが、今が林業再生による地方創生の秋であります。これはほんの一例でありますが、このような考え方を他のあらゆる業種に適用し、全国的に、産・学・民・官一丸となって事に当たれば、限界集落の問題解決、地方創生の動きは大きな渦となって、明るい未来が開けて行くことでしょう。

 

年代別にみた埋立造成地の位置図

 


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