東京木材問屋協同組合


文苑 随想
「見たり、聞いたり、探ったり」 No.198

〜歴史探訪 一人旅〜
長野県・諏訪大社「下社秋宮」に参拝
青木行雄


※諏訪湖の北側は諏訪大社下社、南側は諏訪大社上社
になる。 余談だが、この諏訪湖での夏の花火大会は、
日本一と言われている。
 一口に「諏訪大社」と言っても、上社に本宮と前宮があり、下社には秋宮と春宮があって、この2社4宮を総じて「諏訪大社」と言う。地図で下社と上社を見ると北側は諏訪大社下社で、南側は諏訪大社上社である。下社春宮と秋宮は車で5分程で行けるが、下社の春宮から上社の前宮までは車で35分程かかり、かなり下社と上社は離れている。もちろん上社の本宮と前宮の間は車で5分程で行ける。上諏訪温泉から車で下社も上社も15分から20分ぐらいで行く事が出来る。したがって中間の諏訪湖から見て北側に下社の春宮と秋宮が鎮座し、南側に上社本宮と前宮が鎮座していることになる。

 諏訪大社の見出しのパンフには、
 全国一万有余の諏訪神社の総本社と書かれお諏訪さま、諏訪大明社と呼ばれ、全国津々浦々の人々から信仰を集める諏訪大社。
 御神徳の数々は枚挙にいとまがなく、殊に水の神、狩猟農耕の神、また、武家の守護神として尊ばれ、歴代天皇をはじめ、源頼朝や武田信玄など多くの将軍からも崇敬されて来ました。四季豊かな自然の恵みにくつろぐ、歴史と情緒を味わう旅に、是非、上諏訪大社へお出かけください。

 信濃国一之宮と呼ばれる諏訪大社は、諏訪市の上社と茅野市の上社前宮、下諏訪町の下社秋宮と下社春宮の2社4宮からなり、氏子は諏訪地方の6市町村にわたっています。歴代の天皇や武将からも深く崇拝され、多くの人々が諸国へ分霊を持ち帰り祀ったことから、諏訪信仰は各地へと広まりました。
 現在では、全国に分布する御分社は5000社以上、摂社・末社を加えるとその数実に1万有余社を数えています。

 このような文面が書かれていた

 この諏訪大社の「御柱祭」は有名でテレビ・ラジオ等でよく見聞きする光景だが、今年平成28年が、7年に1度の天下の大祭にあたり、この御柱祭のことを、「諏訪大社式年造営御柱大祭」と言う。


※今年建替えたばかりの「御柱」で新しい。
 この御柱についてちょっと詳しく記してみた。
 諏訪近隣の山の中から選ばれた樹齢150年を超える16本のもみの大木が御柱となり、里に曳き出され、7年目毎の寅と申の年に2社4宮からなる「諏訪大社」の社殿の四隅に建てられるのである。

※式年造営の御柱大祭の様子が書かれている。今年がその大祭の年であった。

※神楽殿の裏側より、下社には重要文化財が4棟あり、この神楽殿、幣拝殿、右片拝殿、左片拝殿である。

 御宝殿の造り替えを行うとともに、御柱を建てる一連の行事を通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村の氏子たちが挙って参加して行われるという。
 御柱は、長さ約17m、直径1m余り、重さ約12tの巨木である。柱は里山から里へ曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿の四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれに行われる。諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4×4本)の御柱を地区ごとに担当する。この御柱祭にかける氏子の情熱は昔も今も変わりがないと言う。
 この諏訪大社の御神体などを記してみた。
 上社本宮に「建御名方神」前宮に「八坂刀売神」、下社春宮、秋宮はこの御二柱の神に加えて「八重事代主神」をお祀りしていると言う。
 上社は裏山の「守屋山」を御神体山として、下社春宮は「杉の木」を、下社秋宮は「イチイ」の木を御神木として仰いでいると言う。
 この長野県諏訪は冬は大変寒く、この広大な諏訪湖が一面に結氷する(一部凍らない所もあるらしいが)、その結氷に昔から伝説がある。

※御神渡り(おみわたり)
 結氷した湖面の割れ目がせり上がり、南北に2本、東面に1本の筋が現れる。この現象を「御神渡り」と言われている。
 諏訪湖南岸にある諏訪大社上社の男神が、北岸にある下社の女神に会いに行った跡だとされる神秘的な自然現象だと言う。私は見た事はないが、地元の人に聞くと見事な現象らしい。一度行ってみたいと思う。

※下社秋宮の入口に立派な看板があった。

※出雲大社を思わせる巨大な「注連縄」の飾り。見事である。

※「神楽殿」の正面。もちろん重要文化財で両側にあるのが、青銅製では日本一と言われる「狛犬」の銅像。

※奥にある幣拝殿。重要文化財で見事な建物であり、大変重みがある。


※根入りの大杉
樹齢6〜700年といわれる大杉。
見事である。
 これまでは「諏訪大社」全体の事について説明して来たが、この度縁あって参拝した「下社・秋宮」について詳しく記してみる。

 正面に小川が流れており、神橋を渡ると、鳥居があ る、その鳥居をくぐると正面に下社の御神木の一つ、樹齢800年もたっていると言う大杉の木がある。その奥には1835(天保6)年立川和四郎二代目富昌が手掛けたという「神楽殿」があり、出雲大社で見たような巨大な注連縄を飾り、両脇に身長1.7mの青銅製では日本一と言われる狛犬の銅像がデーンとすわっている。更に奥へ行くに従って1781(安永10)年初代立川和四郎富棟の手による幣拝殿と左右片拝殿、御宝殿、下社の最も重要な場所であり御神木を祀る御神座が並んでいる。建物の多くは春宮と合わせて国の重要文化財に指定され、毎年2月と8月には春宮と秋宮を神様が行き来する遷座祭が行われると言う。


※神木と言われる杉の大木。
 「諏訪大社下社・秋宮のご祭神として、信濃の国造りをしたと伝えられる「建御名方神」男神、と「八坂刀売神」妃神を祀るが、古くから下社には女神が、という信仰も伝わっており、同社には御兄神の「八重事代主神」も合祀されている。式年造営「御柱大祭」では、勇猛な木落としが行われる一方、遷座祭のお舟祭、筒粥の神事など雅な信仰や祭も残っているという。
 秋宮は、鳥居から見て最後方の御神座に祀られた「イチイ」をご神木(御神体)としている。また、山王閣の東に明治維新以前は神宮寺があったと伝えられている。
 この下社「秋宮」はその昔から、旧中山道と甲州街道が交わる交通の要に鎮座している。
 この「御柱祭」に使用される、直径1m、長さ17mもある大木は「もみの木」で7年に1度取り替えとなるが、2社4宮で16本にもなり、他人事ながら将来あるのかな〜と思ったりする。大昔からこの神木は「もみの木」で、木遣り唄に「御小屋の山の樅の木は里に下りて神となる」という一節がある。こうして日本の伝統文化が継続維持されていることに敬意を表したい。

諏訪大社式年造営御柱大祭
出典:http://suwataisha.or.jp/onbasira052.html

平成28年7月18日記


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