東京木材問屋協同組合


文苑 随想


「歴史探訪」PartU−D

江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎

 もう20年以上お世話になっている近くの病院で定期的に診断を受けておりましたが、いくら薬を飲んでも、体重が減らなく、血糖値も下がらず、この際是非、2週間の血糖コントロール入院すれば治るからと勧められ、前月末から入院しました。
 酉年の年賀状を印刷してもらい、病院で宛名を書き始めました。頂いた賀状を読み返しておりましたら、仕事で親しく指導賜っているA氏の賀状の中に次のような件がありました。  「日本への警告書『日本の禍機』は世界的な歴史学者、朝河貫一が明治41年(1908年)に著した。日本は日露戦争の勝利に酔い戦争へ突き進み、いずれ破滅すると記述している。」
 明治41年と云えば、日本は戦勝ムードで湧き立っておりました。
 私の祖父は群馬県高崎から出征し、乃木大将、秋山参謀の指揮下で、騎馬隊長として戦い、敵の軍旗を奪う活躍で、明治天皇から金鵄勲章を賜り、出身校の青山学院大本田学長から丁寧な賞状が軍事郵便で届きました。私の父も青山学院大に進学しましたが、反動で学生運動に投じ、闘士のはしりと云われておりました。学卒後神田で出版業をしている時、投獄されたこともありましたが、無理矢理出征を命じられ、満州からサイパンに転じ、昭和19年7月7日玉砕して果てました。
 評論家竹村健一氏は、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と云いました。
 司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』の中で日露戦争に勝利した日本人の志の高さを褒め称え、それに引きかえ、その後驕り高ぶって太平洋戦争にまで導いた軍人や政治家達のミスリードを絶対に許すことは出来ないと述べています。
 もっと歴史を遡れば、一時は天下を取った平家は、驕り高ぶって、平清盛は一門の者達を要職に就け、自分の娘を皇室に嫁がせ、男子が生まれると、天皇の祖父として政権を恣にして、ついに以仁王から平家追討の詔を機に全国から雌伏していた源氏方が一勢に蜂起して平家の天下は15年で滅んでしまった。「驕れる平家は久しからず」と云われましたが、このような戒めの言葉は探せばどこにでもあります。
 武という字を分析すれば、を止の意です。
 NHK大河ドラマ『真田丸』は大坂の陣で大詰めに向かっております。

 関ヶ原の戦で天下を取った家康は、1603年江戸幕府を開き征夷大将軍となりますが、最後の仕上げが大坂の陣でありました。
 雌伏15年、九度山から秀頼の要請を受けて大坂城に入った真田信繁改め幸村は、真田丸を築き、一時は徳川軍を撃退しますが、イギリスから購入した大砲で、淀君の待女達が大勢亡くなった機に、和睦して平和になったと思いきや、条件として真田丸のまわりの外堀が埋められ、勢いで内堀までも埋められ、大坂城は裸同然となります。幸村は如何に華々しく終幕を飾るか、敵方も味方も視聴者も固唾を呑んで見守っていることでしょう。

 日本に於ける名勝負を検証しますと
 @源平の合戦 保元平治の乱から「祇園精舎の鐘の声」で始まる、『平家物語』に描かれた平家の栄光から衰退、滅亡に至るまで、法師が奏でる琵琶の伴奏で悲しく語られた
 A武田信玄、上杉謙信が五度相まみえ、10年かかって決着がつかなかった
 B忠臣蔵として歌舞伎でも好評を博した赤穂浪士と吉良家の攻防
 その他数々の戦史の中で、家康と幸村の戦いはいつまでも語り続けられる名勝負でありましょう。

平成28年12月7日記

真田六文銭
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

出典:朝日新聞「文化の扉」2016年12月4日付 朝刊36ページ


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